ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

鍵屋 @東京・根岸

2015年07月14日 | 東京都(老舗)

酒場好きにとっては聖地と言っても過言ではない根岸の「鍵屋」。安政3年(1856)に酒問屋として創業し、昭和初期から酒が呑めるようになり、現在のような居酒屋形態になったのは戦後だとか。最寄り駅は鶯谷。様々な文献に登場し、一度は訪れてみたいと機会をうかがっていた。黒板塀の現在の建物(大正元年建造とか)も味があるが、移転前の建物(安政3年建造)は「江戸東京たてもの園」に移築展示されているという、まさに博物館級の酒場。ちなみに今でも女性1人の客は入れないそうです(そう、酒場は男の為にあったのだ)。何とか時間の都合をつけて、というか、この店に来るためにわざわざ予定を組んで訪れた。言問通りから一本入った住宅街の中にポツンと店がある。ここだけ異質な空間。店先には開店を待ちわびる同好の士がひとり。まだ新しそうな黒板塀には「鍵屋」と書かれた徳利が埋め込まれている。しばらくして店が開き、暖簾が掛けられた。

店に入ってカウンターに腰を下ろす。電球が照らす「いぶし銀」の店内は、長い時間を経た店だけが持つ特別な雰囲気があり、その場に居るだけで幸せな気分になる。「ジリリリ…」と店にかかってくる電話も黒電話が現役だ。何というか、もうすでに「空気が旨い」。老齢の主人に、まずお酒(桜正宗)を燗してもらい、薄い木の板に書かれた多くない酒肴の中から名物の「うなぎのくりからやき」を注文した。酒はきっちり正1合を升で計り、銅壺(どうこ)で温められる。くりからやきは1人1本のみ、売切御免だそうだ。主人によると仕入れが高過ぎて、もう数が用意出来ないとの事。意地だけでやっているんだとか。焼けるまでは、お通しの柔らかく煮られた煮豆をつまみながら、酒を口に運ぶ。目に入る古道具、看板、古いポスターや、焼き台で忙しく立ち回る主人の所作を眺めながら呑む酒は、最高に旨い。女将さんが他の客に、酒は3種あり「桜正宗」「菊正宗」「大関」の順に辛口になっていくと説明していた。

まだ5時を過ぎたばかりだが、もう何組かの客が入ってきて、カウンターは満席に。主人も大忙し。若干テンパる主人を、女将さんが上手にサポートしていて、微笑ましい。しばらくして串に刺されたくりからやきが置かれた。甘辛いしっかりとした味付けで、旨い。もうこの時点で、くりからやきは売り切れになった。「合鴨塩やき」と酒を追加。塩は強くなく、ほとんどそのままといった感じ。酒は3種ともよくある普通の大手銘柄なのに、どうしてこうも旨いんだろう…。20種類ほどの酒肴はどれも、いわば「地味」なものが多いが、どれも酒(日本酒)を旨くしてくれそうなものばかり。全部食べてみたいが1人ではどうしようもない。早食い早呑みで、長居も苦手なので、未練たっぷりで(笑)勘定をしてもらった。

「ありがとう存じました」

主人と女将さんの声を聞きながら、まだ明るい外に出る。噂に違わぬ素晴しい店だった。(勘定は¥2,500程)

 

鍵屋

東京都台東区根岸3-6-23-18

( 根岸 ねぎし 鶯谷 うぐいすだに 鍵屋 かぎや くりから焼き 江戸東京たてもの園 )

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上野凮月堂 @東京・上野

2015年07月10日 | 東京都(老舗)

上京した際には留守中に迷惑をかけている周りの人達に、いちおう何か土産を買っていくことが多い。帰りの東京駅の大混雑では疲弊するし、自分のバッグ以外の袋をぶら下げて歩くのが嫌なので、最近は駅では何も買わず、訪問した先で日保ちのする土産を買い、先に送ってしまうようになった。今回は上野の「上野凮月堂」。創業が延享4年(1747)という老舗で、元々は総本店が京橋にあり、この上野凮月堂(創業・明治38年・1905)は創業家の家系で唯一残っている店舗で、現在全国にある風月堂は暖簾分けや、別の系統なのだそうだ。

その昔、小さい頃の東京土産というと「ゴーフル」だった。茶色の丸い缶に入ったゴーフルは、透明のビニール包装だったと思う(記憶に自信ありません)。誰が何枚食べるか、長姉、長兄と争った覚えがある。そんなゴーフルもそのうちに珍しくなくなり、中部地方でもデパートならすぐに手に入り、わざわざ東京で買ったり、お土産にすることは無くなってしまった。時々もらうゴーフルも、しばらくすると湿気てしまい…。

今回はちょうど広小路を通る事があったので、店に入ってみた。もちろんデパートや駅でも購入できるが、出来る事なら本店へ入ってみたいもの。店舗は大きなビルの1階。2階は「資生堂」のように洋食レストラン(パーラー)になっている。そう言えば凮月堂のレストランの評判ってあまり聞かないな。ガラスのショーケースの中に並べられた菓子は、ゴーフルの他にも様々。でもやっぱりゴーフルを購入。昔と違い、明るい青緑色にデザインされた缶に入れられたゴーフルは、アルミの個別包装で、バニラ・チョコレート・ストロベリーの3種類。パリッと割れる食感も、しっかり甘いクリームも昔のまま。何年ぶりだろうか、懐かしい。珈琲の美味しいお供になった。次はパーラーに入ってみよう。(勘定は¥1,080/9枚入缶)

 ↓ 店のカードに載っている明治時代の上野凮月堂

上野風月堂

※正式な表記は「風」の字の「几」中が「百」

東京都台東区上野1-20-10

( 上野 上野広小路 風月堂 ふうげつどう うえのふうげつどう ゴーフル )

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樽平 @東京・銀座 (※閉店)

2015年07月06日 | 東京都(老舗)

銀座8丁目のビルの谷間に店を構える酒場「樽平」。山形県の樽平酒造が昭和2年(1927)(※HPでは3年と記述有)に神楽坂で開店した酒場で、いわゆる郷土料理を出す酒場のはしりとか。この銀座店が出来たのも昭和28年(1953)というから歴史は古い。神田にも姉妹店がある。縄のれんをくぐって店に入ると、カウンターとテーブル席があり、2階には座敷もあるようだ。何軒目かのハシゴの途中だったので、ほんの少しだけと、酒(純米樽酒「樽平」)と名物の玉こんにゃくを注文した。暖簾のかけられたカウンターの上には、仕込み終わった惣菜が積まれている。この銀座で90年近くの歴史があるというのも凄い。もちろん酒蔵の直営という後ろ盾があるからには違いないが、銀座にいることを感じさせない落ち着いた店が親しまれているのだろう。

酒は、酒造の銘柄である「樽平」と「住吉」の名が相合傘で書かれた徳利と、細身の猪口で運ばれた。濾過が控えめなのか、かなり色が濃く、中辛と書いてはあったが、自分にはけっこう辛口に感じる(「住吉」の方が辛口だそう)。つゆの味がしみ込んだ丸いこんにゃくが串に三つ刺さっており、辛子が添えてある。熱々でつるんとした食感のこんにゃくをかじり、燗酒を口に含むと、しみじみと旨い。他にも色々な酒肴が揃っていて、もう1本注文しそうになったが、呑み過ぎなのでこの日はこれだけ。次は芋煮で一杯やりたいな。(勘定は¥1,200程)

※2017年春に閉店したようです

 

 ↓ 有楽町から新橋のあいだ辺り(だったと思う)のJRガード下の街灯。機能のみ重視の今と違って、昔はこういう所もデザインに凝っていてかっこいいなァ。現役で点灯してるのかな。

 

酒場 樽平

東京都中央区銀座8-7-9

 

( 銀座 新橋 銀座樽平 たるへい 樽平酒造株式会社 山形県 山形料理 芋煮 玉こんにゃく ) 

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赤津加 @東京・秋葉原

2015年07月02日 | 東京都(老舗)

世界に名だたる電脳都市・秋葉原。もちろん現在はオタク文化を象徴する街であり、多人数女子アイドルグループの本拠地でもある(そっち方面全く興味無し)。街を歩いていても、メイド服姿や袴姿の女性がビラ配りをしていて、リュックを背負った若い男性がとても多く、近年は主に大陸からの外国人の数も多いようにみえる。そんなガチャガチャした街にも老舗の名酒場が残っている。それが今回訪れた創業昭和29年(1954)の「赤津加(あかつか)」。前から来たいと思っていたが、なかなか時間が取れず、今回もあまり時間に余裕は無かったが、足をのばしてみた。

