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まいど、日本機関紙出版です。

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空から餃子が降ってきた!

2012年12月03日 | 丸ちゃんの私的時間

12月3日(月)

 昨夜、近所にできた新しい駐車場を見に行った。「格安の駐車場ができた。今ならまだ隣が空いてるよ」とすでに利用している知人が教えてくれたのだ。今の駐車場より、はるかに家に近く、しかも3000円安い! 

 いいんじゃないと思いながら広さなどを確認していたら、突然目の前の道路に空から何かが降ってきた。??? 近づくと、なんと焼き餃子が4個! 何やろう? どうも、横方向から飛んできたようにも見えたし、目の前の家の2階から落ちてきたようにも見えたし…。いたずらか?と、こんな場所に車を駐車しても大丈夫かとも思ったが、安さの魅力には勝てずにさっそく駐車場の持ち主に電話してOKとなった。 

 さすがに12月ともなると相応に寒さが堪える朝の週初め。メールチェックに注文整理、出庫は大阪屋など取次2件と集会販売分。突然発生した選挙関連仕事にちょっと時間を取られる。発送を終えて昼ごはん。午後は書店への販促作業。時間がかかった原稿整理をようやく終えると夕方となる。請求書発送をしていると集会販売の注文FAXが入る。都留先生の名古屋方面での講演会のようだ。ありがたいですね。

 

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漢字の世界に触れて刺激を受ける

2012年11月12日 | 丸ちゃんの私的時間

 昨日は午後から、私も委員をしている自治会教養委員会主催の行事に出席した。「おもしろい漢字の話」というテーマの講座だ。

 講師は漢詩や詩吟に詳しい地元のSBさん。正直、このテーマで参加者があるのだろうかと不安だったが、なんと用意した資料が不足するという盛況ぶりだった。参加者のほとんどは年配の人たち。よほど興味や関心があるのか、みなさん熱心に聴いていた。

 普段、文字に関わる仕事をしているので読み書きぐらいはある程度できると思っていたが、いやあ、この講座の内容はとてもおもしろく、何気なく書いたり読んだりしている一つひとつの漢字の持つ奥深い部分にとても興味を抱かせる内容だったのだ。そして、いつも使っている漢字というのは漢字の世界のほんのごく一部に過ぎないことがよくわかった。

 うーん、これからは「字源」をいつも鞄に入れておかねば!

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あの時代を生き抜いた人々の想いを次の世代に繋ぎたい

2012年11月03日 | 丸ちゃんの私的時間

 10月初めに放送され録画しっ放しにしていたドラマ『強制帰国 ~忘れられた花嫁たち』を観た。中国残留孤児問題についてはこれまでも知っていたが、中国残留婦人については「大陸の花嫁」という言葉ぐらいしか知らなかった。番組は中国残留婦人たちが日本政府に対して永住帰国を求めてたたかった実話をドキュメンタリータッチでドラマ化したものだ。いい番組だった。幸い、婦人たちの要求は細川内閣の時にまさにドラマ的に解決へと向かっている。

 戦前、中国満州を侵略した日本は、広大な土地の開拓のために日本国内から大量の働き手(男性)を送り込むが女性が少なかったため、、「産めよ増やせよ」の号令下、男たちの花嫁相手として国内の貧しい農家の娘たちを満洲に送りだした。現地の花嫁訓練所を経た娘たちは、半ば強制的にまったく初対面の男性と合同結婚をさせられる。戦争が激しくなり夫を戦場に取られた人もいたであろう。敗戦を迎え、日本に帰国できなかった女性たちは地元の中国人男性と再婚し戦後を暮していたが、その間も日本に帰国する思いは絶えることがなかったのだ。

 実は私の母はこの婦人たちと同世代の89歳。今は要介護状態で父との二人暮らしだ。戦前は、満洲ではないけれど中国に作られた日本の製菓会社で働いていた。敗戦後、なんとか生きながらえてそのまま中国で父と出会い結婚し、私の上の兄を生んでいる。

 残留婦人たちのドラマも母の体験も、あの戦争があったからこその出来事だ。数百万、いや数千万人の人々の人生が同じように戦争によってそれぞれに深い影響を受け、それが今につながっている。この番組の企画力や取材力には程遠いだろうけど、あの時代を生き抜いた人々の想いを一人でも多く次の世代につないでいくことを急がねばと感じた。

