ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

赤れんが @岐阜県岐阜市

2019年07月24日 | 岐阜県(岐阜)

岐阜市河渡(ごうど)にある洋食屋「グリル・赤れんが」へ。店の名前は知っていたが場所は知らなかったのでスマホで調べながらバイクを走らせる。店は大通りから中に入った住宅街にあり、知ってなきゃ辿り着けないような場所だ。店前に駐車場があり、開店してすぐの時間にも関わらず店に入るとすでに先客が何組か。人気あるんだなァ。客層は年配客が多いように感じる。調理は白髪のコックコートを着た男性と、給仕もやる男性の2人。親子にも見えるしそうでないようにも見える。メニューを眺めると、休日用の”赤れんがお値打ちセット”というランチ・メニューが中心のよう。どれも旨そうで迷うが、選んだのは内容がバラエティに富んでいそうな「Bセット」。次々と来客、注文が入るので厨房は大忙しの様相だ。

しばらくして運ばれたBセットは白い平皿の上に肉のソテー、ハンバーグ、コロッケ、サラダがのっていて、別の平皿にライスが。早速”お肉のソテー赤れんが風”から。このソテーは豚肉と玉ねぎが炒められている、いわゆる”焼肉”風。しっかりと濃いめの味付け。”ハンバーグ”は小さめの俵形でふわふわの食感。こちらはデミグラスソースがかかっている。同じソースを共有するのが”自家製ミートコロッケ”。カリッとした薄衣の中にクリームコロッケと言っていいくらいのとろみ。肉片がちらほら。旨いなァ。付け合わせのサラダにはフレンチっぽいドレッシングがかかっており、カレー風味のマカロニも添えられていた。ライスの量は多くないので、足りなくなるくらいのおかずだった。次は単品のランチにしてみようかな。(勘定は¥900)

 


 

↓ 東海道本線の列車がひっきりなしに走っていく上下線別々の橋の「長良川橋梁(前野橋)」(上り:大正3年・1914・建造、下り:昭和35年・1960・建造)。バイクなら横断可能。近くて高速なので迫力満点。

 

 


 

 グリル 赤れんが

 岐阜県岐阜市河渡3-120-1

 

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中島屋食堂 (2) @滋賀県長浜市

2019年07月23日 | 滋賀県(老舗)

長浜市内散策。この日の昼食は駅前通りの「中島屋食堂」にて。開店時間がやや遅いので暖簾が掛かるまで周辺を歩いて時間を潰す。この日も曇天だったが人出は多く、人気の飲食店にはもう行列が出来ている。数えなかったがこの日も「鳥喜多」の行列は凄かった…。やっと暖簾が掛かったようなのでいぶし銀の店内へ。入る時に入口横をよく見ると暗いガラスの裏に食品サンプルが置いてあった。以前は飾っていたのだろう。息子さんに「どちらでもどうぞ。」と案内されたので、壁に向かったテーブル席を選んで腰を下ろした。この日は「琵琶マスにぎり」を目当てに入ったのだが”入荷無し”として消されている。この日は他のにぎり寿司も無いようで、壁に掲示してあった品書きも伏せてあった。という訳で他の品を思案。こちらの丼物は長浜ローカルの赤こんにゃくが使われているとどこかで見た覚えがあったので「親子丼」を注文してみた。

何度見ても飽きない店内を眺めながら出来上がりを待つ。途中でお手洗いを借りたのだが、奥に入って行くと歴史ある古い食堂によくある、客土間の脇に壁を隔てて調理場があり、その奥に手洗いなどの水場があるレイアウトだと分かる。しばらくして運ばれた「親子丼」は…残念、赤こんにゃくは見当たらない。見るからにあっさりとしていそうな淡い色付きで、玉子はふわりと仕上がっている。上には少々の刻み海苔。少なめだが青ネギもちらほらと。添えられたたくあんを挟みながらテンポよく喰らっていく。途中で七味もかけてみた。本当は山椒が欲しかったけれど卓上には置いていない。綺麗に完食し、ご馳走様。いつか長浜に電車で来て、こちらの一品物を肴に酒を呑むのを夢見て…。(勘定は¥600)

以前の記事はこちら

 

 


 

