こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

四旬節第1主日(マコ1:12-15)神の「試練」を恐れるな

2018-02-17 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2018/2/18(No.929)
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四旬節第1主日
(マコ1:12-15)
神の「試練」を恐れるな
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四旬節に入りました。イエスさまが十字架の上で亡くなって、三日目に復活する大切な出来事をこれから四十日にわたって準備していきます。毎週ミサに参加して、イエスさまの死と、復活を確かめるための段階を確実に積み重ねていきましょう。

中学生の皆さん、いよいよ堅信の秘跡を受ける日がやってきました。堅信の秘跡は、洗礼の秘跡で受けた信仰を、はっきりと人々に証明する、証言するために聖霊のたまものを受ける秘跡です。大人の信者にしてもらう秘跡と言ったりもします。神父さまが考える本物の大人のカトリック信者についても後で話したいと思います。

まず今週の福音朗読から始めましょう。「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」(1・13)とあります。きっと四十日間、休みなくサタンから誘惑を受けられたのだと思います。一日三十分、それが四十日間続いたという意味ではないと思います。二十四時間ずっとサタンの誘惑を受け、それが四十日続いたのだと思います。

それほど長く激しい誘惑に、イエスさまはなぜ打ち勝つことができたのでしょうか。イエスさまが神さまだったからでしょうか?イエスさまが誘惑を受けられたのは、わたしたちに模範を示すためです。神さまとして誘惑に打ち勝ったのでは、わたしたちの模範になりません。わたしたちは神さまとして模範を示されても、真似できないからです。

イエスさまは人として、誘惑に打ち勝ったのです。人として模範を示してくれたのなら、わたしたちは見倣うことができます。ちょうど今はオリンピックの時期ですが、金メダルを取った人が指導してくれたりアドバイスをくれたりしたらそれはお手本になりますが、もし神さまがわたしたちに、「フィギュアスケートの10回転はこうするんだよ」とお手本を示されても真似できないのです。

イエスさまは人として、誘惑に打ち勝つ姿を見せてくれました。ポイントはどこでしょうか。「誘惑」と日本語に訳した言葉は、元のことばに近い日本語では「試」この漢字に当てはまります。2つの読み方ができますね。1つは、「こころみ」です。「試みに遭わせる」というのが「誘惑」です。

「試」この漢字はもう1つの読み方もできますね。「試練」ということです。「試練」であれば人はそこから多くのことを学んで、成長し、より強くなることができます。イエスさまがサタンの誘惑を受けていた間、野獣と天使がそばにいます。野獣は、「試み」を表し、天使は「試練」を表しています。

サタンの誘惑を「試み」と受け止めてしまえば、野獣にかみ殺されてしまうことでしょう。けれども同じ誘惑を「試練」と受け止めれば、これまでよりも多くを学び、より強い人となって、四十日後にイエスさまが神の国の宣教に出かけて行ったように、試練を乗り越えて強くなった皆さんは、自分の信仰を表に出せるようになるのです。

イエスさまが示してくれた人としての模範はこうです。「サタンの誘惑を、試練として受け止めるなら、試練はあなたを強くしてくれます。」堅信の秘跡を受けたなら、試練と正面から向き合い、聖霊の七つのたまものに助けられながら試練を乗り越えて、洗礼を受けたカトリック信者としてより強くなってほしいと思います。

実際、同じことが「試み」にも「試練」にもなるものです。今、中学生は学期末試験の真っ最中でしょう。神父さまも経験がありますが、試験勉強をしていると眠たくなったりします。「眠気」は「試み」でしょうか、「試練」でしょうか。「あー眠くなった。もうあきらめよう。」そう思った人は「眠気」を「試み」と受け取ったわけです。

「うー眠い。でも今寝てしまったら後悔する。力を出し切るために、納得できるところまで頑張ろう。」こんな受け止め方をした人は、「眠気」を「試練」と受け止めた人なのです。同じことが、ある人には「試み」になってその人をダメにするし、ある人には「試練」になってその人を成長させます。

堅信で注いでもらう聖霊の七つのたまものは、「試」この漢字を「試み」ではなく「試練」に変えて、あなたを成長させてくれます。七つのたまものをもう一度思い出しましょう。「知恵」「理解」「判断」「勇気」「神を知る恵み」「神を愛する恵み」「神を敬う心」でした。どれも、目の前にある同じものを「試み」ではなく「試練」に変えて、あなたを成長させ、強くしてくれるのです。

