心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

本の山

2014年02月18日 | ほんのすこし
昔から 手相見に興味がありました。何度か本を買って読んだりもしました。ちょこっとかじっただけで手相が少しはわかった気でいたりもしました(笑)
手相見って 結構 見て見て!って言われるものです。知ったかぶりでちょっと言うと じゃこれは?と全然知らない線を見てくれと言われたり。そんなときは「知らーん」で通しますが、なんとなくしゃくです。
で というわけでもないのですが、またまた興味が湧いてきて 今日は久しぶりに手相の本を買ってきました。すこ~し厚い本です。見やすいのでわかりやすいのかなと思って。

これからちょっと勉強してみようと思います。
なんだかあっちに飛んだり こっちに来たりと やりたいことがコロコロ変わってばかりですが、まぁ興味のあることをやれるだけいいのかなと。
そのほかに また本を買ってしまいました。『聞く力』阿川佐和子 『MOMENT』本多孝好
少し前には 『人質カノン』宮部みゆき 『Story Seller』伊坂幸太郎やら道尾秀介やらと7人の方の短編集です。宮部さんの現代ものは結構読んだと思っていたのですが まだまだ読んでいない本があるんだなぁ。その他に毎月購読している雑誌もあるし・・・もっと前に買った本もまだ未読のままのがあるし。

今日からは 手相の本を見ながら 読みかけの『はなとゆめ』、『私という運命について』白石一文を読破するつもりだけど。そうそう 宮部みゆきが絶賛しているという帯に惹かれて買った『ファントム・ピークス』北林一光(この方は 45歳で亡くなっているんですね。この本は亡くなってから友人たちが刊行したものらしいです)も 未読。
テーブルの上に 本がどどんと積まれています。一体 いつ読破するんでしょうね・・・

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画像は 冬のマウス画。

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雪景色

2014年02月18日 | 母のこと
今年に入ってから 母に「冬の景色が描きたいから 何か参考にできるものを」と言われて 何枚か印刷してあげました。
その何枚かのうちから 自分の気にいった景色を見て サイズの異なるキャンバスに色々描いています。本当に好きなんだなぁって思います。

お手本がないと描けないんだよ と言うのですが、いえいえ ちゃんとオリジナルな部分があります。というか本人いわく 難しいところは適当に変えているんだとか(笑)
いつも色の出し方で悩んでいるようです。思ったような色が出来ると子供のように喜んでいます。筆も色々買ってあげましたが、それぞれに使い方を変えているようです。

雪景色をたくさん描いたから 今度は秋のものを用意してくれないかと言われ、またまた印刷して持っていきました。とても喜んでくれましたが、これは無理だろうなあと見ながら話していました。いや あなたはそう言っても描くでしょ?と内心思っていましたが(笑)
その次の日 外がとても荒れて、日参していた母のところに行くのは 断念しました。母もあまりの荒れ模様に運転してくる途中で事故にあっては大変だからと来ないでくれと言う始末。うらめしい天気でしたが、わたしの頭の中には 今日は一日ゆっくり昨日渡した写真の絵を描いてほしいなということがありました。次の日 行ってみると やはり・・・秋景色を描いていました(笑)

わたしが絵を描かなくなって 逆に母が描き始めて。
母が描いているのを見ているだけで なんだかお腹いっぱい。そんな気分でいます。

秋を見て 描いていた中の一枚。



山の上の樹の感じがいいなと思って見てきました。渡り鳥が列をなして飛んでいく 秋の景色だそうです。空の色を出すのがとても難しかったと話していました。
今度はどんな絵を描いてくれるのかな・・・楽しみです。

電話もいいもんです

2014年02月18日 | ほんのすこし
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昔の雪だるま マウス画 引っ張り出してきました。雪だるまたちがエッチラオッチラ。
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誰かとつながっているなぁと感じる瞬間があります。それは 必ずこのとき!といったものではなく、突然感じたり、じわじわと感じたりするもので、その誰かというのが 身内だったり、周りの友人だったり、全然知らない人だったり。
人の根底には 自分は誰かとつながっているという気持ちを抱けることで安心感を持ちたいという思いがあるのでしょう。
自分がこの世に存在している 生きているということは、まず母親とつながっている。どんな母であろうと 今はいない母であろうと、自分が今ここに生きているということはその母とつながっている証だということです。もちろん 父親の存在もあります。
黙っていても つながっている存在 それが身内。そして自分から あるいは相手からつながったのが友人であり 一期一会で出会った人々。
自分には必ずつながっている人がいる。普段忘れていても ときどき思いだすように出てくる「つながる」という言葉 その言葉の響きに安心感を覚えます。

電話はどちらかというと苦手です。だからあまり電話は使いません。電話は黙っていると不安になるからです。特に聞き役が多いわたしは 電話するということが少ないなと思います。その点 メールだと少し気が楽になります。電話は今かけたら大丈夫かな?とか考えてしまうとかけずに終わります。でも携帯メールも送る時間帯とか気になります。パソコンのメールはそういう意味では時間を気にしないで送れるのがいいなぁと思っています。
そんな電話苦手なわたしですが、やっぱりメールより声が聞けると嬉しいのです。声を聞くことで安心感が湧く、なんとなく気になっている人から電話があったりすると それだけでホッとする、そういうことがあるのです。
先日 夜遅く 息子から電話がありました。こんな時間にどうしたのかなとちょっと不安がよぎりましたが、少し前に娘から「○○ 電話やった?」と訊かれたので、「ないよ。なんで?」というと、
「わたしが○○に電話して たまには電話したらって言ったから 電話よこしたのかなと思って。」ということでした。
あらあら 娘に心配かけていたんだ・・・その前の娘との電話で 連絡ある?と訊かれたときに「ないよ。ないのが元気な証拠だと思ってるから。」と答えたのですが、その声が微妙に違っていたのかしら・・・まぁ 娘に心配させていたってことです(笑)

久しぶりに声を聞きましたが やっぱり元気そうで安心しました。姉さんに言われて電話したんでしょって言ったら笑ってました。仕事が忙しそうだなといつも思っているので、大丈夫そうだったし、雪もそんなに大変じゃない(雪国育ちだものね)みたいだし、絵をなんか本格的に描こうと思っているみたいだし、なんだか遠くであれこれ頑張っている様子に どんどん安心感が生まれていくのがわかりました。
メールの方がいいなんて 思っていましたが、電話もいいものです。
声が聞けるというのは 誰かとつながっている実感が強く感じられるんだなあと改めて思いました。
それにしても 娘は最近「いい仕事」をしてくれています(笑)
母親になって 頼もしい存在になっていると 感じるこの頃です。