↓ 「ふじ石亭(旧・下郷邸別荘)」(明治17年・1884・建造)。 地元の実業家の別荘として建てられた建築で、現在は料亭として使われている。写真で見切れてしまったが主屋等が登録有形文化財に指定されている。現在は閉店しているという話も(未確認)。

 

↓ 日中は観光客でごった返す「黒壁ガラス館(旧・第百三十国立銀行長浜支店が)」(明治33年・1900・建造)。早朝に建物外観を、開いてから店舗内を観察させてもらった。一時は教会としても使われた建物。天井の細工が見事。

 

 

 ↓ 駅前の通りにある商店(建築詳細不明)◇。1階はポップな店舗で、どれくらい手を入れてあるか分からないが、2階を見ると結構古そうな建物だと分かる。

 


 

中島屋食堂 (※音に注意)

滋賀県長浜市北船町3-3

 

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平和園 (3) @名古屋市昭和区・川名

2019年07月22日 | 名古屋(昭和区・瑞穂区)

暑くなる7月からは約3ヵ月の長期夏休みをとる昭和警察署横の中華料理屋「平和園」へ(訪問6月・あぁ、もう7月になっちゃったなァ)。近くに車を停め、歩いて店に向かう。店内には数人の先客が。カウンター席に座り「鳥球飯(中華風カシワドン)」〔ママ〕と「餃子」をお願いした。寡黙に調理を続けている主人に女将さんから声がかかり、女将さんが餃子の調理と具材のサポートを始めた。テレビを眺めたり主人の所作を見ながら出来上がりを待つ。一般的な「鳥球飯」は鶏唐揚げを使うことが多いと思うが、こちらは鶏肉の素揚げ。揚がった鶏肉と女将さんが用意した他の野菜類が鍋に投入され、餡に絡めて出来上がり。ちょうど「餃子」も焼き上がった。

「鳥球飯」には溶き玉子のスープも付いている。熱々の餡にレンゲを差し入れて口に運ぶ。ハイ、火傷(笑)。でも止められない。野菜は白菜ともやしがたっぷりと入っていて、素揚げの鶏肉は軟らかく仕上がっている。旨い。ワカメも入ったスープはじんわりと滋味深く優しい味付けで、これまた旨い。7つ並べられた餃子は軽い包み。食感も軽い。値付けも安いし、本当はこれでビールといきたいところ。残念ながらまた秋までお預けだが、次は何とか公共交通機関を使って行って「串カツ」「肉ダンゴ」あたりでビールをやって「炒飯」で締めてみたいナ。(勘定は¥850)

以前の記事はこちら (1)(2

この後の記事はこちら (4

平和園

愛知県名古屋市昭和区広路通6-1

 

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いせうどん (2) @岐阜県岐阜市

2019年07月21日 | 岐阜県(岐阜)

雨がそぼ降る夜の西柳ヶ瀬へ。この日は特に人が少なく、かつては夜ともなると人でごった返していた通りも閑散としている。2軒目を求めて歩くも、呑む店は多くないので以前に暖簾をくぐった「いせうどん」に行ってみる。店の中は以前と変わらず大皿の総菜が並んでいるが、この日はお母さんではなく年配の男性。この人が主人なのかどうかは知らないが、先客と談笑していた。まずは瓶ビールをもらう(アサヒスーパードライ中瓶)。つまみには「うずらフライ」をお願いした。作り置きの総菜なので電子レンジで温めてくれる(ただ「うずらフライ」は暴発した・笑)。とんかつソースをたらしていただく。

先客はすぐに店を後にしたので2人で世間話。バブル崩壊以前の景気のいい話を沢山聞いた(自分はほとんど聞き役)。本当かどうか知らないが、建築に関わっていたという男性の話に出てくる接待のお金の単位が百万、千万なのが時代を感じさせる。景気良かったもんなァ。「ごぼ天」を追加。細切りのごぼうがカリカリに揚がっている。醤油でいただいた。長々と聞き役に回っていたのでもうタイムアップ。全然呑み足りないが勘定をお願いすると…、聞き役に回ったのが功を奏したのか激安でビックリ。次はもう少しゆっくりと呑んでみたいナ。出来れば他にも客が居る時がいいけど…(笑)。(勘定は¥800)

以前の記事はこちら

 


 

↓ 夜の西柳ヶ瀬の入口。人の流れは完全に玉宮に移ったようで、こちらは活気ゼロ。

 

