五十公野御茶屋の広大な敷地に、新潟県の知事の旧公舎が移築されていた。現存する公舎としては最古のものである。
明治42年の建築である。洋館の公邸と、和館の私邸からなる。
昭和63年に公舎を新築することとなったが、それを移築したのがこの建物である。
洋館はほぼオリジナルの状態を保つが、和館は損傷が大きく、一部の建材がそのまま使われているが、基本的には建て直されたという。
第一応接室。おそらく会議室を兼ねたのだろう。
早稲田の大熊講堂の奥の貴賓室を思い起こさせる造りである。
第二応接室。こちらの方が、より格が上の感じである。移築されたのが昭和63年だから、田中元首相が当時の県知事とそれなりに重みをある会話を交わされたこともあるのだろうと勝手に想像する。
私邸部分の和館であるが、廊下は他に見た事もないほど広く、そこに沢山のソファーが置かれて、打ち合わせなど盛んに行われていたという。
私邸といえども、実際は公の場であったようだ。
使われている材も、選りすぐりのものである。
明治42年の建築である。洋館の公邸と、和館の私邸からなる。
昭和63年に公舎を新築することとなったが、それを移築したのがこの建物である。
洋館はほぼオリジナルの状態を保つが、和館は損傷が大きく、一部の建材がそのまま使われているが、基本的には建て直されたという。
第一応接室。おそらく会議室を兼ねたのだろう。
早稲田の大熊講堂の奥の貴賓室を思い起こさせる造りである。
第二応接室。こちらの方が、より格が上の感じである。移築されたのが昭和63年だから、田中元首相が当時の県知事とそれなりに重みをある会話を交わされたこともあるのだろうと勝手に想像する。
私邸部分の和館であるが、廊下は他に見た事もないほど広く、そこに沢山のソファーが置かれて、打ち合わせなど盛んに行われていたという。
私邸といえども、実際は公の場であったようだ。
使われている材も、選りすぐりのものである。