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ホームページサーバーを変更しました。「お気に入り登録」など
新しいURLに切り替えてください。ご不便をおかけしますが、
どうかよろしくお願いいたします。新しい「話の森」URLは、
http://ss104313.stars.ne.jp/
です。ブログのみの利用者の皆様は変更の必要はありません。
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2020/3/1(No.1049)
‥‥‥†‥‥‥‥
四旬節第1主日(マタイ4:1-11)
悪魔は私たちに何もできない
‥‥‥†‥‥‥‥
四旬節に入りました。ここは田平教会聖堂ですが、誰もいません。無観客ミサです。新型コロナウイルスで公式のミサが休みになったからです。また本日は、保育園年長さんの初聖体の日でもありました。楽しみに、この日を待っていたはずです。前日には初告解も終えて、準備万端だったのです。申し訳ないことをしたなぁと思っています。
でも中田神父は転んでもただでは起きません。この危機を、日本の教会がより力強い教会となるための痛みとして、決して忘れない四旬節第一日曜日にしたいと思っています。そして実際に、より強くイエス・キリストに結ばれる日になると信じております。
四旬節第一の福音朗読はイエスが誘惑を受ける場面です。イエスが誘惑を受けたと仮定して、誘惑に毅然として対処するのは自明の理です。なぜこの物語をマタイが採用したか。それはイエスの毅然とした態度を紹介するためというよりは、私たちに必要なことを教えるために採用したのです。「神に関わって生きる者」が歩むべき道、神の子の道を明らかにするためなのです。
今現在、中田神父は黙想会の材料にしようとしているフランシスコ教皇様の伝記を読み続けています。600頁あまりありますが、読めば読むほどフランシスコ教皇に引きつけられます。今はフランシスコ教皇がブエノスアイレスの司教として働いていた時代のアルゼンチンの政治状況について読んでいます。
フランシスコ教皇様、当時のベルゴリオ司教様は、私たちには想像も付かない状況で教会とアルゼンチンの国民を守り抜こうとしていました。国内ではクーデターが起こり、軍人が政府を掌握しました。教会の指導的立場にある司教様方は、ある人はクーデターを起こした軍人寄りの態度を取り、ある人は徹底的にクーデター行為を非難する側に回ります。そして大多数は、そのどちらにも属さず、息を潜めていました。
クーデターを非難し、軍と徹底的に対立する司教様、司祭たちは、ある日誘拐され、拷問を受け、ある日道端で狙撃され、無残な最期を遂げることもありました。そんな中で、当時のベルゴリオ司教様は、命を狙われている人を必死にかくまい、あるときは国外に脱出させ、あらゆる方法で命を守ろうとしたのです。命の危険にある人々を守るためには、クーデターの首謀者とも交渉しました。ベルゴリオ司教様は徹底して祈りの人であり、優れた政治手腕のある人でもあったのです。
アルゼンチンの政情不安の中でも必死に神の望む道を祈りの内に探し求め、命の危険にある人々を守り抜く姿が、今週の福音朗読にあるイエスの姿と重なりました。イエスはさまざまな誘惑をはねのけます。ベルゴリオ司教様も、クーデター政権側に付く誘惑とか、クーデター政権を糾弾し、華々しく命を散らす誘惑とか、さまざまな誘惑があったはずです。けれどもそれらすべてを拒否して、地味ではあるけれどもすべての命を守るための、祈りに導かれた行動を貫いたのです。
今週と来週の日曜日、実に残念ですが公式のミサを中止するようにと大司教様から通達が出ました。私は昭和の香りのする人間なので、「新型コロナウイルスで命を落としても、ミサをささげるべきではないのか?」と心の中では思いました。なぜ感染者の報告がない長崎で、感染者と格闘している都道府県と横並びの対応で済ませてしまうのか。葛藤を抱えたまま、3月1日を迎えました。
ですがそれは悪魔の巧妙な罠だったのかも知れません。あえて世の流れに逆らい、総理大臣の要請も聞かずに公式のミサを挙行すれば、世間の注目を浴びることになったかも知れません。それこそがしたたかな悪魔の作戦ではないか。考え直したのです。
日曜日、主日であるにもかかわらず、誰も聖堂に集まってミサをささげることができません。ですがこの苦難のときにこそ、悪魔の巧妙な罠に対抗して、神の子の進むべき道を選ばなければならないのです。私たち長崎教区の神の民のほとんどが、ミサに与れない時に何をすべきか知っています。