 


 

 

いせうどん

岐阜県岐阜市柳ヶ瀬通5-10

 

( 岐阜 ぎふ 柳ヶ瀬 やながせ いせ 伊勢うどん 居酒屋 惣菜 酒場 手打ちうどん 手打 そば 蕎麦 再開発 柳ヶ瀬センター 西柳ヶ瀬 )

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The Astronettes Sessions / Ava Cherry

2019年07月20日 | クラシック・ロック

The Astronettes Sessions / Ava Cherry (2009)

ボウイ(David Bowie)のファンでありながらエイヴァ・チェリー(Ava Cherry)という女性がどんな人物かはよく知らなかったのだが、話によると名曲「Rebel Rebel」は彼女にインスピレーションを受けたというし、1975年のアルバム「Young Americans」にはバック・シンガーとして参加。ボウイとは公私共パートナーとなったという彼女。このCDはそんなモデル兼シンガーの彼女が1973-74年に録音した幻のファースト・アルバムのセッションを収録したCD。全然知らなかったのだが1995年にAva Cherry And The Astronettes 名義で「People From Bad Homes 」というタイトルで一度正式に発売されていたのだとか(写真下)。

このThe Astronettsというバンドの実体はよく分からないのだが、バンドメンバーがAva Cherry、David Robert Jones、Geoff Maccormack、Jason Guess。もちろんDavid Robert Jonesはボウイの本名だ。このバンドがただのお戯れだったのか、それとも本気だったのかは知らないが、音源を聴く限りある程度完成されていて、しっかりとしたプロダクションだったことが分かる。ボウイがプロデュース、トニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)がアレンジ、そしてエンジニアはストーンズ(The Rolling Stones)の「It's Only Rock'n' Roll」(1974)にも参加していたKeith Harwoodというから凄い。

この音源の存在を知ったのはアルバムに収録されている「I Am A Laser」(ボウイの80年作「Scary Monsters」<写真下>に収録の「Scream Like A Baby」の原曲)を聴いた時。エイヴァがヴォーカルで歌詞こそ違うものの、曲構成は全く一緒だったので驚いた。そんなに前から完成していた曲だったとは。

その外にもボウイが1、4、5、7、8、12を作曲しており、他のカヴァー曲もBrian Wilson、Frank Zappa、Bruce Springsteenとボウイの好みとピッタリ(当たり前か)。ボウイのヴォーカルはしっかりと特定するのが難しく(彼の声らしいしゃべりは聞こえる)、特に後半の彼女以外のヴォーカル曲ははっきり言って魅力に乏しいが、当時アメリカン・ソウル・ミュージックに接近していたボウイが早い段階のサイド・プロジェクトでもこういう音楽をやっていたとは。何しろ興味深い内容だ。

amazonにて購入(¥657)

  • CD  (2009/7/14)
  • Disc : 1
  • Format: Import
  • Label : Black Barbarella Records
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茂美志屋支店 @滋賀県長浜市

2019年07月19日 | 滋賀県

長浜市内の古そうな建物を求めて以前入ったことのないような路地を行ったり来たり。おかげでだんだん土地勘も付いてきた。ずっと自転車で走ったり、降りて歩いたりしていると朝昼食が早かったこともあってお腹が空いてきた。路地巡りの途中で「茂美志屋支店」に入ることにする。本店は黒壁スクエアの真ん中にあり人通りも多い場所だが、こちらの支店はひっそりと静かな通り。店も本店と違って一般的な大衆食堂の風情(そういえば以前は本店の「のっぺいうどん」で”撃沈”したなァ…)。もちろん観光客がここまではなかなか入ってこない場所なので地元客が中心のようだ。

カウンター席とテーブル席があり、先客が何組も。壁に品書きがあるので振り返って何にしようか思案する。「焼めし」と「オムライス」が気になっていたのだが、ふと見ると季節メニューが別に紙で貼りだしてあり、自転車で動き回って暑かったからか反射的に「冷やし中華」をお願いしていた。疲労で酸っぱいものを欲していただろうか。周りを見ると「焼めし」の注文率が高い。「焼めし」も…と思ったが思いなおす(そもそもそんなに入らない)。今年初の「冷やし中華」だ。

