こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第31主日(ルカ19:1-10)イエスの呼びかけにすぐ応えられますか

2007-11-04 | Weblog
当メルマガをご購読いただき、ありがとうございます。

(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/71104.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週のお説教」
07/11/04(No.324)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第31主日
(ルカ19:1-10)
イエスの呼びかけにすぐ応えられますか
‥‥‥†‥‥‥‥

今週の福音朗読を読みながら私の心に響いたのは、「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(19・5)というイエスの呼びかけです。イエスは、「ザアカイ、あなたの家に泊まりたい」とだけ言ったのではなく、「降りて来る」ことを求めました。

ザアカイは背が低くて、イエスがどんな人かを見ようとして木に登ったのでした。もしイエスに「急いで降りて来なさい」と言われなかったら、ザアカイはイエスがどんな人かを見ようとしていた目的は果たされたのですから、そのまますれ違って出会いはなかったかも知れません。まずはイエスが声をかけてくださったので、イエスとザアカイとは出会うことができました。

もう一つ、この出会いに必要なことがあります。それは、ザアカイのほうも「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」(19・6)ということです。ザアカイにも、「声がかかったら、すぐに応えよう」という気持ちがあったということです。木の上にザアカイはいたのですから、ザアカイが動き出さなければ出会うことは不可能でした。

さて今日私たちの教会は、小教区の亡くなったすべての人のために追悼のミサを捧げる日曜日です。この日にザアカイの物語が朗読されたことはすばらしいなぁと思っています。なぜかと言うと、木に登って動くことのできないザアカイと、今墓に眠っている人々とは、置かれている立場が似ていると思ったからです。

ザアカイはイエスの声一つですぐに木から降りてきました。墓に眠る人々も、今はまったく動くことができませんが、イエスの声一つで、復活の日には呼び覚まされる希望を持っているからです。実際イエスはラザロが墓に眠っていたときに「ラザロ、出て来なさい」(ヨハネ11・43)と大声で叫び、ラザロを呼び覚ましたことがありました。ラザロは「手と足を布で巻かれたまま出て来た」(ヨハネ11・44)、つまり急いで墓から出てきたのです。

私は、墓で眠っている人はイエスの一声を今静かに待っている人たちなのだと思っています。墓に治められて眠っていますが、イエスの声がかかれば、ザアカイがすぐに木から降りたように、いつでもイエスの声に応えて出会う準備をしている人たちです。復活の日を待って、ちゃんと準備している人たちです。

イエスの声があれば、すぐに行動できる人は幸せだと思います。今日の福音朗読に登場したザアカイは、木から降りてくるように言われてすぐに降りて来ました。墓に眠っていたラザロは、「ラザロ、出て来なさい」と言われて巻かれていた布もそのままにして墓から出て来ました。そして私たちの先祖、先に墓に眠っている人々も、イエスの一声さえあれば、復活してイエスと出会う準備ができているのです。

ここまで話を聞いて、今地上で生きている私たちには何が求められているのでしょうか。準備が求められているのだと思います。イエスに何かしら声をかけられたとき、時を置かずすぐに応える準備が必要だと思います。「持ち帰って検討します」というような悠長な態度ではいけません。声をかけられたとき、すぐに返事ができるようにしておかなければならないと思います。

では、イエスは私たちにどのような声をかけるのでしょうか。人によってさまざまだと思いますが、例えば、「聞く耳のある者は聞きなさい」(ルカ8・8)であったり、「わたしに従いなさい」(マタイ9・9)であったりします。イエスに声がかかったとき、すぐに聞いて実行する人であろうと心がけているでしょうか。またイエスに従っていく決意をふだんから持ち合わせているでしょうか。私たちは今日、このことが問われていると思います。

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。ここで墓に眠っている人々は、復活の時のイエスの号令を今か今かと待っています。遅れることなく呼びかけに応える準備ができている人々です。私も同じように、生活の中で準備しているでしょうか。

私たちはこの世界で生きているときに、周りの人からのいろんな求めに応える必要があります。ある人は頼まれたことにすぐに応えてくれます。この世の求めにすぐに応じる知恵を持っているのに、なぜイエスの声にはすぐに応えられないのでしょうか。いつでも応えようという準備を、日頃から怠ってはいけないと思います。

イエスの呼びかけに、あなたはすぐに応えることができますか。2千年前のザアカイも、今墓に眠る私たちの先祖たちも、準備ができているか、私たちに問いかけているのではないでしょうか。


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼買っても買ってもほとんど使わないものを今年も買った。年間のスケジュール帳。見開き1ヶ月のカレンダー風の書き込みが始めに設けられていて、そのあと見開き1週間の縦組みの日程表が用意されている。大変便利そうである。
▼こうじ神父は過去これに類するスケジュール帳を何年か買い求めているが、どれも4月か、よく頑張って6月くらいで使うのをやめている。今年などはスケジュール帳がどこに行ったのかすらも分からず、葉書大のカレンダーをパソコンで印刷してここ2ヶ月ほどは過ごしている。何のために買ったのか、それすら分からない状態。
▼けれども、世の中には「買うことが、買う目的」というものは案外あるものだ。例えば年賀状。書かない年もあるが、毎年必ず買う。年賀状ソフト。去年のものでもきっと問題なく作成できるが、毎年バージョンアップするたびに買い求める。必要かなー、と思いつつも毎年買う物って、案外あると思う。
▼そういう中で、来年は決して買うまいと思うものがある。英語の学習教材。単語集も速読の本も、長文読解も、文法書も、もう要らないでしょ、というくらいに買ってきたのに何か目新しいものが出れば買い続けてきた。開いたこともないものもあるくらいだから、買う必要は絶対にないはずである。だから、せめて来年だけは、買わないことに決めた。もしも書店でこうじ神父が語学教材のコーナーに立っているのを見つけたら、それだけで注意して結構。
▼このメルマガに目を通す頃にはすでに終わっている行事だが、福岡の大神学院で「召命の集い」が行われる。今の主催者は何を意図しているか確かめていないが、私にとってはこのイベントは「司祭・修道者を希望する子どもたちを育成する絶好の機会」と思っている。願わくは今でもそうであってほしいが。
▼この集いに馬込教会の子供たちを3人連れて行く予定である。この子たちが、こうじ神父が巣立った母校を通して、司祭召命に関心を持ってくれればと願っている。連中はおそらく福岡に遊びに行くと思ってワクワクしているに違いないが。神学院が気に入ったら、いっそのことそのまま置いて帰ろうか。

‥‥‥†‥‥‥
今週のセンテンス
‥‥‥†‥‥‥
第4回目。英語は1文ごとの長さが長すぎないか?どうやって頭に収めるのだろうか。

詳細は、ホームページ:http://hanashi-no-mori.news-site.net/にて。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第32主日
(ルカ20:27-38)
‥‥‥†‥‥‥‥
===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする