福井の蕎麦というと、縁のある皿に蕎麦を盛り上から大根おろしと汁をかけるぶっかけのスタイルが有名ですが、鯖江市にある佐野蕎麦さんでは一切ぶっかけの蕎麦は出しません。伝統的な福井にあってニューウェイブのお店です。
その佐野蕎麦さんの蕎麦粉を使って、打ってみました。
つやつやとした、上品な感じの粉です。
今回もかなり切りに苦労しました。普通の数倍の時間をかけて、なんとか切り終えました。
太いのやら、細いのやらいろいろ混ざってます。太いのに合わせて少しだけ茹で時間を長くしたら、ピッタリにあがりました。
封を切っていない袋の粉を使うのですから、香はとても豊かでした。
その佐野蕎麦さんの蕎麦粉を使って、打ってみました。
つやつやとした、上品な感じの粉です。
今回もかなり切りに苦労しました。普通の数倍の時間をかけて、なんとか切り終えました。
太いのやら、細いのやらいろいろ混ざってます。太いのに合わせて少しだけ茹で時間を長くしたら、ピッタリにあがりました。
封を切っていない袋の粉を使うのですから、香はとても豊かでした。
これはものの本で読んだ話しだが、築地の市場には豊ちゃんというお店がありカレーやカツ丼という食事メニューの他におつまみメニューがあって、それはアタマと呼ばれているらしい。アタマとはカツ丼などのトッピングのことで、丼ご飯を付けなければ立派なおつまみになる、というのだ。
確かにおつまみは重すぎないのが身上だし、写真をみても非常に美味しそうだ。
それをヒントに作ってみた。
親子丼のアタマである。
細かく切った鶏モモ肉は出汁で煮てアクを取る。きのこと長ネギを細かく切って加える。最後にとき卵を二度に分けて流し入れて出来上がり。
出汁の味が回ってご飯と合わせてもなかなか良いのだが、お酒を柔らかく受け止めてくれる感じがお腹にも嬉しい。
ちくわのキュウリ詰めはよくあるので、サヤインゲンで試してみた。マヨネーズ醤油がぴったりだった。
確かにおつまみは重すぎないのが身上だし、写真をみても非常に美味しそうだ。
それをヒントに作ってみた。
親子丼のアタマである。
細かく切った鶏モモ肉は出汁で煮てアクを取る。きのこと長ネギを細かく切って加える。最後にとき卵を二度に分けて流し入れて出来上がり。
出汁の味が回ってご飯と合わせてもなかなか良いのだが、お酒を柔らかく受け止めてくれる感じがお腹にも嬉しい。
ちくわのキュウリ詰めはよくあるので、サヤインゲンで試してみた。マヨネーズ醤油がぴったりだった。
風は冷たいがよく晴れた休みの日、歩いて神田川沿いの「はし本」さんへ向かう。
暖簾には天保六年創業と。お江戸でも指折りの老舗だ。「はし本」の店名は神田川にかかる石切橋のたもとにあるからだろう。江戸川橋の辺りで舟で運ばれてきた鰻を陸揚げした、という話を聞いた記憶がある。
お店に上れば、まずは唐辛子の佃煮が出てくる。唐辛子の実の辛さなどは残っていないが、適度に食欲を刺激する作用があるようだ。
お店の造りは蕎麦屋さんとも違って、それらしい艶めいたものが感じられる。
空きっ腹であまり待たされるのも、と思い焼き鳥にビールをやることにした。味付けは後の鰻を邪魔しない控え目で、鶏全体に火が回りながら固くならない焼き具合は見事。ビールを片手に流石と唸る。
うな重(並)は、身の厚さ、香り、タレの味とも大満足。タレの味は決して薄くないのだが、しみ込みすぎて鰻本体の味を殺さないような工夫が感じられた。
ご馳走様でした。
暖簾には天保六年創業と。お江戸でも指折りの老舗だ。「はし本」の店名は神田川にかかる石切橋のたもとにあるからだろう。江戸川橋の辺りで舟で運ばれてきた鰻を陸揚げした、という話を聞いた記憶がある。