しばらくして給仕の女性によって運ばれた「冷やし中華」にはとても細い錦糸玉子がのっていた。他の具材はハム、キュウリ、刻み紅生姜。それに蒲鉾の上には辛子がのせてある。早速麺を手繰ってみると麺はストレート麺。ビッと酢が効いていて旨い。汗をかいた後の酢と冷たいスープはバッチリ。途中で辛子を箸先に漬けたりしてスルスルといただいた。観光客向けでもなく、気取らない感じの食堂。次に長浜に来た時にもまた寄りたいなァ。次はもちろん「焼めし」で(←と言いながらまた迷うに決まっている)。(勘定は¥650)

本店の記事はこちら

この後の記事はこちら

 


 

↓ 以前も訪れた、廃業済みの三ツ矢町の銭湯「いなり湯」(建築詳細不明)。建物はまだ健在だった。中を見てみたいなァ。

 

↓ 「茂美志屋支店」から遠くない路地にあった元浜町の洋館付きの建物(建築詳細不明)。赤い屋根に尖塔があるのが可愛らしい。

 

↓ パッと見て通り過ぎてしまった元浜町の建物(建築詳細不明)だが、よく観察してみると壁の仕上げ、窓枠下部の装飾や、隅切り(半切妻)屋根の意匠など古そうな雰囲気がプンプン。

 

 


 

 

茂美志屋支店

滋賀県長浜市神前町4-15

 

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大久手・山本屋 @名古屋市千種区・大久手

2019年07月19日 | 名古屋(千種区・守山区 老舗)

味噌煮込みうどんと言えば”山本屋”の屋号。現在、大門の「山本屋本店」、栄の「山本屋総本家」が2大勢力としてそれぞれ支店も展開している。どちらも同じ大須にあったという「山本屋」が始祖で、それぞれが分かれていったという大まかな歴史があるようだが、一時はそれぞれがHPなどで自分の店の正統性を主張して相手方に敵意剥き出しな記述もあったと記憶している。最近はどちらも以前のような店の歴史に関する詳しい記述は抑えているようで、それぞれ住み分けが出来ているのだろう(そもそも本店と総本家が違うと認識している人も多くなかったが…)。名古屋にはその2つの支店を名乗っていない「山本屋」もあり、こちら「大久手・山本屋」もそのひとつ。それでもこちらのHPを見てみると、その歴史については他のどこよりも詳しい記述があり、こちらが”総本家”の系列だと取ることが出来る。それでもいわゆる支店とは違うようで…。

店の前の駐車場に車を入れ中へ。開店してすぐの時間だったがすぐに後客が来たところをみると混雑が予想されるのだろう、カウンター席に案内された。もう注文は決まっているが一応品書きを眺めてみる。酒肴の一品物も充実している。何人も居る店員の1人に「玉子入り味噌煮込みうどん」をお願いした。しばらくして「味噌煮込みうどん」が土鍋で運ばれた。もちろんぐつぐつと煮えて水面が躍っている。穴の無い蓋を取って取り皿に使うのは上記2店と同様。中から手繰り寄せたのは縮れの入った剛麺。太さにばらつきがある。ややとろみのついたしっかりと濃い出汁を纏っていて、口に入れるとゴワッとした歯応え。うん、あの食感。中に落とされた玉子はまだゆるゆるだったので、煮込んだ後から落とされたものだろう。しばらく潰さず元の出汁を味わった後に、蓋の上に玉子を慎重に移動させて黄身をまとわりつかせた一口を楽しんだ。こういうガツンと濃い味噌煮込みのつゆが久しぶりだったので汁をすくうレンゲが止まらない。旨かった。(勘定は¥1,080)

 

大久手 山本屋 (山本屋大久手店)

愛知県名古屋市千種区大久手5-9-2

 

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白神 @岐阜県関市

2019年07月18日 | 岐阜県(中濃)

