蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

五十公野御茶屋  新発田市

2012-07-03 22:51:10 | 古民家、庭園
初代新発田藩主である溝口秀勝は、新発田入封の際に、この地に仮住居を構え、新発田城を築城したと伝えられる。
その後、三代目の宜直が、この地に新しく別邸を構えた。17世紀半ばのことである。そこまでは、軍事的な意味合いが必然だった場所のように思える。
四代目の重勝の視点はまるで違う。この場所を茶寮とした。そのために遠州流の茶人縣宗知を招き、庭を造った。


縣宗知の庭は、未だ整備されていない。その時代から残された手がかりを頼りに手入れをすれば、おそらく清水園と変わらないレベルの庭園をみる事ができそうだ。
しかし平成11年前後の修復では、庭に関してはほとんど手を付けられなかったように推察する。

広々とした敷地の他に誰も駐車していない場所にクルマを停め、小道を歩む。池の向こうに、新発田藩の茶道への思いを込めた別邸が見え隠れする。




夏座敷は、庭の自然によく溶け込んだ姿。座敷の名の通り、上客を通す場所のようだが、ひんやりとした風が通る。
脇の控えの間の方が、格式ばって見える。




座敷から拝見する池や、年代物の松の姿は実に素晴らしい。
縁側の板の通し方が、実はちょっと違和感を感じた。






屋敷は平成11年に修復工事が行われた。
それにしては、茅葺の屋根に草が入り込み、いい感じに時代が付いた姿を見せてくれる。