少し外れた所にでもあるのかと思ったら、まるっきり電気街のど真ん中。周りはビラ配りのコスプレ女性や若者ばかり。その中に場違いなほど落ち着いた雰囲気の黒塀の店があった。暖簾をくぐると那智石を敷きつめた土間にコの字カウンターがあり、周囲にテーブル席。右側が厨房になっている。まだ口開けの時間とあって先客はまばら。厨房側のカウンターに腰を下ろし、菊正宗を燗してもらう。給仕の女性は木の升を使って計量し、徳利を銅壺に沈める。1杯目は白磁の徳利から猪口に注いでくれた。旨いなァ。普段どこででも呑める菊正宗なのに、なんでこんなに旨いんだろう。お通しは大好物のホタルイカ。これで相当呑めてしまう旨さ。周りの喧騒を忘れる落ち着いた空間で、液晶テレビは不似合いな感じだが、ひとりでゆっくり呑む時には意外に良かったりすることもある。土間が若干斜めに傾いた席で、音が出ていたかどうかも忘れてしまうくらいボケっと眺めながら呑んでいた。

次々と客が現れ、席が埋まって行く。自分のようなひとり客も多いが、3~4人のグループ客も多い。予約の電話もうるさいくらいひっきりなし。今はこういう古い居酒屋でも、入れないのを用心してか、みんな予約するんだなァ。この近くだったら色々選択肢があるから、来てダメだったら他所に行きゃいいのに、なんて思いながらお酒と塩辛を追加。口当たりが柔らかくとてもいい塩梅で、旨い塩辛だった(イカばっかり…)。わざわざココに来たい気持ちも分かるかな(笑)。腹は減っていないのでもうこのくらいにしておこう。落ち着いて呑めるいい酒場だった。また来たい。勘定をしてもらって外に出ると、また電脳都市に逆戻り。(勘定は¥2,000程)

 ↓ 風格ある屋根上の「菊正宗」の木製看板。大勢のコスプレ女性がビラ配りをする賑やかな電気街・秋葉原でこの店だけ異空間。

 

 ↓ 秋葉原から「万世橋」を挟んですぐの神田方面。神田司町にある東京で最も古い居酒屋のひとつ「みますや」(創業明治38年・1905・写真下右)。たまには昼間の写真も。

 

 ↓ こちらは多町にある「サカエヤミルクホール」(創業昭和20年・1945)(未訪)。前と店内の雰囲気が違うようだけれど改装した? どちらも基は耐火目的だという銅板の壁が圧倒的。

 

 

大衆割烹 赤津加

東京都千代田区外神田1-10-2

( 秋葉原 外神田 大衆割烹 あかつか 菊正宗 みますや 栄屋ミルクホール )

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やげん掘 @東京・浅草

2015年06月29日 | 東京都(老舗)

現在自宅では2種類の七味(七色)唐辛子を愛用している。ひとつは両国橋のたもとにある「大木唐からし店」のもの。そして、もうひとつが各国からの観光客でごった返す浅草の新仲見世通りにある、ここ「やげん掘り 新仲見世本店」(創業・寛永2年・1625)のもの。昔は「やげん堀中島」と名乗っていたはず。店には何年ぶりかの訪問。年々ひどくなる人混みをかき分け、店の前までやっとたどり着く。広くない間口にたくさん並べられている商品とは別に、ガラスケースの中には七つの香辛料(唐辛子、焼唐辛子、けしの実、麻の実、粉山椒、黒胡麻、陳皮だそう)が分けて入っていて、注文して、その場で調合してもらえる。通常は辛さを伝えればいいのだが、好みがあるときはそれをお姉さんに伝えるとそのようにブレンドしてくれるので、自分専用の七色唐辛子が出来るのだ。

自分は山椒が大好きなので、「山椒を多くして」とお願いした。「辛くなりますけど大丈夫ですが?」と注意が入るが、もちろん問題なし。慣れた手つきであっという間に調合が終わり、「いかがですか?」と香りの確認。挽きたて、混ぜたての鮮烈な香りが鼻腔に広がる。実際味見してみる訳にもいかないので、「結構です」とOKを出し、袋に包んでもらった。缶の入れ物は家にあるからそこに自分で移し替えればいい。最近ではそのへんのスーパーでも全国の色々な銘柄の七味唐辛子を手に入れる事が出来るようになったが、自分専用のブレンドっていうだけで愛着が湧き、使う際にも普段よりじっくり香りを楽しむようになるのがいいところ。(勘定は¥540/30g)

