心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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塗りつぶしてしまえば

2014年02月02日 | ほんのすこし
アクリル画も 塗りつぶしてしまえば元の絵がどんなだったか忘れてしまう。
これも 何度も何度も色が重なった。最初 どんなであったのか 今となってはわからない。

最近 母が雪景色を描いてみたいと言うので 参考になる写真画像を印刷してわたした。それを見るなり
「これだよ これだよ♪ もっと早くお前に言うんだったなぁ」
と嬉しそうな顔をした。
その日 家に戻りながら〈きっと明日はあの中のどれかを見ながら 描いているだろうな〉と思っていた。
次の日 実家に行くと 案の定 母が一心不乱にコタツの上に絵の道具を広げて描いていた。

いつのまに こんなに描けるようになっていたのだろうと内心驚いた。その絵を写すのを忘れたのが 残念だ。
部屋にたくさん飾られた母の絵。この一枚一枚をどれだけの時間をかけて ひと筆ひと筆をどれだけ時間かけて描いたのかと思うと、どれも味わいぶかいものがある。
目をつぶれば描きたいものがまぶたにあるのに 描こうと思うとその色が出せないんだよ・・・と悔しがる母の姿を見ているのは 楽しいものがある。なんだか芸術家?って感じが漂っているよ♪なんて思ったりして。
母とわたし たったふたりだけの絵のある空間。母はそれだけで大満足だという。ときどき スケッチ帳に描いたものを広げて これはいついつ描いたもの これはあれを見て描いたもの と、説明するのを聞くのもまた楽しい。ほんとに楽しそうに語る。そんな母を見ていると 描くということの楽しさをわたしも味わいたくなってくるのだが、いかんせん家に戻るとその意欲がどこかに失せてしまう。頭の中では あれを描いてみたいなという思いがあっても。どうしたことか。そのうち夢中になって描くときがあるだろう。気長に待つことにしよう。

「塗りつぶす」色を上に重ねていくように。
一番底に塗った思いが一体なんだったのかさえ わからぬほどに塗りつぶしてしまう。日々の流れの中で ほんとのココロがどこにあるのか見失うくらい 上に塗りたくって時間をやり過ごしてしまう。
そんな日が続くと どうしようもなく自分が嫌になるときがある。
上に塗る思いが満足できるものなら それはそれでいい。だが、取り繕って重ねて行くものであったなら、どこかで止めなくてはならない。新しいキャンバスに描くか、取り繕った上に真実の姿で塗りつぶしていくか、その方法を見定めるのは難しい・・・