過去に自分が一番通った店は多分ここだろう、岐阜県関市のラーメン屋「白神」。調べてみたら開店したのが平成16年(2004)とあるからもう15年も経つのか。昔はラーメンの食べ歩きをしていて色んな店に行ったが、ここは限定メニューが出る度に車を飛ばしていたのでゆうに100回を超える訪問回数(記録あり)。支店(「二代目白神」、「爆王」)を含めたら何回になることやら。今では人気店となって、修業して独立した弟子の店も盛況だが、開店当初はのんびりとしたもので主人の他に手伝いは年配の女性が1人だけだったと記憶する。日曜の昼だと客は自分1人なんてことも。当時はまだこの地方で”つけ麺”が一般的でなく、主人が戸惑う客に食べ方を説明していたっけ。元々ローストした白海老をスープに使っているので好き嫌いが分かれる味だと思うが、今や岐阜を代表するラーメン屋に。様々な試行錯誤を厭わず、常に麺を改良し、限定メニューは数え切れないし、地域貢献として地元のイベントには必ずといっていいほど出店するのが素晴らしい(大変だろうに)。

昔と比べると頻度はかなり減ったがそれでもたまには覗いている(そもそもラーメンを食べに行く回数が激減した)。この日はブログで告知されていた限定麺「冷やし芋汁そば」を食べに店へ。今年の梅雨は気温が低く、まだ冷やしを食べるような感じではなかったが、とりあえず店内の券売機で券を買い、カウンターに案内される。主人以外で自分の知っている男性店員はみな独立してしまったので知っている顔はもう誰も居ない。この限定麺は信州出身の店員の作品だそう。知らないうちに英語の案内も出ている。こんな田舎まで外国人が来るのだろうか。それはそうと自分の隣の男性はスマホを卓上に置いてイヤホンをして動画を見ながら食べているし(メシ喰う時にやるか?)、もう片方の隣の男性は食べるときにクチャクチャと音を立てるという2重苦(苦笑)。

堪えながらしばらく待っていると「冷やし芋汁そば」が渡された。大きな鉢一面を芋汁(とろろ芋を出汁などで溶いたもの)が真っ白に覆っていて、真ん中に生卵の黄身が。別皿で焼き海苔と溶きわさびと野沢菜が付いている。麺を引きずり出すと細平打ちの麺がたっぷりと潜んでいる。麺の出来はさすが。張りがあって喉越しが良い。もうすこし軟(やわ)な茹で方でもいいかも。つゆは醤油の強い和出汁でラーメン的な要素はほとんど無く、そばつゆのよう。ズルズルと芋汁と一緒に麺を手繰っていく。予想通りの味だがもちろん旨い。下から身が赤い色をした低温調理チャーシュー(牛なのでローストビーフか)が数枚出てきた。これは微妙(→自分は流行りの低温調理レアチャーシューの良さが分からないので…)。何しろ芋汁が大量だし、つい大盛(無料)にしてしまったのでちょっと単調になる。黄身を潰すとマイルドさが増すが、これ前提なら元のつゆはもう少し強くてもいいのかな。海苔やわさび、刻んだ野沢菜を加えながらやっつけた。お腹いっぱい。サッと出てきてしまったが、どうもこの後にご飯も付いてくるらしい(どうせ食べられない)。(勘定は¥890)

この後の記事はこちら

 

麺屋 白神

岐阜県関市巾2-144-6

 

( 岐阜 ぎふ 関 せき はくしん 麺屋白神 ラーメン 中華そば つけ麺 つけめん 白エビ 白えび 自家製麺 限定 レアチャーシュー )

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三芳屋 @名古屋市東区・森下

2019年07月17日 | 名古屋(東区・北区)

徳川町の「三芳屋」へ。入るのは初めて。この日は日中暑く、汗をかきながら自転車でウロウロ。夕飯にはちょっと早い時間だったが、ちょうど夕方口開けの時間辺りに近くに居たので寄ってみる。暖簾をくぐって驚いた。まだ早い時間にも関わらず、店の中は小上がりの1部を除いてほぼ満席の盛況。休日とはいえみんな早い時間から凄いなァ。家族連れが多く賑やかで、小さい子供の嬌声も聞こえてちょっとうるさいくらい。給仕をしているお婆さん2人に案内された席も相席。ひと声かけて座らせてもらう。品書きを見て注文したのは「きしめん」。「”ころ”で。」とお願いした。品書きに”きしころ”とは載っていないが問題なく注文が通る(東海地方では大抵通ります)。