 ↓ 調べていった訳ではないのに素晴しい近代建築に偶然出会うと感激もひとしお。蔵前の「タイガービル」(昭和9年・1934・建造)。木の生える屋上には何があるのか? ※有形文化財

 

やげん掘 新仲見世本店

東京都台東区浅草1-28-3

( 浅草 やげん掘 中島 やげん堀中島 やげんぼり 薬研堀 両国橋 七味唐辛子本舗 七味とうがらし 七色とうがらし なないろ )

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カフェ・ド・ランブル @東京・銀座

2015年06月26日 | 東京都(老舗)

 

もうすぐそこは新橋駅という銀座8丁目。雑居ビルの1階にあるコーヒー専門店「カフェ・ド・ランブル」。昭和23年(1948)創業という長い歴史を持つ老舗だ。場所的には「銀座ボルドー」から2ブロック北あたりになる。表の店の看板には「珈琲だけの店」と書いてあるが、佇まいはごく普通の古い喫茶店という感じ。こちらの主人は、日本の珈琲界(そんな括りがあるのなら)では神様のような人。様々な文献にも登場する。HPにもコーヒーに対する強く、熱い思いが溢れている。念願の訪問。

歩き疲れた体を休めるために夜遅くに店に入ると、常連と思しき女性客が数人、カウンターで店員と談笑していた。自分はテーブル席に座って、メニューを眺める。「珈琲だけの店」の通り、自分が見たメニューには、ストイックにも様々なコーヒーの種類が載っているだけで、他の食べ物や飲み物は見当たらない。。豆の単種だけでも30種類位あっただろうか。「卵黄入り」なんてものもある。コーヒーは大好きで、自分でも毎日淹れるが、(良い豆を売る店は探すが)ストイックに豆や焙煎を追求するほどではないので、正直どれがどんな風味のものか分からない。この店のスタンダードな味が知りたいと思って、メニューの中からブレンドコーヒーの、カフェ・ノワールの中カップ(中濃・ブラック)をシングルで注文した。

この日コーヒーを淹れていたのは若い男性店員。ちょうど自分の座っている所からは手元が死角になり、コーヒーを淹れる所作は見れずじまいだった。自分の座っている席の丸いテーブルには、真ん中に埋め込みの灰皿があるという趣のある特別あつらえのもの。他にも調度品は店の名前が入ったものが多く、拘りがうかがえる。店の中にあるコーヒーの焙煎等に関わる機器は詳しい事を知らないのだが、一杯のコーヒーに対する熱意が伝わってくる。運ばれたコーヒーは小さいカップに入れられ、ソーサーにのっている。香りは意外にもおとなしめ。口に含むとすっきりとした中にもしっかりとした酸味が感じられ、旨い。以前は深煎りで苦味の強いコーヒーが好みだったが、最近好みが変わってきたかな。ゆっくりと口に運び、特別な空間での一杯を楽しんだ。次は絶対カウンターに座って淹れる作業を見ないと。(勘定は¥760)

カフェ・ド・ランブル (CAFE DE L'AMBRE)

東京都中央区銀座8-10-15

( 銀座 カフェ カフェドランブル 珈琲だけの店 関口一郎 )

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喜寿司 (2) @東京・日本橋人形町

2015年06月23日 | 東京都(老舗)

近代建築を観察するために人形町の路地をウロウロ。この辺りはいまだ古い一般建築が残っていて、時折足を止めたくなる建物が散在する。以前にも訪れた「喜寿司」(実際の喜の字は七が三つ)の前まで来たら、急に握り鮨を食べたくなり、全然予定に無かったのについつい暖簾をくぐってしまった。大正12年(1923)創業の江戸前握り鮨の名店。かれこれもう5年ぶりくらいだろうか。木造の一軒家は昭和27年に芸者の置屋を改造したという歴史あるもの。幸いカウンターが空いていて腰を下ろすことが出来た。ピシッとのりの効いた白いカバーの椅子が眩しい。前に来た時には主人は不在だったが、この日は漬け場の中に。雑誌などでよく見かけるが、この方の姿は凛として本当にかっこいい。物腰も丁寧で、女性の先客に旬の鮨ダネを丁寧に説明していらっしゃった。生憎主人の前は先客が座っていたので、自分が握ってもらうのは前回と同じ大ベテランのY氏(名札で名前が分かります)。