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乗鞍岳に紅葉狩り

2012年10月09日 | 丸ちゃんの私的時間

10月5日(金)

 仕事を休んで義父母の紅葉狩り旅行の運転と介助で同行へ。二人とも介護保険利用者で高齢でもあり、行けるときに行っておこうということで乗鞍岳に向かった。

 午前5時に神戸を出発、阪神高速~名神高速~東海北陸道美並IC~郡上八幡~せせらぎ街道~高山市~平湯温泉~安房トンネル~乗鞍高原のルート。

 せせらぎ街道では以前に一度寄ったことのあるカフェに立ち寄る。http://urx.nu/2ayc そして昼ごはんは例によって板蔵ラーメン。http://urx.nu/2ayl 1時ごろに乗鞍高原に到着。空は快晴で絶好の紅葉日和ではあったが、後の時間を考えて乗鞍岳へは翌日に向かうことにして、夕方の温泉まで高原エリアを楽しむことにした。温泉は手すり付のところを探して休暇村乗鞍高原の温泉へ入った。

 そして6時前、宿泊するペンションへ。なんとお客はわれわれ4人だけ! まあ、平日なのでこんなものかとオーナーに話を聞くと、「明日からの3連休は満室です」とのことで、よかった、よかったとみんなで安心した! 

 うまい夕食をいただき、今度は宿の温泉に一人で入る。24時間源泉かけ流しの露天風呂付き温泉。他にお客さんがいないので独り占めなのだ! いやあ~、下界で働いている世間のみなさんに申し訳ないですなあと思いながら至福の時間となる。http://urx.nu/2az2 部屋に戻りまだ相当早い時間ではあったが眠りについた。

10月6日(土)

 5時過ぎに目覚めてしまい、とりあえず朝風呂へと向かう。露天風呂に浸かりながら空を眺めると曇り空の様子。

 8時過ぎ、宿を出て車で行ける一番高いところの三本滝パーキングまで向かう。ここから先はバスとタクシーしか入れないマイカー規制エリアなのだ。上に行くにはバスのほうが料金は安いのだが車いすもあるので、昨日、知り合ったタクシーの運ちゃんに電話して迎えに来てもらって畳平をめざす。

 ゆっくりと時間をかけ、紅葉ポイントでは下車して説明を受け、例年にない見事な紅葉と言われている景色を楽しみながら2時間ぐらいかけて畳平に到着した。50分ぐらいコーヒーと買い物で時間を過ごしゆっくりと下山。タクシー料金は15000円だったが、ガイド&写真撮影付でしかもこれだけの紅葉を満喫できるということなら十分納得できる料金だ。さて帰路は乗鞍高原から松本へ下り、中央高速~名神~阪神高速で神戸に10時、そして吹田へ11時到着であった。

以下、写真に切り取ると実際の全山紅葉の見事さはまったく表現できないけど、とりあえずということで。(画像をクリック)

   吸い込まれるような紅葉なのです 

  紅葉の向こうの槍穂高連峰

 タクシーだからこそのポイントまで連れていってもらいました

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がんばれ、ぎょうざの満洲野田店!

2012年09月13日 | 丸ちゃんの私的時間

9月13日(木) 

 昨日、JR野田駅ガード下に「きょうざの満洲」という餃子を売りにした店がオープンした。なんでも、関西初出店とかで、昨日と今日は店内飲食に限り、大幅オープン記念価格になっていたので餃子好きの私としてはこれは無視できまいということで行ってみた。

 2人前を注文、さっそく頂いた。材料がすべて無添加国内産というだけあって、うーん、なかなかのもののように思う。ちょっと厚めの皮をかじると、中からじわっと中身の汁が湧き出てくる感じで、旨いのだ。今日は〆て300円。ちょっぴり幸せを感じながら、これはいい店が近くにできたと喜んでいる。

 ただ問題は、この場所は頻繁に店が入れ替わっていることだ。前の店は蕎麦屋、その前はラーメン屋、その前も別のラーメン屋、さらにその前は…という感じで、どうも長続きしない場所のようなのだが、さてどうなることか。すぐ近くには「餃子の王将」(京都版)、さらに道路を渡るとここにも「餃子の王将」(大阪版)や中華料理店もあるのでかなりの激戦区ということになる。ということで少しでも長くおいしい餃子が食べられるように、自らも貢献することにしようと思う今日この頃です。

 

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子どもたちの夏のフィナーレは親子野外文化祭!