お店に上れば、まずは唐辛子の佃煮が出てくる。唐辛子の実の辛さなどは残っていないが、適度に食欲を刺激する作用があるようだ。
お店の造りは蕎麦屋さんとも違って、それらしい艶めいたものが感じられる。
空きっ腹であまり待たされるのも、と思い焼き鳥にビールをやることにした。味付けは後の鰻を邪魔しない控え目で、鶏全体に火が回りながら固くならない焼き具合は見事。ビールを片手に流石と唸る。
うな重(並)は、身の厚さ、香り、タレの味とも大満足。タレの味は決して薄くないのだが、しみ込みすぎて鰻本体の味を殺さないような工夫が感じられた。
ご馳走様でした。
粉でも、野菜でも、自然に育ったものは冷やしすぎは良くないような気がします。もちろん、厳密な冷凍管理との品質比較などできるわけがないので、根拠のない言草に過ぎないのですが。
我が家では根菜類などは冷蔵庫に入れないで、それよりもちょっとだけ高めの温度環境で保存しています。昼間は5度から10度前後。夜間は0度から5度くらい。要するに、家の中の日が当たらないで、暖房もない部屋に押し込んでいる訳です。それが、リンゴとかタマネギには意外にうけて、鮮度が落ちません。
暮れに北海道の井山さんに分けていただいたタマネギです。シチューには相当に利用して、味わいの濃さは経験済みです。
今回は、あえて生をスライスしてみました。残り少なくなってしまったピクルス液を味付けに使いました。
20-30分してピクルス液が生タマネギに入ると、タマネギの野趣を残しながらもとても滑らかな味わいに変化します。タマネギに含まれる複雑な味わいが、溶け出してきたような感じになります。
我が家では根菜類などは冷蔵庫に入れないで、それよりもちょっとだけ高めの温度環境で保存しています。昼間は5度から10度前後。夜間は0度から5度くらい。要するに、家の中の日が当たらないで、暖房もない部屋に押し込んでいる訳です。それが、リンゴとかタマネギには意外にうけて、鮮度が落ちません。
暮れに北海道の井山さんに分けていただいたタマネギです。シチューには相当に利用して、味わいの濃さは経験済みです。
今回は、あえて生をスライスしてみました。残り少なくなってしまったピクルス液を味付けに使いました。
20-30分してピクルス液が生タマネギに入ると、タマネギの野趣を残しながらもとても滑らかな味わいに変化します。タマネギに含まれる複雑な味わいが、溶け出してきたような感じになります。
幸田露伴は明治20年代には江戸の面影を伝える根岸、向島という東京の東部に居を構え、才走った小説に織り交ぜるように、その地でのそぞろ歩きの楽しさを伝える紀行文を残してきた。それらの珠玉のような文章を見ると、明治の御代となっても、限られた場所では江戸以来のんびりとした時間が続いていたことが感じられる。
そんな露伴が震災をきっかけとして、蝸牛庵を向島から小石川の地に移すことになった。場所は伝通院の脇を入った、静かな寺町の一画である。
おそらくは露伴の心を落ち着かせたであろう椋の樹は、今日においても健在である。
それも都内では珍しいほどの大きさとなっている。昭和20年5月の空襲で焼けおちた小石川蝸牛庵の面影を今に伝える数少ないよすがである。
そんな露伴が震災をきっかけとして、蝸牛庵を向島から小石川の地に移すことになった。場所は伝通院の脇を入った、静かな寺町の一画である。
おそらくは露伴の心を落ち着かせたであろう椋の樹は、今日においても健在である。
それも都内では珍しいほどの大きさとなっている。昭和20年5月の空襲で焼けおちた小石川蝸牛庵の面影を今に伝える数少ないよすがである。