お茶とおしぼりを持って来てくれたのは後を継ぐ息子さん。こちらには「おきまり」があるので、握りを注文。「おきまり」は値段が3種類あるんだけど、「並」とか「松」とか名前が付いている訳ではないので、品書きを見ながら「〇千円の」と金額を言わなくちゃいけない。他の客の前で、なんだか恥ずかしいというか…。かじき、漬け鮪、鯵などに混じって、初夏ならではの「ムギイカ」が入っていたのは嬉しかった。玉子は鞍掛けで間におぼろがかませてある。ここの握りもやっぱり旨いなァ。酢飯の塩梅がいい。最後の巻物が出たあと「他に何か握りましょうか?」と訊かれたが、主人の説明を聞いていたらどれも旨そうであれもこれもとキリがないし、食べ歩いていて明らかに喰い過ぎなので断腸の思いで断り、勘定をしてもらった。(勘定は¥3,240)

以前の記事はこちら

 ↓ (下左)喜寿司の隣にある「多和田歯科」。和洋折衷の独特な建築。以前からずっと人気が無いままだ。(下右)逆読みの看板跡が残る向かいの「旧・神谷商店」。何を商っていたんだろう…。

 

↓ 近くの「加島酒店」。金文字の「キンシ正宗」の看板がいい。ここは主人の配達が終わる夕方ごろから角打ち(立ち呑み)が出来るとか。残念、呑んでみたかった…。

 

喜寿司 (㐂寿司)

東京都中央区日本橋人形町2-7-13

( 人形町 日本橋人形町 きずし きすし 油井隆一 ゆいりゅういち 㐂寿司 )

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井泉 @東京・湯島

2015年06月21日 | 東京都(老舗)

湯島にある昭和5年(1930)創業のとんかつの「井泉」。「お箸できれるやわらかいとんかつ」で有名な老舗で、「〇泉」と名前が付くとんかつ屋はこちらが出自だそう。もちろん、今ではこの本家よりも露出が多い青山の「まい泉」もこちらの出身で、もともと「青山井泉」という名前だったとか(ただし、まい泉のHPには出自に関する記述は何もない)。細い路地の奥の、風情ある店の前に来ると、店の前には何人もの行列が。中にはスーツケースを転がしている人も居て、人気の程が伺える。上野駅から歩いて来たのかな。待ってまで喰うのも、と思って一応、店の中を覗いてみると、1人ならすぐにOKとの事で、すぐにカウンターに腰を下ろす事が出来た。ありがたい。狭い店内では、調理場を綺麗な白木のカウンターが囲んでいる。井泉は「かつサンド」発祥の店としても知られている。芸妓衆が食べ易いようにと工夫されたのがかつサンドの始まりだとか。もちろんかつサンド(6切れ)を注文し、汗ばむ陽気だったのでビール(中瓶)も追加した。

狭い調理場には8~9人もの職人が入っていてフル回転。揚げ方の人は店の混雑状況と、揚がる時間を上手にやり繰りし、仲居に確認を取りながら油にパン粉をまぶしたカツを入れていく。あぁ、揚げる音もごちそう。揚がったカツは次々と包丁を入れられ(これもいい音)、盛りつけられていく。てきぱきとした作業を眺めながらビールで喉を潤す事が出来るのもカウンターで食べる醍醐味だなァ。さてそろそろ自分のかつサンドの調理が始まった。スライスされたパンの真ん中に少しだけマーガリン(?)が塗られ、野菜類は何も入らない。ソースをまとったカツが挟まれ、綺麗にカットされ、皿の上に。付け合わせはパセリのみ。出来たてのかつサンドは、口まで持って行くと、懐かしいパンの香りと、揚げたてのカツの香りが堪らない。ふわふわのパンじゃないので、かえってカツとの一体感があって、最高に旨い。これにビールだもん、言う事なし。(勘定は¥1,500)

 ↓ 食べた後に寄った神田和泉町の「和泉町ポンプ所」(大正11年・1922・建造)。建物の壁は修繕されているようだが、周囲の煉瓦塀は当時のままのよう。

 

 

井泉 本店 

東京都文京区湯島3-40-3

( 湯島 上野広小路 御徒町 井泉 井泉本店 いせん いせんほんてん かつサンド 元祖かつサンド カツサンド )

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不二家 飯田橋神楽坂店 @東京・神楽坂

2015年06月18日 | 東京都(老舗)

