■私の話きいてください
大学で「教育方法学」という講義を担当させてもらっています。その中で、今日の子どもの姿を知ってもらいたくて、作文を読んでいます。それを聞く時の大学生たちの表情が実にいいのです。ときには大笑いし、ときには涙して、すっかり子ども心に共感するのです。すると、そのうちに「先生、私も自由に書きたいことを書きたくなりました。読んでくださいますか」と作文を書いて持ってきはじめたのです。「ぼくも書きました」と次々と作文や詩、ときには小説なども届けられるようになりました。
いじめを受けたときの辛かったこと、うつ病と闘ってきた話、リストカットをしていた胸のうちを書いた詩、祖父母との別れ、失恋の話、スポーツとの出合い、今夢中になっていること、ある書物との出合い等々、本当によく書いてきてくれたと思うほど、心開いた素直な文章に想いが宿っていました。
何度も読み返して、一人ひとりにていねいに返事を書きました。そして、公表してよいものは、講義のときに読んであげるのです。
◆ ◇ ◆
「ガラス」 達矢
「パリン」
音をたててガラスが割れた
集めてくれる人なんていない
今、上下左右から抑えこまれて割れたんだ
よく今まで耐えたなあ
本当にガンバッた
これからゆっくりどろどろに溶かされて
元の体に再生されな
◆ ◇ ◆
「受け入れる」
逃げて逃げて
逃げて逃げて
気づいたら崖っぷち
どうしようもなくなって
崖下の水面に映る
自分の姿を眺める
これが今の私
何か世界が変わった気がする
◆ ◇ ◆
六年前のこと 彰子
私が下宿を始めた時から毎日欠かさずしていることがあります。それは、家を出る前と外から帰った後、祖父の仏壇に手を合わせることです。朝、どんなに時間がない時でも忘れたことはありません。
こんな書き出しで始まる作文は、大好きな祖父の死に接して涙の一粒も流さなかった自分を責めつづけてきた六年間の胸のうちが切々と綴られてあったのです。
この作文や詩をみんなに読んだ時の本人の感想です。
「今まであの詩を何人かの友達に見せたが、心から共感してくれた人っていなかったと思う。ほんとうは、誰かにわかってほしかったのに…。今日、作文とか聞いて、やっぱりみんな何かを抱えながら生きているんだと感じられて嬉しかった。そして、自分の作文が受講生の人たちに受入れられているという感覚になりました。『リストカットは死ぬためではなく、生きるためにしてるんだ』という先生の言葉嬉しかったです。そして、さらに自分を表現してみたいという気持ちが出てきました」
彰子さんは「先生があの作文を読んでくれるのを聞いている時、今日初めて祖父のことを思って泣けました。六年間たまっていたものがすっと晴れた気がします」と書いてありました。
青年たちも胸のうちを誰かに語りたい、受け止めてほしいと痛切に願っています。そして、自分が表現できたことで心が晴れたり、自分がリセットできたりして、前へ向って生きていけそうだと力が湧いてきているようです。
「今の大学生は…」などと言わせません。今も青春の命をキラキラ輝かせて明日をたぐりよせるため、懸命に生きている大学生との授業が実におもしろいです。
(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・大阪大学講師)