こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

主の昇天(ルカ24:46-53)天に昇り、すべての人の主となられた

2019-06-01 | Weblog
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190602.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2019/6/2(No.1006)
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主の昇天
(ルカ24:46-53)
天に昇り、すべての人の主となられた
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主の昇天の祭日を迎えました。キリストの聖体まで一連の祝日が日曜日ごとにやって来ます。名前と、順番を、中学生くらいからしっかり覚えて欲しいと思います。もし中学生高校生がしっかり覚えてお父さんお母さんが覚えていないなら、その時だけは子供が親に威張っても構いません。

フランシスコ教皇は、5月31日正午に、三浦町教会の主任司祭であるペトロ中村倫明神父様を長崎大司教区の補佐司教に任命されました。日頃重責を担っておられる髙見大司教様も大きな助け手を与えていただいたのではないかと思っております。2019年の主の昇天は、中村倫明被選司教様に触れながら考えてみたいと思います。

私事ですが、中村倫明被選司教様は私が中学一年で神学校に入学したときの高校二年生でした。とても真面目で信心深く、神学生のあいだでは聖人と呼ばれていました。ひょっとしたら、今の中村被選司教様を知っている人は、「せいじん」は「せいじん」でも「別の星からやって来た異星人」と思っている人がいるかも知れません。私も実は、どこであの真面目な人があれほど人を楽しませる人に変わったのか不思議でなりませんでした

ですが、私は縁あって中村被選司教様のふるさとである太田尾小教区に初めての主任司祭として赴任したのです。今から20年以上前のことです。そこで6年過ごし、生まれ育った「塩田地区」の雰囲気に触れて、「あー。ここで幼い頃に育てば、こうなるのは当然だ」と納得したのでした。その地区の人はだれもが芸達者でした。小学生でさえ、小皿をカチカチ鳴らしながら踊りを踊る地区でした。

けれどもこのたびの補佐司教の任命で、すべてのことをいったん手放さなければならなくなったと思います。7年目に入っていた三浦町小教区の主任司祭、またクルシリヨの指導司祭、ほかにも私の知らない数々の務めを果たしておられたことでしょう。それらを手放し、長崎教区全体のため、日本の教会と世界の教会全体のため、新しい形で神様の道具となる必要があります。よく決断なさったなぁと思いました。

ところでさまざま引き受けておられた務めは、後任を決めなければなりません。すぐに任命しなければならないのは三浦町教会の主任司祭です。どなたか適当な方がおられるのでしょうか。私は最近やっと、7キロの鯛を釣ったばかりなので、私は行くことはできません。5月の転勤で同じ任地に6年おられた方は異動なさったのですから、そうなると5年間同じ任地におられる神父様の中から、選ぶことになるのではないでしょうか。誰とは言えませんが、すぐに人事異動も発表されることだと思います。

さて、中村被選司教様は、このたびの辞令で、小教区の主任神父様という立場から、司教様という立場になられました。実は私は中村被選司教様のことを、「倫明さん」と親しみを込めて呼んでいました。けれども司教様になられたのですから、「中村司教様」と呼ばなければならないと思います。「倫明さん」と「中村司教様」とでは、天と地の開きがあると思いませんか?雲の上の存在、私たちから遠く離れた存在になってしまうのでしょうか。

被選司教様の立場からまず考えてみましょう。被選司教様はきっと、今まで通りの接し方を希望されると思います。もちろん立場の違いは厳然としていますから、公の場で「倫明さん」と呼ぶことは失礼に当たります。けれども心の中では「倫明さん」「おう。中田」そういう関係を心から望んでいるのではないでしょうか。

私たち一般の司祭の立場から考えてみましょう。誰かが教皇様の指名で司教様になることは当然あり得ます。けれども選ばれた司教様が雲の上に行くのであれば、その司教様は誰のための司教様でしょうか。そんな司教様だったら、神様の良い僕としてお仕えすることはできないと思うのです。

ですから誰かが司教様に選ばれるとき、それは雲の上の存在になるのではなく、もっと心を砕いて、すべての教区民に親しまれる存在になろうとするのではないでしょうか。一つの小教区の主任司祭は、一つの小教区の信徒に慕われ、愛されるならそれで務めを果たすことができるでしょう。けれども司教様になったからには、一つの小教区の司教様よりも、もっと信徒に愛され、身近に感じられる方になろうと努力するはずです。

私はここに、主の昇天に見るべき意味合いがあると思っています。復活したイエスが、御父のもとに、天に昇られました。それは決して雲の上の存在になるためではないはずです。人となられた神の子が公生活で活動された場所は限られています。その場所に限って務めを全うするだけならば、天に昇られる必要など無かったでしょう。そうではなく、復活した主は限られた場所の主から、すべての人の主となられるために、天に昇られたということです。すべての人の救いのために心を砕く主として働き続けるために、天に昇られたのです。

私たちが神学生時代に「倫明さん」と呼んでいた方が、補佐司教様となられます。これからも補佐司教様は「倫明さん」でいてくれると信じたいと思います。そのように、復活した主が天に昇られたのは、地上でその姿を見た人の救い主で終わらず、すべての人の救い主となられるのです。それは雲の上の存在になることではないと思います。あえて言うなら、もっと素晴らしい、もっと高い意味での「倫明さん」になられたのです。

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‥次の説教は‥‥
聖霊降臨の主日
(ヨハネ14:15-16,23b-26)
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ちょっとひとやすみ
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▼中村倫明被選司教様と言えば、過去に私は横柄な態度を取って被選司教様に悲しい思いをさせたと思う。この場を借りてお詫びしたい。被選司教様が小神学校で働いていた時代、私は生意気な大神学生であった。
▼ある日、大神学生が小神学校に立ち寄った。夏休みに入る頃だったかもしれない。大神学生は大勢でやって来ていて、小神学校の食堂でもてなしてもらっていた。中村倫明被選司教様は好意で麦茶をついでくださっていたが、麦茶がなくなった。
▼「麦茶のおかわりください。」私はその場で中村被選司教様に言った。顔色が変わった。たたみかけるように私は言った。「今は神学校の神父様で、私たちに麦茶をついでくださっているのですから、わたしたちの求めに応じて当然でしょ。」当時はそう思っていたのである。
▼中村被選司教様は文句一つ言わず、黙って麦茶のやかんを補充して持ってきた。今になって思うと、あまりに横柄な態度だったと言わざるを得ない。たしかに大神学校時代、神学院祭という行事の中で上級生が「ボーイ」の格好をして給仕をする伝統があった。
▼私たち下級生はボーイをしている先輩を呼びつけ、「ナイフが落ちたので取ってください」などと言っていた。中にはわざと落としてボーイ役の先輩に取らせていた人もいたかもしれない。そんな延長線上で、「麦茶、おかわり」と言ったわけだ。
▼中村被選司教様は当時のことを覚えていないかもしれない。人格者なので、覚えていても「忘れた」と言うかもしれない。そんな先輩が司教様になる。私は心から敬意を表したい。そして親愛の情を持ってこれからも「倫明さん」と心の中で呼びかけたい。

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今週の1枚
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第613回目。写真に、26聖人の聖アントニオ役の中村被選司教様がおられる。

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