祈祷書の「ミサに与るを得ざる時の祈り」と、ロザリオ一環を唱える。これは私の祖父母の時代から、脈々と受け継がれてきた伝統です。これなら病気の人、寝たきりの人も、皆が心一つにささげることができます。ミサに誰も参加できない時に、参加できないからこそ一つになれる方法を持っているのです。
ある人たちは、手元に「聖書と典礼」があるかも知れません。ふだん日曜日にミサに参加すると、手元に持っていても実際に朗読している朗読者の声を聞くので、活用できていないかも知れない。今週と来週は、この「聖書と典礼」を大いに活用してください。できるなら、選ばれている箇所を実際の聖書から引いて、家族の中で誰かが読むと良いでしょう。
今、悪魔は私たちを罠に陥れようと狙っています。これほど罠にかかりやすい場面は他にないかも知れません。決して、悪魔の罠に安易にのらないようにしましょう。ミサの食卓を、今週と来週はいただけません。けれども今週と来週がまさに、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(4・4)とのイエスのみことばを味わう時ではないでしょうか。
悪魔の誘惑に立ち向かいましょう。目の前のパンを絶たれても、私たちはみことばの食卓があるから揺るがない。毅然として、公式のミサが中止されている期間を乗り越え、四旬節の償いと犠牲の幕開けと致しましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
四旬節第2主日(マタイ17:1-9)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼ホームページのサーバーを引っ越した。すでに引っ越した。それまでのサービスも良かったのだが、二週間ほど接続できなくなっていた。毎週更新する自分にとってはそれは耐えられないことだった。
▼調子の悪さを例えて言えば、毎週利用させてもらっているスポーツ施設で一つのロッカーを専用で使っていたが、鍵の調子が悪く、毎度スタッフを呼んでロッカーを開けてもらうような感じだろうか。
▼毎週スタッフにお世話になるくらいなら、使わせてもらっているロッカーを変える方がよほどストレスにならない。そういうことで、中田神父の私物(ホームページの素材)を置いているロッカー(サーバー)を引っ越すことにした(すでに引っ越し済み)。
▼案外、こういう作業を終えてみると、以前のサーバーが復旧していたりする。しかしそれでも、振り向かない。未練はあるが(月額200円と安かったから)、新しい未来を切り開くと決めたから、もう後戻りはしない。
▼いよいよ誕生日(3月12日)が近づいて、54歳になろうとしている。この歳になって失ったことを後悔するのは時間がもったいない。前に進んで、今この時からできること、お役に立てることに時間や労力や資源を向けるべきだ。
▼教区に住んでおられる諸先輩の50周年(金祝)、60周年(ダイヤモンド)、70周年(プラチナ)を迎えた感想を読んだ。たくさんのことがあったに違いない。振り返ればきりがないから、今を感謝するコメントが多い。それでも読み応え十分だ。
▼サーバーの引っ越しをすれば、引っ越したことに気づかず、「最近更新されないなぁ」とずっとその場で待ち続ける人が必ず出る。その人たちには連絡のしようが無い。この記事を読んでくれた人が知り合いに知らせてくれるかも知れない。私は前を向いていく。大事なのは過去を背負ってでも、前を向いて進むことだから。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第656回目。無観客ミサ。写真撮影してもらっているので、実際には誰かいる。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
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2020/3/1(No.1049)
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四旬節に入りました。ここは田平教会聖堂ですが、誰もいません。無観客ミサです。新型コロナウイルスで公式のミサが休みになったからです。また本日は、保育園年長さんの初聖体の日でもありました。楽しみに、この日を待っていたはずです。前日には初告解も終えて、準備万端だったのです。申し訳ないことをしたなぁと思っています。
でも中田神父は転んでもただでは起きません。この危機を、日本の教会がより力強い教会となるための痛みとして、決して忘れない四旬節第一日曜日にしたいと思っています。そして実際に、より強くイエス・キリストに結ばれる日になると信じております。
