プノンペンの風景 11 夜の町のザボン売り

日本にて   金森正臣(2006.3.23.)

プノンペンの風景 11 夜の町のザボン売り

写真:夜の町でリヤカーにザボンを積んできて売っている女性。夜には市民が夕涼みに出てくるので、かなりの客がある。以前はアセチレン灯が多かったが、最近は自動車の中古バッテリーを使った蛍光灯が主流。ザボンは、丸のままのものと、表皮を丁寧に剥いたものが準備されている。

 カンボジアには幾つかのザボン(カンボジア名は、クローイ・トロン。ザボンとは別種と思われるが、良く似ている)の産地があり、首都に出荷されてくる。なかなか根性もので、皮が厚く簡単には剥けない。その代わりというか、小さい方の袋を剥いても結構長持ちし、タッパに入れ冷蔵庫に入れておくと1週間ぐらいは持つ。皮付きであれば、30度を超す室温でも3週間ぐらいは十分持つ。さすが熱帯産と感心する。とにかく大きいので、1個買うと1人で食べていると、3-5回になってしまう。

 夜店で皮を剥いて売っている物には、塩・唐辛子が付いている。カンボジアの人達は、この塩・唐辛子を付けて食べる。カンボジア人は、色々な酸味の強い果物に塩・唐辛子を付けて食べる。青いマンゴー、ガバ、ナツメなどにも付ける。
 果肉は硬く締まっており、小袋も硬いのでザボンと同じように剥きやすい。簡単には汁がこぼれないので、食べやすい。味は酸味が少なく、甘すぎないのでかなりの量が食べられる。それでも大きい。サラダに入れると美味い。カンボジア流では、干し牛肉を焼いたものと一緒に食べたりする。最初は結構抵抗があったが、生ハムと果物が合う様な感覚だ。

 カンボジアの一般家庭にはクーラーが付いていない。夕方になると外に出た方が涼しいので,皆良く夕涼みに出てくる。9時頃までは結構外にいる。良く買い食いするし、買って帰る人もいる。色々な屋台がでて毎晩各地がお祭り騒ぎになる。1999年ころには、こんな雰囲気はなく、夜歩くのは危険な感じであった。2001年頃から、ボツボツと皆が楽しむことを始め、現在では多くの人が平和を満喫している様に思う。

 今世紀は、戦争の世紀であると私は思っているが、実際に各地で紛争が絶えない。20世紀は、国の覇権争いの戦争の世紀であったが、今世紀と来世紀は、宗教対立の戦争が絶えないであろう。特に一神教(キリスト教やイスラム教・・)は、他の神を認められないから、究極的には他の宗教と共存することは出来ない原理だ。仏教やヒンズー教は、基本的には多神教で、他との共存を原則とする。仏教の一部には他の宗派も認めない一神教と同じ某学会もあるが、本来的には多神教である。だから土俗信仰も消えてしまわない。この様に書くと、希望も何もない世界の様に思われるかも知れないが、その心配もない。

 皆さんは、平和をどの様に考えておられるだろうか。日本はすっかり平和ボケしている様に思われるが如何であろうか。平和は、机上の空論では実現できない。1人1人が平和の持ち主でなければ、平和にはならない。まず自分の心の中の怒りを取り除かなければ、平和はやってこない。自分の中にないものを、人に要求するのは、自分勝手すぎないであろうか。自分の心の中の安定も得られないで、人様が平和に向かう手助けなど出来ない。

 子ども達に教えるにしても、他国の平和への道を手伝うにしても、まずなさなければならないのは、自分の心の中に平和を構築することでは無かろうか。持っていないものは伝えられない。自分のことを整えることは、何よりも第一に自分自身の人生のためになる。このことに気が付けば、何処で何が起こっていようと、しなければならないことはまず自分の中からであろう。如何に戦争の世紀であろうとも、悲しむことも迷うこともない。自分のすることはハッキリしている。

 海外で他国の平和のために貢献したいと思って、活躍している人達は多い。他人のことに色々意見を言うことは易しいが、自分の中を整えることが一番難しい。この辺のことをはき違えている人が多いので、日本人を平和ボケと言ったのである。皆さんはどの様に考えておられるのであろうか。内戦終結後の日が浅いカンボジアにいると、様々なことを考えさせられる。
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