一昨日13日の正午前後は、岡山県津山市の国道181号線をマイカーで走っていた。
道の駅久米の里で昼食をとり、そのあと、津山市内にある作楽神社へ向かっていた。
作楽神社に着くと、駐車場に車を止めた。

作楽神社は、院庄館跡に、明治2年(1869年)に創建された神社で、後醍醐天皇と児島高徳をご祭神としていて、境内全体が国指定の史跡になっている。

鳥居をくぐって、少し歩くと、左手に、忠桜会が建設した碑塔が建っている。

さらに進むと、道家大門歌碑がある。
その付近から少し歩いて、右手にある石橋を渡った。


境内には、唱歌などが刻まれた石碑がある。


さらに進む、もう一つの鳥居をくぐると、拝殿の前に着いた。

拝殿を参拝後、神楽殿などがあるほうにも行った。


神楽殿のそばには、忠義桜の記念樹がある。



最後に、摂社の護桜神社を参拝して、作楽神社をあとにした。
そのあとは、マイカーで、津山駅に向かった。
津山駅前に着くと、国道を隔てて向かいにある駐車場に車を止めて、駅に向かって歩いた。
駅トイレの取材が目的だった。

しかし、諸般の事情により、トイレ取材は中止した。


それでも、せっかく駅に行ったので、駅前のC11形蒸気機関車と箕作阮甫の銅像とを組み合わせた写真の撮影をした。
そのあと、マイカーに戻り、駅前の駐車場をあとにすると、国道53号線を走った。
そして、東津山駅に寄って、駅トイレの取材を行った。
そのあとも、国道53号線、国道179号線などを走り、美作大崎駅に行った。
駅トイレの取材が目的だったが、肝心な駅トイレは既に撤去済みとなっていた。
したがって、美作大崎駅にはトイレが現存しない。
そのあと、福力荒神社へ行き、参拝した。



旧正月の3日間は、マムシ除け、安産守護の大祭が行われることで知られている神社だが、その日、境内はひっそりとしていた。
福力荒神社を参拝後は、国道179号線、国道374号線などを走り、帰路に就いた。
こうして、津山まなびの鉄道館と津山市内の神社参拝、姫新線の駅トイレ取材などを目的としたドライブを終えることができた。
道の駅久米の里で昼食をとり、そのあと、津山市内にある作楽神社へ向かっていた。
作楽神社に着くと、駐車場に車を止めた。

作楽神社は、院庄館跡に、明治2年(1869年)に創建された神社で、後醍醐天皇と児島高徳をご祭神としていて、境内全体が国指定の史跡になっている。

鳥居をくぐって、少し歩くと、左手に、忠桜会が建設した碑塔が建っている。

さらに進むと、道家大門歌碑がある。
その付近から少し歩いて、右手にある石橋を渡った。


境内には、唱歌などが刻まれた石碑がある。


さらに進む、もう一つの鳥居をくぐると、拝殿の前に着いた。

拝殿を参拝後、神楽殿などがあるほうにも行った。


神楽殿のそばには、忠義桜の記念樹がある。



最後に、摂社の護桜神社を参拝して、作楽神社をあとにした。
そのあとは、マイカーで、津山駅に向かった。
津山駅前に着くと、国道を隔てて向かいにある駐車場に車を止めて、駅に向かって歩いた。
駅トイレの取材が目的だった。

しかし、諸般の事情により、トイレ取材は中止した。


それでも、せっかく駅に行ったので、駅前のC11形蒸気機関車と箕作阮甫の銅像とを組み合わせた写真の撮影をした。
そのあと、マイカーに戻り、駅前の駐車場をあとにすると、国道53号線を走った。
そして、東津山駅に寄って、駅トイレの取材を行った。
そのあとも、国道53号線、国道179号線などを走り、美作大崎駅に行った。
駅トイレの取材が目的だったが、肝心な駅トイレは既に撤去済みとなっていた。
したがって、美作大崎駅にはトイレが現存しない。
そのあと、福力荒神社へ行き、参拝した。



旧正月の3日間は、マムシ除け、安産守護の大祭が行われることで知られている神社だが、その日、境内はひっそりとしていた。
福力荒神社を参拝後は、国道179号線、国道374号線などを走り、帰路に就いた。
こうして、津山まなびの鉄道館と津山市内の神社参拝、姫新線の駅トイレ取材などを目的としたドライブを終えることができた。
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