こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第12主日(マルコ4:35-41)御父に信頼するイエスを現す人になろう

2021-06-18 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2021/6/20(No.1127)
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年間第12主日(マルコ4:35-41)
御父に信頼するイエスを現す人になろう
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「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」(4・35)唐突とも思えるイエスの願いを掘り下げることから始めましょう。ガリラヤ湖は非常に広い湖です。南北に21キロ、東西に13キロ広がっています。日本一大きな琵琶湖と比べると面積で4分の1になります。

「夕方になって」イエスは湖の向こう岸に渡りたいと言っています。群衆を解散させるためでしょうか。しかし日が落ちてから移動することは危険を伴うでしょう。あえて危険を、信仰体験の場に選んだのでしょうか。

「向こう岸に渡ろう」と言っています。イエスはカファルナウムを活動の中心にしていましたから、向こう岸はガリラヤ湖の東岸になるでしょうか。そうなると、東西は最大で13キロの幅があります。13キロがどれくらいの距離かというと、平戸港から定期船が出ている的山大島港くらいの距離です。仮に、「神父さん、船外機で大島まで渡してくれ」と言われても、私でしたら「勘弁してくれ」と言うでしょうね。

なぜか?私はふだん生向港から出港しておりますが、対岸はちょうど「梅屋敷偕楽園(うめやしきかいらくえん)」です。対岸までおよそ3キロ、13キロはその4倍以上です。3キロの対岸でも急に雲行きが怪しくなるとか、何が起こるか分からない時があるのに、13キロ先の対岸まで二千年前にエンジンも付いていない舟で渡るというのはかなり勇気が要ったことでしょう。

こうしたことを踏まえると、何の目的もなく「向こう岸に渡ろう」と言ったとはとても思えません。先に述べたように、危険の中で、信仰体験を積ませるためだったと考えるべきでしょう。単に危険な場面を乗り切る体験ではなく、危険な中にあって、どのようにイエスへの信頼を保ち続けるか。そのために出来事が用意されていたのです。

小舟で海に出ると、自然の大きさの前に自分があまりにもか弱いと思い知らされます。波に翻弄され、航行する何千トン、何万トンの船に怯え、時々やって来る海上保安庁の巡視船に説明責任を果たす。司祭館で大きな顔をしていても、海の上では小さな存在です。

漁師のベテランであるはずの弟子たちがうろたえるほど、湖は荒れてきました。ガリラヤ湖は周囲を山に囲まれた上に、海抜はマイナス213mです。300mの山から吹き下ろす風は、実際には500mの吹き下ろす突風になり、恐ろしさで気が動転したのでしょう。無理もありません。

弟子たちは慌てふためいているのに、イエスは艫のほうで眠っています。ここには、御父へのイエスの絶対の信頼が示されているのですが、弟子たちは自然の脅威に対処することしか頭にありませんでした。私たちが同じ場所に居合わせても、同じことになっていたでしょう。

イエスは眠っておられたとは言え、弟子たちの心配を十分ご存知だったはずです。「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。」(4・39)イエスが弟子たちの心配に寄り添ってくれたのは、弟子たちの心配をまず取り除きたかったからです。

もちろん、それだけでは終わりません。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(4・40)自然の脅威に震えている弟子たちに、自然を支配しておられる方に目を向けさせ、そのお方にすべてを委ねるなら平安が得られると、身をもって示したのです。人としては、イエスも木の葉のように揺れる舟に翻弄される一人の人間ですが、神の子としては自然を支配する御父に全幅の信頼を寄せて、危険の中でも動じないのです。

一度だけ、模範を示すことが出来た場面がありました。大島崎戸が管轄だった太田尾小教区時代に、希望者を募って上五島巡礼に行きました。ところが滞在中に天気が悪化して、フェリーが欠航してしまいました。帰りの予定を延期すればよかったのでしょうが、宿泊費がかさみます。お財布も心配だったので、瀬渡しの船を出している業者に電話したら、船を出してくれることになりました。フェリーが欠航する悪天候です。

瀬渡しの船内に入った婦人部の皆さんは、大島に帰ることが出来る喜びで浮かれていました。料理の小皿を取り出して「チャンカチャンカチャンカチャンカ」皿踊りをしています。ところが出港して湾を出た途端、船がジャンプし始めまして、頭が天井に付くくらいになりました。すると婦人部の皆さんは、手の裏を返したように「めでたし聖寵、めでたし聖寵!」と言い始めたのです。

私はと言うと、「フェリーが欠航するくらいだから、まぁこんなものだろう。船長と神様に任せるしかない」そう考えて、おびえる女性部の皆さんの前で堂々とあぐらをかいて座っていたのです。慌てない私を見て、女性部はようやく落ち着きを取り戻したのでした。具合が悪くなりながらも、帰り着くことが出来ました。

イエスのような絶対の信頼ではなかったにせよ、イエスを知る人が誰か一人でも、周りの人の恐れや不安を取り除く「しるし」になれたらいいと思います。私たちは「旅する教会」であり、たくさんの人と出会い、キリスト教の信仰を知らない人にはキリストを知らせる「しるし」となることが期待されています。

イエスは御父への完全な信頼を見せて、私たちのそばで眠っておられます。ときには「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(4・38)と言いたくなることもあるでしょう。それでも、イエスがそばにいることは間違いありません。どんな恐怖の中でも、「私はイエスが共にいてくださるから大丈夫」と言葉や態度で人々に証明できるように、勇気と力を願いましょう。

今になって考えるのですが、冬の時化の中で何年も実家と神学校を往復した五島の神学生たちは、心配そうな顔をしていた多くの乗船客にとって、安心感を覚える拠り所となっていたのだと思います。

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‥次の説教は‥‥
年間第13主日(マルコ5:21-43)
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ちょっとひとやすみ
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▼今は司教様となられた先輩から、「最近広島カープの話が出ませんね」と声をかけられた。絶好調のチームを応援する先輩だから、余裕のコメントが出るのは当然のことだ。広島カープは交流戦で徹底的にたたきのめされ、今シーズンは「誰が個人タイトルを取るか」「FAで誰が流出するか」そんなささやかな話題しか残っていない。
▼交流戦はあまりにも痛かった。3勝12敗3引き分け。これで今シーズンは終わりだ。だが収穫も確実にある。キャッチャーとしてドラフト一位指名した中村奨成選手、初勝利が見えてきた玉村昇悟選手。そしてごひいきの小園海斗選手。この3人の成長ぶりを目を細めながら、今シーズンは辛抱して過ごそう。

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今週の1枚
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第734回目。話せば長くなるがここで大物がかかったらしくラインを切られた。

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