大内宿は、その存在を始めて知った時から、ずっとあこがの地であった。
今なお、厳しい峠越えの会津西街道に面し、宿場全体がよく保存されている、というのは中々得がたい環境だろう。
道の両側を澄んだ水が流れ、それに沿って季節の花が植えられている。
昔は1,2軒だけだった、というが、想像していたよりもはるかに多くの蕎麦屋さんが並んでいる。
その中で、当代で二十代目になるという、佐藤家で「高遠蕎麦」をいただいた。高遠は信州の地名だが、そちらの藩主の保科正之が会津に移ってしまい、高遠から蕎麦職人も連れてきてしまった、という。それで、会津に高遠蕎麦が多いらしい。
十割の香りはそれ程でもなかったが、大根おろしの辛さが、その昔を想わせる。
梅雨の時期の、短いが本当に良く晴れた日だった。
今なお、厳しい峠越えの会津西街道に面し、宿場全体がよく保存されている、というのは中々得がたい環境だろう。
道の両側を澄んだ水が流れ、それに沿って季節の花が植えられている。
昔は1,2軒だけだった、というが、想像していたよりもはるかに多くの蕎麦屋さんが並んでいる。
その中で、当代で二十代目になるという、佐藤家で「高遠蕎麦」をいただいた。高遠は信州の地名だが、そちらの藩主の保科正之が会津に移ってしまい、高遠から蕎麦職人も連れてきてしまった、という。それで、会津に高遠蕎麦が多いらしい。
十割の香りはそれ程でもなかったが、大根おろしの辛さが、その昔を想わせる。
梅雨の時期の、短いが本当に良く晴れた日だった。