2012年09月03日 | 丸ちゃんの私的時間

9月1日(土)

 朝8時にあしあと公園に集合、野外文化祭の舞台設営作業に取りかかる。雲行きが非常に怪しく雨もぽつぽつ落ちていたが、夕方以降の天気予報を信じることにする。大工の坂本棟梁の指示に従いながら19人の若い父ちゃんたちがあっちを持ったり、こっちを支えたりしながら、時に棟梁に怒鳴られながらの組立作業だ。まあ、それにしても暑い、暑い。休憩、昼休みを挟みながら2時ごろに基本的に完成となる。


何よりも土台が肝心。基礎組から正確にしないといけない。


なかなか立派な手作り舞台が完成!照明、音響もバッチし!

5時半開会。高校生の司会者によって進行。保育園、学童保育の子どもたちの歌や踊り、太鼓やダンスなどに大きな歓声と拍手!

さまざまな模擬店も出店、祭りを大いに盛り上げていくのだ。


こちらは、わが高学年自主学童保育いるか学級後援会のお店。怪しい面々が怪しいものを販売している!

舞台では最後に子どもたち向けの平和映画を上映して、8時半に閉会。素早く撤収、解体作業に取りかかる。午後11時、撤収完了というハードな1日となった。昨年が台風で中止になったので、とにかく無事成功してよかった、よかった!

 

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高いところは苦手なんやけど・・・と言いつつ

2012年08月20日 | 丸ちゃんの私的時間

8月19日(日)

 5時半、目覚まし時計に起こされてのそのそと階下へ行き、顔を洗う。6時から自治会の夏祭りの設営・準備なのだ。まだシャキンとしない気分で会場となる吹東公園に集合、わが任務は盆踊り用の櫓設営グループ。倉庫から資材を運びだし広場に並べていく。鉄かどうかは知らないが金属性の結構重い櫓なのだ。

 基礎となる4本の柱をまず固定し、そこからあれこれ組み立てていくのだが、なかなかこの4本が垂直にまっすぐにそろわない。意外に時間がかかって基礎が完成、ここからはそんなに難しくはない。最後に、ちょっと高いところが苦手なんだけど、脚立に上って紅白テープを巻いたり、雨よけシートをかけたりしてようやく完成。今年はミニ舞台も新しく櫓にくっつけて作られた。うん、なかなかいいんじゃない? 

 櫓設営が終わったら主任務は終了だが、まだ終わっていないテント設営なども手伝う。9時前、朝ごはんのおにぎりとビールを受け取っていったん家に引き上げる。汗を拭きTシャツを着替えて再び自治会集会所へ向かう。4人ほどで集まって司会・進行の打ち合わせだ。例年と大きな変更はないので、原稿関係の更新を確認してすばやく終わり、引き上げた。

 これにてこの日やるべき主たることは終了。あとは引きこもりの休日となる。

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夏休み前半備忘録・・・

2012年08月14日 | 丸ちゃんの私的時間

8月10日(金)

お盆明けの搬入を控えて終日、出庫・発送作業に追われる日となった。「パソコン編集入門」の大口発送の後、著者注文分、トーハン納品分などを処理する。久々に薦田製本に行き、重版本を引きとる。家族がある新聞に紹介されたことをめぐってしばしの雑談、そんな中から出版企画も浮かんでくる。なるほど、こういう本もあっていいかもしれないとちょっと考えてみることにしよう。

8月11日(土)

1泊だけど広島に帰省。朝から道路は宝塚あたりから大渋滞。できるだけ渋滞を避けるようにあちこち道を選びながら中国道に流入。途中、佐用インターで降りて旧南光町のひまわり畑へ。広大な畑に咲くひまわりがみな同じ方角を向いているのが面白い。三次インターで降りて本屋へ立ち寄りそのままいつもの「高宮湯の森」へ。夏とはいえやはり湯上りは気持ちいい。6時半ごろ実家に到着。両親と長男夫婦と夜をすごす。

8月12日(日)

大阪とは違ってとても涼しい明け方。近所の草刈機の音で目覚める。田舎の朝は早いのだ。本家の墓地に墓参りに行く。線香と花を供えて合掌し、いとこの家にご挨拶。チンゲンサイの出荷作業を見ながら近況報告。家に戻り、ほぼ寝たきりの母親を中心に写真をパチリ。午後、会うたびに少しずつ衰えていく父親が気になりながら、暑い大阪に引き上げることとする。

