こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第12主日(マタイ10:26-33)あなたは行って、屋根の上で言い広めなさい

2023-06-24 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/6/25(No.1243)
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年間第12主日(マタイ10:26-33)
あなたは行って、屋根の上で言い広めなさい
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こちらへの4月23日正式着任からおよそ二ヶ月が経ちました。中田神父は未だに恐れと不安を抱えて生きています。誰も知らない中で、初めて果たす任務がこんなにキツいものだとは想像していませんでした。そんな中、今週与えられた福音朗読箇所は本当に考えさせられます。

「人々を恐れてはならない。」(10・26)イエスは「恐れるな」と三度も呼びかけます。恐れは、現在と未来に繋がっていきます。「これを言ったら、受け入れてもらえるだろうか。」「これを言ったら、あとで困らないだろうか。」誰に何を言われようが構わない。そんな時期もかつてはありましたが、今はやはり、恐れが先に来るのです。

イエスが、「恐れるな」と言われるからには、「あなたが心配している、現在に対しても未来に対しても、守ってあげるよ」と保障してくださるのだと受け取るべきです。見ず知らずの環境に置いてもらった、それをチャンスと受けとめ、自分のため、委ねられた人々のため、後ろを振り返らずに進んでみなさい。中田神父は今週イエスの呼びかけをこのように受けとめました。

「必ず守ってあげます。恐れないで。」イエスがそう仰るのですから、信頼して働きたいと思います。二つのことが期待されています。一つは自分自身が個人的に学んだことを、人々の前で言い広めなさいと命じています。イエスのもとに留まって得られた学びや喜びを、多くの人が必要としています。学んだことは個人的なものでも、分かち合う人の中には「それが聞きたかった」と思ってくれる人もいるわけです。

もう一つは、「人々の前で人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す」(10・32)このことも期待されています。場面によって自分の身分を隠したりするのはふさわしくありません。いつでも、「私はイエス・キリストの仲間です」と言い表す人を、イエスも「天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す」(同)のです。

こんなことがありました。青年会と大村の「轟の滝キャンプ場」に出かけました。私は新米司祭、集まった青年は青年会の常連でした。キャンプの中で私の歓迎会がありましたが、私は飲み過ぎてしまいました。その後、風に当たろうと思って一人で外に出ました。ところが酔っていたために敷地の端から足を滑らせ、七メートルくらい下の沢に転落してしまったのです。

足を滑らせたことも、その後どうなったのかも記憶がありません。気づいたときには運ばれて横に寝かされていました。身体のあちこちを打ったようですが、幸いに足を滑らせた場所にはむき出しの排水パイプがあり、それを掴もうとしたらしく、命に別状はありませんでした。

あとで振り返るとゾッとしますが、あの時から、私の司祭職は神に無償で与えられたものだと自分に言い聞かせています。そして、「私は今日守られた。今日守ってくださる神は、明日も守ってくださるに違いない」と感謝したのです。現在も、未来にあっても、イエスは守ってくださるのだから、人々の前でイエスの仲間ですと証しすることにどうしてためらう必要があるでしょうか。

これは誰も味わったことのない、個人的な体験ですが、こうして分かち合うとき、「それが聞きたかった」と思ってくれる人がいるのかも知れません。偶然命拾いしたと考える人もいるかも知れませんが、中田神父にとってこの体験は、「わたしが現在も未来もあなたを守る」と、耳打ちしてくれた体験なのだと思っています。

私には、人々の前でイエスを「知らない」と言うことはできません。これほど圧倒的な関わり方をしてくださった方を、「知らない」とはとても言えません。イエスは私たちのそばを通るとき、決して道の向こう側を通る人ではなく、善いサマリア人として通りかかってくださる方なのです。

ぜひ皆さんも、「暗闇で語られたこと」「耳打ちされたこと」こんな本当に個人的な体験であっても、「私はイエス・キリストの仲間です」と語る、とっておきの道具にしてください。きっと話を聞く人の中に「それが聞きたかった」と応じてくれて、導かれていく人がいるに違いありません。

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‥次の説教は‥‥
年間第13主日(マタイ10:37-42)
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ちょっとひとやすみ
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▼司祭の黙想会に参加した。新しく「地区長」という任命を受けた人たちが、司祭黙想会の中でのミサ主司式をした。初日は中田神父。「なぜこの役を引き受けることになったのか、いまいち分からないのです」と切り出した。
▼二日目、上五島地区の地区長に指名された先輩。「前日の司式者も言っておりましたが、小心者の私がなぜここに立っているのか分かりません。胃がキリキリ痛んでおります。けれども、自分にもできることがあるから、この役を依頼されたのだと考え直しました。」
▼三日目、平戸地区の地区長に指名された先輩。「初日の福音朗読、『天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。』このみことばのまえに、おののいています。不完全な私がこの大役を依頼されたのですから。」なんだか、初日の説教が尾を引いているような気がするのは私だけだろうか。

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今週の1枚
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第850回目。長崎の海の玄関口「大波止」。この海が、五島と繋がっている。

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† 神に感謝 †
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