最後に、中田神父が考える「大人のカトリック信者」を示したいと思います。世の中に「大人」はたくさんいます。皆さんより後ろに座っている人は、きっと皆「大人」でしょう。けれども、その大人たちの中には、「試」に出会うと、それを「試み」に受け取ってしまって負けてしまう大人も結構いるのです。

サタンは「試み」しか与えることができません。サタンは人間を成長させるものを何も与えることができないのです。「試」この出来事を巧みに「試み」に変えて、次々と人をダメにしていきます。

神は「試み」を与えません。反対に「試練」を与えて、常に人を成長させ、強くしてくださるのです。「神さまは、目の前にあるこの出来事『試』を『試練』に変えてわたしを成長させ、強めてくださる。」こんなふうに考える人こそ、中田神父が考える「大人のカトリック信者」です。

堅信の秘跡を受けて大人の信者になっても、「試」は次々とやってきます。仕事がうまくいかなかったり、自分の考えをわかってもらえなかったりすることは数えきれないのです。けれどもこれらを、「これは試練だ。神さまはきっとこの試練を通して、成長させ、強めてくださる」と考えることができる人だけが、本物の大人です。

堅信の秘跡で本物の大人、本物のカトリック信者にしていただけるように、このミサと堅信式のミサの中で心から願い求めましょう。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第2主日
(マコ9:2-10)
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ちょっとひとやすみ
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▼皆さんにお祈りいただいたおかげだろうか。病者の塗油の秘跡を授けたおばあちゃんは、その後も病院での入院生活だがひとまずの危機は脱したようだ。神が定めた時はだれにも分からない。毎日神に自分をゆだね、明日を思い煩わないで生きようではないか。
▼話変わるが、司祭生活25年の中でまともにぶつかってまともに言い返された経験が3度ある。1度目は結婚準備の勉強会を引き受けたカップルが頻繁に勉強会を休むので、このままでは結婚式を引き受けられなくなると本人に伝えたら、男性側の父親から電話できついことを言われた。
▼「前の神父が長男の結婚を引き受けてくれた時は簡単に勉強会を済ませてくれたぞ。お前はそれでも神父か?」全く受け入れられなかったが、念のため父親の家を訪ね、もう一度勉強会の大切さを説明した。家を訪ねて初めて知ったが、その家は布団屋さんで、中学1年生で神学校に入学したときにお世話になった店だった。
▼2回目は、ある離島でのこと。人からミニトマトを提供してもらった。その人が「キンカンが手に入ったので、どうぞ食べてください」と言う。どう考えても黄色いミニトマトだったが、本人には「キンカン」らしい。わたしは言った。「食べるまでもなく、これはミニトマトだよね」
▼その人はむきになって「何を言ってるんですか。これはキンカンです。昨日わたしは家で何個か食べたのですから。」「じゃあますます、トマトだよね。わたしの実家は裏庭にキンカンが植えてあったから、間違いようがない。キンカンだと言うあなた、病院に行って診察してもらったら?」
▼これには相当頭に来たらしく、「わたしを侮辱するのですね。お前が病院に行きなさい!」と言い返された。しかたなくその人に果物ナイフでミニトマトを半分に割ってもらい、目の前で食してもらった。そこでようやく「すみませんでした。これはトマトですね」と認めてくれた。
▼3度目はついこの前である。主任司祭として、場合によっては強く言って、事の重大さを理解させるために出た行動の顛末。ある人に電話をかけ、語気を強めて「司祭館に来てください。すぐに来てください」と言った。その人は何か言っていたが、それを遮って「すぐに、今、来なさい!」と言った。
▼するとその人は、わたしにとって生涯忘れない言葉を返してきた。年下の者から話を遮られた上に強い口調で命令された年配者が、堪忍袋の緒が切れて吐く言葉である。想像に任せるが、わたしは最終的にこう思った。「この人は育てたい。」つまり、主任司祭が強い覚悟で司祭館に来なさいと言ったなら、「これは余程のことだろう」と察し、飛んでくる。そういう人に育てたい、と思ったのである。
▼そこまで育つかどうか。これは主任司祭の力量だ。育たずに終われば、わたしはその程度の司祭ということだし、育てば、何事か教会で起こったらすっ飛んでくる、そういう芯の一本通った信者を田平教会に用意してあげることになる。百周年の収穫が、当然予想される場所とは別に、思わぬところであるかもしれない。

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今週の1枚
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第536回目。献堂百周年を通行する車や人に知らせる看板。口コミ成功すれば。

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