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体調不良から風呂敷残業へと

2012年06月18日 | 丸ちゃんの私的時間

6月16日~17日 16日は出勤してから体の不調に気づく。どうも下半身に疲労が溜まっているようで、足取りが重い。予定を変更して早めに引き上げるべく、機関紙コンクールの個別紙面批評と急ぎの出庫を終える。仕方がないので校正仕事は持ち帰りにして必要なものをカバンに詰めた。
 
 自宅近くのデーリーストアによってピザパンと飲み物を買い家に帰る。食後はごろりと横になり2時間余り睡眠。目覚めると少し体が楽になったよう。夜の防犯活動は雨で中止になったので、引き続き横になりながら気楽に過ごした。

 17日、ゆっくり休めたので気分もだいぶ回復。明日には戻さないといけないので、校正仕事を急ぐ。いい話がいっぱい詰まっていて、著者の話や人柄も相まって、子育てお母さんたちによく買ってもらっている本だ。

 何とか2時頃までに終了し、昼ご飯を食べながらCATVの野球中継を観た。交流戦最終試合、相手は西武。堂林や石井、前田らの活躍が観れ、なかなか満足の試合展開だった。

 夕方、車をガレージに取りに行き二男のバイトからの帰り待つ。これから神戸で彼と姪っ子と義妹の誕生会だ。「俺に運手させろ」という二男の要求を拒否して神戸まで急いだ。翌日のことを考えて早めに切り上げ、玉造に義弟一家を送り届け吹田に戻った。

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刈込池に映る逆さ白山連峰三ノ峰

2012年05月28日 | 丸ちゃんの私的時間

 一昨日は急遽思い立って気分転換に福井県大野市奥の刈込池に行ってみた。朝5時に吹田の自宅を出発、名神に乗ろうとしたらなんと工事中で大津まで通行止め。6時には終わるということだったが待っているのも時間がもったいないので、門真から第2京阪~京滋バイバスで草津で名神に合流。そのまますっ飛ばし北陸道福井ICで降りて大野市を経て九頭竜川の支流に沿いながらどんどん山奥へ。

 右側が断崖絶壁のくねくね道を慎重に運転しながら鳩ケ湯温泉を過ぎ、さらに上へ上へ。標高900メートルぐらいはあるのか、午前9時ごろ刈込池への出発点の駐車場へ着いた。

 池に行くには直登50分の600数十段の階段コースか、80分かかるなだらかな山道コースのどちらかを選んでいく。時間もあったのでなだらかコースを選んで登って行った。ちょっと季節はずれなのか、ほとんど他には人がいない。どうやらハイシーズンは紅葉の時期のようだ。この池の水面に映る白山連峰三ノ峰の姿が目的だ。 (写真はクリックで拡大)

 刈込池への登山入口。奥に三ノ峰が見える。

 ブナの原生林を抜けながら山道を歩く。

 上高地の徳澤園で知った二輪草がここにもあった。

 これが刈込池。水面に映る逆さ白山連峰三ノ峰。なんとなくミニ上高地の雰囲気。

 

 

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舞鶴戦跡めぐり 2

2012年05月09日 | 丸ちゃんの私的時間

引く続き、引揚記念館を紹介します。 (写真はすべてクリックで拡大してください)

 
収容所生活を記録した日記

  
収容所の朝ごはん  昼ごはん         晩ごはん


復元された収容所生活。 冬はマイナス30℃の暮らし。


引揚船の1つ、興安丸の模型


引揚を担当した役所の看板


上陸前夜の船内で行われた演芸会のポスター


大陸で亡くなった人も大勢帰還した


ジオラマの舞鶴港の引揚の様子


桟橋で夫を待つ母子


息子の帰りを待ち続けた端野いせさん


亡くなるまで玄関にずっと息子の表札をかかげた


映画「岸壁の母」のモデルだった

 