四旬節第一の福音朗読はイエスが誘惑を受ける場面です。イエスが誘惑を受けたと仮定して、誘惑に毅然として対処するのは自明の理です。なぜこの物語をマタイが採用したか。それはイエスの毅然とした態度を紹介するためというよりは、私たちに必要なことを教えるために採用したのです。「神に関わって生きる者」が歩むべき道、神の子の道を明らかにするためなのです。
今現在、中田神父は黙想会の材料にしようとしているフランシスコ教皇様の伝記を読み続けています。600頁あまりありますが、読めば読むほどフランシスコ教皇に引きつけられます。今はフランシスコ教皇がブエノスアイレスの司教として働いていた時代のアルゼンチンの政治状況について読んでいます。
フランシスコ教皇様、当時のベルゴリオ司教様は、私たちには想像も付かない状況で教会とアルゼンチンの国民を守り抜こうとしていました。国内ではクーデターが起こり、軍人が政府を掌握しました。教会の指導的立場にある司教様方は、ある人はクーデターを起こした軍人寄りの態度を取り、ある人は徹底的にクーデター行為を非難する側に回ります。そして大多数は、そのどちらにも属さず、息を潜めていました。
クーデターを非難し、軍と徹底的に対立する司教様、司祭たちは、ある日誘拐され、拷問を受け、ある日道端で狙撃され、無残な最期を遂げることもありました。そんな中で、当時のベルゴリオ司教様は、命を狙われている人を必死にかくまい、あるときは国外に脱出させ、あらゆる方法で命を守ろうとしたのです。命の危険にある人々を守るためには、クーデターの首謀者とも交渉しました。ベルゴリオ司教様は徹底して祈りの人であり、優れた政治手腕のある人でもあったのです。
アルゼンチンの政情不安の中でも必死に神の望む道を祈りの内に探し求め、命の危険にある人々を守り抜く姿が、今週の福音朗読にあるイエスの姿と重なりました。イエスはさまざまな誘惑をはねのけます。ベルゴリオ司教様も、クーデター政権側に付く誘惑とか、クーデター政権を糾弾し、華々しく命を散らす誘惑とか、さまざまな誘惑があったはずです。けれどもそれらすべてを拒否して、地味ではあるけれどもすべての命を守るための、祈りに導かれた行動を貫いたのです。
今週と来週の日曜日、実に残念ですが公式のミサを中止するようにと大司教様から通達が出ました。私は昭和の香りのする人間なので、「新型コロナウイルスで命を落としても、ミサをささげるべきではないのか?」と心の中では思いました。なぜ感染者の報告がない長崎で、感染者と格闘している都道府県と横並びの対応で済ませてしまうのか。葛藤を抱えたまま、3月1日を迎えました。
ですがそれは悪魔の巧妙な罠だったのかも知れません。あえて世の流れに逆らい、総理大臣の要請も聞かずに公式のミサを挙行すれば、世間の注目を浴びることになったかも知れません。それこそがしたたかな悪魔の作戦ではないか。考え直したのです。
日曜日、主日であるにもかかわらず、誰も聖堂に集まってミサをささげることができません。ですがこの苦難のときにこそ、悪魔の巧妙な罠に対抗して、神の子の進むべき道を選ばなければならないのです。私たち長崎教区の神の民のほとんどが、ミサに与れない時に何をすべきか知っています。
祈祷書の「ミサに与るを得ざる時の祈り」と、ロザリオ一環を唱える。これは私の祖父母の時代から、脈々と受け継がれてきた伝統です。これなら病気の人、寝たきりの人も、皆が心一つにささげることができます。ミサに誰も参加できない時に、参加できないからこそ一つになれる方法を持っているのです。
ある人たちは、手元に「聖書と典礼」があるかも知れません。ふだん日曜日にミサに参加すると、手元に持っていても実際に朗読している朗読者の声を聞くので、活用できていないかも知れない。今週と来週は、この「聖書と典礼」を大いに活用してください。できるなら、選ばれている箇所を実際の聖書から引いて、家族の中で誰かが読むと良いでしょう。
今、悪魔は私たちを罠に陥れようと狙っています。これほど罠にかかりやすい場面は他にないかも知れません。決して、悪魔の罠に安易にのらないようにしましょう。ミサの食卓を、今週と来週はいただけません。けれども今週と来週がまさに、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(4・4)とのイエスのみことばを味わう時ではないでしょうか。
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▼教区に住んでおられる諸先輩の50周年(金祝)、60周年(ダイヤモンド)、70周年(プラチナ)を迎えた感想を読んだ。たくさんのことがあったに違いない。振り返ればきりがないから、今を感謝するコメントが多い。それでも読み応え十分だ。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †