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金森先生のカンボジア日記

金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記

新年のごあいさつ   

2009年01月01日 | 文化
新年のごあいさつ   2009/01/01 金森正臣

 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
 
 今年の仕事始めは、雨水の採集とpHの測定。昨夜から36mmの雨が降り、今朝の6時の気温は、22.7度。いかに一番寒い時期とは言え、かなり涼しい。昨年の終わりに、26、27、30日と雨が降り、乾期であるのに異常に雨が多い。20年ぐらい住んでいる人も、こんなことは初めてとあきれ顔。大陸の気候は、かなり変化するから、すぐに地球温暖化の影響などとは言えない。しかし、かなり珍しい現象。

 日本でも13年住んでいた菅平で、一度だけ非常に遅くに雪が降ったことがあり、多くの木の新芽がすべて枯れた。その後、ブナの林の調査の時に、200年ぐらい前に起こった天明の飢饉の痕跡を年輪から調べて感激。「天災は忘れたころにやって来る」と言う諺にも感心した覚えがある。多くの生物が、この様なほとんど見ることの出来ない時間間隔で起きることに対応している。自然はすごい。

 明恵上人の歌に「打つ人も、打たれる人ももろ共に、ただひと時の夢の戯れ」と言うのがあります。人間は自然に比べると、ほんの一瞬の生命だから、何があってもあまりくよくよせずに、まあ今年もボチボチ行きますか。

今年を振り返って    

2008年12月31日 | 文化
今年を振り返って    2008.12.31. 金森正臣

 ようやく今、今年中にと思っていた仕事を一応終わった。まだ多少気がかりが残っているが、まあまあ終了。

 今年は、主に怪我のリハビリで終わった様な気がする。まだ筋肉は、全部戻っていないが、体力は少しは戻って来た。年をとるとやはり時間がかかる。夏以降は、なんだか状況が変わって、来年10月に帰る予定は、少し延期。でも、カンボジアの教育は、思っていた以上に改善できそうで、楽しみである。

 カンボジアは、正月が仏教式で4月のため、西暦の正月は何もなし。今日も授業が普通に行われている。暑いし、正月気分にならない。

 皆様にとりまして来年が、良い年でありますように。


朝の公園の三味線弾き 

2008年12月28日 | 文化
朝の公園の三味線弾き       2008.12.28. 金森正臣

 散歩をしている公園に、ある朝、突然三味線弾きが現れた。正確にはカンボジアのこの楽器は2弦であるから、三味線とは異なる。竿がかなり長く太い。このおじいさんはかなり安物を使っているらしく、いかにも自分の手作りかと思われるほど。しかし胴も竿も赤く塗ってあり、派手さは目立つ。

 前にはバケツを置いて、お布施を待っているが、隣にはポットが置いてあって、お茶でも飲みながらしているのだろうか。実入りはどのくらいあるだろうかと心配になって覗いてみたが、2.5円程度のお札(100リエル札)が数枚。気の毒に思って、1ドル渡すと急いでそれはポケットに入れてしまった。あまり大入りだと、その後のお布施が少なくなるのだろうかなどと勘ぐってしまった。きっとトラの子が風に飛ばされないためであろう。

 音はかなり割れた音がするが、それでも生演奏で、結婚式や葬式のスピーカーから流れる音楽よりは余程増し。それほど大きな音も出ないから、近所迷惑も無い。

 お布施を出したら、突然おじいさんの歌が止んだ。おごそかに何かを唱えている。どうもお布施を貰ったので、お経を唱えているようだ。お坊さんはお布施を貰うと、必ずお経を唱える。この年代の人たちは、男子は必ず何年かはお寺で修業しているので、お経もお手の物。しばらくするとまた、おじいさんが突然歌い出した。


 ここのところカンボジアの教育の本の原稿に追われて、四苦八苦。やっと今日一次原稿を書いた。2足も3足も草鞋を履いているから忙しい、と言ったら、3足は半端だから、4足履くと左右のバランスが取れて楽になるよと、言った友人がいて妙に感心。やはり4足の子孫だからナー。

カンボジア人のモラル事情:写真説明3

2008年12月22日 | 文化
カンボジア人のモラル事情:写真説明3

 近所迷惑な結婚式。都市部では家が広くないので、道路を封鎖してテントを張って会場にする。2000年以前にはあまり見られなかったが、豊かになるに従って多くなっている。以前には3日間も行う家も多かったが、最近は1日で終わる家が多い。朝5時ころからの大音響の音楽や、お坊さんの来たときのお経などをスピーカから流す。カンボジアの結婚式では必ず、お坊さんを数人呼ぶ。ほんとに近所迷惑だが、だれも文句は言わない。お葬式も同じ様式で行う。

カンボジア人のモラル事情

2008年12月22日 | 文化
カンボジア人のモラル事情              
2008.11.8. 金森正臣 NIEサイエンスアドバイサー

 この文章は、日本人会の会報用に書いたものです。最近カンボジアの教育に関する本の原稿に追われて、その他のことが何も進まないでいます。でも元気ですので。


 カンボジアにおけるモラルと日本におけるモラルは、ずいぶんと異なり違和感を覚えることが多い。例えば、カンボジア人は、寝間着と思しき服装で平気で街に出る。寝間着にも使っているのかと聞いてみたら、寝間着は別にあるという。セクシーで涼しいから、気に入っているぐらいの感覚である。日本の大学院に留学する若い女性教官には、寝間着で大学に行かないように注意した。写真は、家具屋さんの店員の仕事着としてのパジャマ。
日本では、パジャマからの連想は、寝姿・寝室・性などで仕事着としては社会的には受け入れられないところがある。「ハシタナイ」などの言葉が示すように、表向き好まれる女性の姿ではない。実際に男性が「ハシタナイ」と思っているかどうかとなると怪しくて、案外セクシーさを連想させる方が引かれるようにも思われる。この辺の本音と表向きの顔が大きく異なるのが日本流で、カンボジアの方が本音に近いところが表現されていると思うことが多い。

 動物としての雄と雌の駆け引きを考えてみると、社会の成り立ちによってその許容される範囲が異なっている。社会に余裕があって円熟してくると、優雅さや気品が尊重され、直接的な性的魅力は疎まれる傾向にある。しかしながら、そのような社会にあっても直接的な性的魅力を残している部分もあり、社会全体が一つの価値観に縛られることは無い。現在の日本の社会では、直接的な性的魅力の表現は、蔑まれる傾向にある。これは無意識の心理学的に考えると、本音をあからさまに見せられて、自己の内面にある本音と社会に対する表向きの立派な紳士面が衝突するからであろう。立派な成人であるならば、性よりも生死の問題の方が明らかに普遍的であるが、多くの人々はこの問題にはあまり関心を持っていない。

 モラルを考える場合に、カンボジアと日本で大きく異なるのが、マナーの及ぶ範囲であろう。同じ水田農耕社会であり、仏教国であるがかなり異なっている。
 日本の社会は、家族を含んだ集落が一つの単位となっており、「村八分」のような言葉が存在する。即ち、集落から外れることは、社会から外れることを意味する。これは日本の社会が、水田農業を中心として成り立っており、水の管理のために集落の共同作業が不可欠であったことと関係していると思われる。同じ水田農業を中心とするカンボジア社会は、水田の水の管理を共同ですることは少ない。これは多くの水田が、メコン川の氾濫原を利用しており、水が引いてゆく時に稲作をしている。水に関する共同作業は、ほとんど見られないからであろう。カンボジアの集落の中で生活してみると、一つの集落の様に見える場所も、実は血縁親族関係とお寺関係の二重構造をしており、日本の集落とは異なることに気が付く。お寺関係も日本の様な檀家制度は無く、一家族はいくつものお寺にお参りに行く。特にクメール正月には、期間中に6-7か所のお寺をめぐり歩くのが普通である。一方、一つのお寺には特定の世話役が数人おり、この結びつきが結婚や葬式を執り行っており、この時には世話役に属する縁者がその寺と結びつく。
 カンボジアも日本と同じ様に、多神教である。日本の多神教では、いつどこでも神様が見ているから、悪さができないように教え込まれる(最近はほとんど教えられていないから、多くの混乱が起きている)。カンボジアではこのようなことは無く、気配りをする範囲は、家族や親族に重点が置かれる。もちろんお寺の世話役などやお寺でのマナーは、すべての人が気を配っている。カンボジアの若者の多くは、寺の門をくぐると脱帽し、出る時までかぶることは無い。日本の若者からは、このようなマナーは既に消失している。
 カンボジアの家庭に入ってみると、非常に細やかな気配りをしてくれる。しかし道路で会う人や学校で会う学生たちは、知らない人にはほとんど気を配らない。集落の中でも隣であっても、あいさつ程度であまり親近感は無く、結婚式や祝い事があっても呼んだりしない。最近では薄れているが、日本の集落社会では、「遠くの親せきより、近くの他人」と言われるように、隣近所にそれなりの礼をつくす。結婚式などで朝早くから近所迷惑な大音響の経と音楽は、この様な隣近所に配慮を欠く行為だと思うが、カンボジア人にとっては普通な行動であろう。
 このようなマナーの及ぶ範囲が異なり、我々に戸惑いを起こさせる。我先に進めるところまで進んでしまう交通マナー、人の直前を横切る行動など探し出したらきりがない。

 カンボジア人と日本人では、羞恥心についてかなり相違がありそうだ。市場などでは、昼下がりになると、売り場のあちこちで商品の上や脇で寝ている人たちを見かける。特に店番をしている女性が多い。売っている書籍の上をベッド代りに寝ていた女性がいたし、肉屋のおばさんは、先ほどまで肉を売っていた台の上で堂々の昼寝、布屋のお姉さんは、布の谷間で昼寝。日本人は昼寝の習慣も少ないが、人前で寝るのはなんだか熟睡できない。
 カンボジア人は、どこでも食べる。市場の狭い通路の間で、弁当を広げ、人前でも食事は平気。日本人は、食堂などで皆が食べていると人前でも平気だが、自分だけ食べていて多くの人が食べていないと安心して食べられない。感心して見ていると、一口食べるかと言わんばかりに勧めてくれるおばさんもいる。食いしん坊の私は、進めて頂くと遠慮しないことにしているが、3-4段重ねの弁当には、なかなかいろいろの味が詰まっている。
 だいぶ前だが、王宮前のトンレサップで、水浴をしていた女性たちがいた。妙齢の夫人とはいかなかったが、まだ十分に若い女性である。大きなクロマーの様な布を胸に巻きつけて水の中に入り、しばらくすると布をはずして洗濯をしていた。確かにトンレサップは濁っているから見えるわけではないが、大勢の観客が土手の上から見ているところで、大胆な行動である。昔、混浴の濁り河(ニゴリゴ)温泉(御岳の岐阜県側の温泉)で、「見られて減る物でもなし」と発言した女子学生が居て一同唖然であった。しかし実際には、彼女は一緒には入らなかった。それにも増して大胆な行動である。この辺にカンボジアと日本の羞恥心の相違があるように思われる。

 本来動物のメスとオスは、いかにして相手を引き付けるかが最大の課題である。
いかにして異性の注目を集めるか。日本では、仏教の影響があり、直接的に性的アピールをするのはあまり上品ではないと思われている。男性はかなり身勝手で、本音では性的なものに引かれながらも、結婚する相手は上品な方が社会の受けが良いし、良い家庭が築けると思っている。
 カンボジアでは、ヒンズー教の影響か、性は神聖なもので隠すものではないと思われている部分がある。例えば「リンガ」(男根)は、多くの古い寺院にある。日本でも田形神社の祭りは有名であるが、どこの神社でもさらしてあるといった類のものでは無い。
 私の勤めている前には、ワットランカーと言う有名なお寺がある。多くの坊さんたちが修行をしている。修業中は、女性に触れるとそれまでの修行が全て水泡に帰すと言われている。寺の中を歩いていると、卒塔婆(日本では石塔の後ろなどに立てる板状になっているが、カンボジアでは納骨できる塔になっている)の4つの壁面に、上半身裸のアプサラの像が作られているものがあった。いかに女神とは言え、裸身の女性を彫りこむのは日本のお寺では考えられない。この様な感覚は、性こそ神聖なものとするヒンズー教の影響が、色濃く伝わっているからであろう。
 社会や文化の成立の過程が異なると、異文化に戸惑うことも多い。

バナナ売り 

2008年12月11日 | 文化
バナナ売り      2008.12.11. 金森正臣

 朝散歩に歩くと、公園の脇にバナナ売りが居る事がある。月に4回あるお寺の日には、決まって門前にバナナ売りが数人登場するが、朝の公園は不定期だ。

 写真の様に、バイクに木枠を組んで、バナナをつるす。バナナの1つの軸には、大体8房のバナナが付いている。カンボジアでは、バナナが4房付いたものが一つの単位で、特別な呼び名があって、それで大きな取引は行われると言う。確かにどの軸にも8房が付いている。左右バランス良く22房を持ち歩いている。

 試しに一房買ってみたら、2000リエル。2分の1ドルである。単純計算すると、全部で88ドル。結構な額を積んでいる。プノンペンで一家が暮らすのに、200ドルと言われている。3割程度の利益があるとすれば、全部売って26ドル程度。朝1時間ぐらいで勝負がつけば、結構良い商売かもしれない。

 左の隅に見えるのは、モンキーバナナでやや高く、1房3000リエルぐらい。手前の量の多い方が一般に好まれている種類で、安くてやや酸味があり美味い。生で食べるだけでは無く、甘いスープにプチプチのタピオカを浮かべたデザートに調理したり、茹でバナナ、焼きバナナなどにしたり、もち米とバナナの葉で包んで蒸すなど多様な調理方法もある。熱帯では、バナナは日常の重要食材である。

農家の裏の畑  

2008年12月07日 | 文化
農家の裏の畑    2008.12.7. 金森正臣

 農家の裏に回って見ると、畑が耕されており、次の蒔きつけの準備が行われていた。カンボジアでは、なかなか二毛作や二期作はしないので珍しい事例である。この地域は、昔NGOが入り農村の向上に向けて支援を行っていた。その後、カンボジア人が引き継ぎ、SEDAC(セダックと呼ばれている)と言うNGOになって全国的に活動を展開している。
その人たちの指導が、かなり成果を上げていることは、来る途中の水田を見ても明らかである。どの水田も一応稲がそろっていて、管理の技術が他のカンボジアの地域とは異なる。裏の畑には、トマトの苗床もあり、かなり計画的である。この様になって来ると、農家も自然に収入が増えるであろう。

 ウシを使って畑を耕した農具が、畑の脇のマンゴーの木に立てかけてあった。写真に見えるのは、2頭のウシに引かせる引き具。カンボジアでは、ウシに引かせる時には必ず2頭立てである。小さなウマが、一頭で引いているのとは異なり、ウシは必ず2頭。農家が貧しいことを表すのに、「あの家は牛が1頭しかいない」と言う言い方があるほどである。
畑は浅く耕したようで、引き具には竹の竿が、2本縛り付けてある。この先にレーキ(土の表面を攪拌して均す農具)でも付けていたのであろう。

 カンボジアでは、車をけん引する時にも、竿を使うのが普通で、ロープでは無い。この場合には、けん引する方とされる方が一緒のスピードだと良いが、下り坂なので引かれる車が早くなると良く外れる。また上り下りが多いと良く外れる。海辺の町に行った帰りに、車が故障しけん引を頼んだ。もう夜のことでもあり、よく外れてけん引車が先に行ってしまう。またバックしてきて縛り付けるために時間がかかり、プノンペンに真夜中に帰った記憶がある。普通は、農具のけん引には、少し遊びが無いとうまく使えない。竹の竿の先には、遊びがあるのだろうかと心配になった。


農家の庭先 

2008年12月06日 | 文化
農家の庭先      2008.12.6. 金森正臣

 一昨日訪れた農家の庭先。丁度稲作の収穫期に入って、庭先にモミが干してある。それをニワトリがつついているが、だれも追い払わない。人がいないわけでは無く、見ていないわけでもない。暇そうなおばあさんもいるし、子どももおじいさんも見ている。しかし、誰も追う気配はさらさら無。日本の農家では考えられない風景だ。それだけのんびりとしているのか。貧しいながらも、飢え死には無いと言われるカンボジアの文化らしい。稲刈りでもそうで、このあたりでは高刈り(根元から刈らずにかなり高いところから刈る。穂刈り:穂だけ採る、よりも下から刈る)をしていて、穂がまだ残っていてもあまり気にしていない様だ。水田に水が残っているので、高刈りした稲の株の上に、稲束を置いていた。ニワトリが食べた分は、また卵になって帰ってくるから良いか。昔の中国の農業書(2000年以上前のものだったと思う)には、アワを食べるよりは、それをニワトリに食べさせて、卵を食べるのは、貴賓農業であると書かれていた。

 干してあるモミの色を見ると、手前がやや濃く向こう側がやや薄い。近づいて見ると、手前のモミは小さく、向こう側は大きなモミ。明らかに品種が違う。あぜ道を歩いていても、かなりいろいろな品種が植えられている。背丈も異なるものが数種あるし、穂の色の異なるものも5種ぐらいは見分けられる。確かに市場に行くと、コメの品種は多く、10-15品種が置かれており、赤米もモチとウルチがある。あるとき買ってきてご飯に炊いたら、カウンターパートにそのコメはご飯の米では無いと言われた。お粥専門の米もあるようだし、クイティウ(米でつくるソーメン)専用の品種もある。モチゴメも日本のモチモミの様に、ノゲ(先につくヒゲ)が長く無い。場所が違うと戸惑うことが多い。

 向こう側には、ヤシの木陰にウシが、ゆったりと涼んでいる。