横浜・元町で明治43年(1910)に創業したという洋菓子店「不二家」。今では全国にチェーン展開し、何もブログで取り上げることもないが、今回泊まった神楽坂には「日本でここだけ!」と謳う「ペコちゃん焼」があることで有名。昔はペコちゃん焼を売る店が10店程あったというが、今は全国でここだけ。どうしてこの店だけになってしまったのか…。発売され始めたのは60年代の終わりというが、2007年に不二家が不祥事を起こした際に、この店だけ独自路線で販売し続けたりして注目され(自分もニュースで見た)、何だか他の店舗と違う独立性を感じた方も多かっただろう。店は半地下になっていて、店の中でどんどん焼かれていた。長蛇の列という訳ではないが、常に行列が出来ていて大人気。せっかく店の前を通ったので家族のお土産にと思って、賞味期限を店の人に確かめてみると「当日中」との答えで断念。結局、味見としてひとつだけ購入した。色々な餡が発売されていて、中には惣菜タイプのものまであったが、結局ごく普通の「小倉あん」にする。

宿泊先の部屋に落ち着き、出していただいたお茶と共に早速食べてみる。購入する前はいわゆる人形焼きみたいに、フワッとした記事にあんこが入っていると思っていたが、カリッとした皮に入っている。つまり今川焼(大判焼)。それでもペコちゃんの顔の形なので厚みがあり、食べた感じもちょっとだけ違う(気がする)。店内で焼いているし、出来た端から売れていくので熱々。目の部分が飛び出ているので、ちょっと怖い顔になっているが、なかなか旨いものだ。他で売っても充分売れそうな気がするんだけど、「ここだけ感」がいいのかな。それともこの店にしかないコツでもあるとか…。(勘定は¥138/個)

 ↓ 神楽坂の狭い路地の中に趣ある千鳥破風の「熱海湯」(昭和29年・1954・建造)に行ってみた。もちろん夜に出直して実際に湯船に浸かる。高い天井にタイル絵、それに富士山のペンキ絵という絵に描いたような典型的な銭湯。

 

 ↓ さすがに御徒町にある「燕湯」程ではないが、やはり東京の銭湯は熱い。素晴しい佇まいで、最高に気持ち良かった。帰り際には小雨が降り、神楽坂の石畳がしっとり濡れて何ともいい雰囲気に…。

 

 

不二家 神楽坂飯田橋店

東京都新宿区神楽坂1-12 

( 神楽坂 飯田橋 かぐらざか ふじや ペコちゃん焼き ぺこちゃん焼  熱海湯 あたみ湯 ちどりはふ 石畳 )

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芋甚 @東京・根津

2015年06月17日 | 東京都(老舗)

 根津神社から不忍通りを渡って東側にある甘味処「芋甚」。創業は大正元年(1912)。ビルの1階部分が店舗になっている。大正以前は焼き芋屋だったそうだ。初代が甚蔵と言う名で、その頃からの通称が「芋甚」。現在はそのまま店名になっているが、今の建物に建て替えるまでは「尾張屋」という屋号を名乗っていたとのこと。店は近所の子供やご老人たちが集まる格好の場所になっているようで、次から次へと客が歩いて訪れていた。子供達はその辺でわいわい言いながら食べているし、お年を召した方は店先でお店の人とおしゃべり。地元の人に愛されているんだなァ。

この日は少し汗ばむ程の陽気だったので、自転車を停め、店先で小倉アイスモナカを注文。本当は店の中でアベックアイス(小倉とバニラ)にしようと思ったんだけれど、食べ歩いていて胃を酷使していたので自重した。行儀は悪いが、その辺で立ったままかぶりつく。自家製の小倉アイスは口解けの良いサラッとしたもの。その場でやや厚めの最中種(皮)に挟んでくれるので、サクサクの食感とアイスが相まって、旨い。もちろんアイスの甘味は充分感じられるが、ベタっとしない加減がちょうどいい。これならアベックアイスも軽くいけたな。訪問した4月末にはまだ「氷」の暖簾は出ていなかったが、今頃はかき氷が盛んに出ている頃だろうか。(勘定は¥130)

 ↓ 「根津神社」はちょうど境内のつつじ(3,000株もあるとか)が咲き誇り、午前中から国内外のたくさんの観光客でにぎわっていた。

 

甘味処 芋甚

東京都文京区根津2-30-4

( 根津 谷中 芋甚 いもじん 尾張屋芋甚 アベックアイス 昭和焼 小倉アイス 小倉最中 つつじ苑 つつじまつり )

 

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