注文を聞いていると「天ぷら」を付けている人が多いようだ。厨房の見える席だったが、注文が殺到して大忙しという感じ。それでも中には調理の男性が3人居て間断無く料理が出来上がっている。しばらくして「きしころ」が登場。浅い水面には甘い揚げ、わかめ、蒲鉾が2枚のっている。刻みネギとすり生姜は別皿。つゆの色はいわゆる赤つゆだが濃いものではなくすっきりとしている。麺はやや幅があって薄打ち。見た目よりもしっかりとしたコシがあり、なかなか強靭な麺。するするっと手繰り上げると平打ちの麺が口に当たる食感が楽しい。途中でネギや生姜を足して味を変えていく。つゆはいわゆる”冷やし”とは違うのでキンキンに冷えている訳ではないが、汗をかいた後にちょうどいい温度と塩加減。ゴクゴクと飲んで箸を置いた。店には次から次へと客、それも家族連れが入ってきてまだまだこれからという感じ。今度は「天ざるきしめん」でもいただこうかな。(勘定は¥700)

 

三芳屋

愛知県名古屋市東区徳川町2216

 

( 名古屋 なごや 森下 もりした みよしや みよし屋 うどん そば 饂飩 蕎麦 天ざる きしめん みそ煮込み 味噌煮込みうどん 定食 麺類食堂 )

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ジャックスの世界 / ジャックス

2019年07月16日 | ロック(日本)

ジャックスの世界 / ジャックス (1968)

ジャックスを初めて聴いたのはまだ学生の頃かな。確か当時はまだオリジナル・アルバムは廃盤のままになっていて再発されていなかったはず。有名な「からっぽの世界」と「ラブ・ジェネレーション」だけ日本のロックを特集した「 Let the 70’s Die」という編集盤で聴いたのが初めてだった。再発されなかったのは歌詞に「唖(おし)」という禁止用語が入っていたからだという。


 

「からっぽの世界」 作詞・作曲 早川義夫

 

 僕、唖(おし)になっちゃった

 何も話すことできない

 僕、寒くなんかないよ

 君は空を飛んでるんだもの

 僕、死にたくなんかない

 ちっとも濡れてないもの

 

 静かだな 海の底 

 静かだな 何もない

 

 僕、涙枯れちゃった

 頭の中がからっぽだよ

 僕、甘えてるのかな

 なんだか嘘をついているみたいだ

 僕、死んじゃったのかな

 誰が殺してくれたんだろうね

 

 静かだな 海の底 

 静かだな 何もない

 


この世界観と詩に若造(当時の自分)はびっくり。こんなスゴイ歌詞の日本語ロックが60年代にあったんだとぶっ飛んだ。でも結局当時オリジナル・アルバムを聴くことは叶わず、再発されていることも知らないままに長い年月が過ぎ…。たまたまオークションで見つけて「あぁ、ジャックスか、昔ちょっとだけ聴いたナ…」という感じで手に入れたのがこのCD。

早川義夫のヴォーカルは決して上手くはないけれど、60年代末のアート・ロックやサイケデリック・ロックと呼ばれたジャンルを通過したバンドとしての方向性はしっかりと形作られている。全体的に音が暗いのは当時の世相(ベトナム戦争、学生運動など)もあったろうし、音楽界の流行もあったろう。ジャックスがドアーズ(The Doors)やヴェルベット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)に例えられるのはずっと後年の評価だとは思うが、今聴いてみてもやっぱり面白い日本語のロック。

この頃の日本のサイケデリック・ロックは意外と外国でも評価が高いそうで海外にはコレクターも居るらしい。フォークからロックへと移行していく様は英米ロックに追従しているようだが、(日本の)ロック黎明期にあってなかなか個性的なバンドが多く、見た目の先入観を除くと演奏もなかなかのもの。誰かのインタビューで当時の日本のギタリストはチョーキングさえ知っている人は少なかった、なんていう証言を読んだ記憶があるが、レコードを聴く限り英米の(当時)気鋭のバンドと比較しても演奏は意外なほど見劣りしないし、色々なアイデアもあって面白い。

ジャックスも当時はあまり売れなかったそうだが、後のミュージシャンでジャックスや早川義夫の影響を語る人は多かったと記憶する。初めて「からっぽの世界」を聴いた時の何ともいえないザワザワとした気分は今聴いても変わらなかった。次はこれも名盤と称えられる早川義夫のソロ作「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を買ってみようかな。 

オークションにて購入(¥480)

  • CD  (1998/3/18)
  • Disc : 1
  • Label : EMIミュージック・ジャパン
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