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舞鶴戦跡めぐり①

2012年05月07日 | 丸ちゃんの私的時間

GWの5月5日、時間ができたのでかねてから一度訪れてみたかった舞鶴引揚記念館に行ってみた。というのも、父母がともにここへの引揚者だったからだ。

特に父は、京都宮津生まれ→16歳で志願兵→ソ満国境警備→シベリア収容所→脱走→馬賊→中国共産軍入り→朝鮮戦争→母と結婚→長男誕生→舞鶴に引揚→母の田舎へという数奇な人生を歩んできて、多少はその話を聞いていたから気になっていたのだ。

 
引揚公園にある二つの歌碑

 
舞鶴港は周囲を山にぐるりと囲まれた静かな港。この左から引揚船が入港した

 
沖合に停泊した引揚船から艀に乗って桟橋に移動、多くの人たちの出迎えを受けた。現在工場のある右手に復員のための施設があった。


復元された平引揚桟橋


当時の引揚の様子を示す写真

  
シベリア抑留者の戦友会が公園内に植樹している


引揚記念館入口のブロンズ像


館内入口近くから


引揚の模様を報ずる当時の新聞やニュース映画

訪れた日は入館料無料の日でこの後、舞鶴軍港を象徴する赤レンガの建物群も訪ねた。

 

 

 

 

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連休、備忘録。

2012年05月06日 | 丸ちゃんの私的時間

連休も今日で終わった。久々のブログということで何をしていたまとめておこうと記憶を遡るが、どうもはっきりしない部分がある。わが脳細胞は確実に弱ってきているように思う。

28日~たぶん3時頃まで仕事をしてその後、堺の土佐拓也コンサートに行った。コンサートに行ったのは確実だ。CDを買ったのだからよく覚えている。

29日~午後から地域労組おおさかのメーデー前夜祭に参加した。内容は石川康宏先生の「維新の会」講演だった。

30日~能勢の野菜朝一に出かけた。

1日~普通に仕事。たぶん忙しかったように思う。夜は「慰安婦」問題大阪学習会の会議だった。

2日~都留×唐鎌対談を新大阪で行った。これはよく覚えている。

3日~午前中仕事をし、午後から神戸の憲法集会へ。本の販売をし講演を聴いた。講師は小松浩氏と小森陽一氏だった。夕方から有馬温泉の上野さん宅で宴会。曰く付きの伊勢丹の総菜とワインが美味かった。夜は安達先生、カン君と客室で寝る。

 画像をクリック

4日~みんなで「銀の湯」へ朝風呂に行く。その後、上野宅を後にして大阪へ。事務所に戻り、夜まで仕事。

5日~舞鶴へ戦跡めぐり。引き揚げ記念館と赤煉瓦の建物を見学。

6日~自宅にてだらだら仕事の日となる。

おお、なんとか記憶が蘇り一安心じゃ。

 

 

 

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土佐拓也コンサートのご案内

2012年04月24日 | 丸ちゃんの私的時間

以前にも紹介したことがありますが、土佐拓也さんのコンサートです。

。とても魅力的な声の持ち主で、関東圏を中心にライブ活動、CD発表など厳しい世界で頑張ってはります。

当ブログで連載中の土佐いく子先生の息子さんです。

  画像をクリックで拡大願います

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風邪の諸症状で録画時間が増える…

2012年01月23日 | 丸ちゃんの私的時間

19日の午後から昨日まで、風邪の諸症状が現れたのでずっと休んでいた。医者には行っていないので素人診断だがインフルエンザではなかったかと…。熱は19日の深夜に最高で39度まで上がり、その後は下降、上昇を繰り返しながら緩やかな右下がり傾向を示し22日の朝に平熱に戻った。今もまだ食欲はなく、食べても味がまだわからない感じだ。

布団に長い時間横たわっていると腰が痛くなってくる。仰向け、左右の横向け、うつ伏せなどあれこれ体位を替えながら格闘する眠い時はいいのだが、眠くないときは苦痛なので座椅子に移動。なぜか横になるよりこれが一番楽に感じる。

とにかく動き回る気力もないのでずっと座ったままだった。しかしこうやって固まっているのがよくないのだろうか、次第にあちこちの筋肉が痛くなってくる。まあこれも症状の現れなのだろうが、ナントも気分の晴れない3.5日間だった。

しかし座椅子といえばテレビを観るしかない! もちろん本もあるけど、わが貧困な頭脳はとんとそっち方面はスト中だった。ということでレコーダーに蓄積している番組を次々に消化していった。おかげで録画時間残量も相当回復し、息子たちに文句を言われることも避けられたのだった。

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