はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

満月とシラス

2006-02-27 12:03:30 | はがき随筆
2月27日
 その夜は真冬なのになま暖かく、雲間から満月が顔をのぞかせて雨も上がった。きっとこんな晩にシラスが上げ潮に乗って一斉に川を上るだろうと予感がしたので、車に合羽と長靴と懐中電灯を積んで大潮の海に向かう。
 肝属川の川口はちょうど満潮。砂地の波打ち際で漁師さんが膝まで海水につかって大きな柄の網ですくう。ライトに照らされ、体長7~8㌢の半透明のウナギの稚魚が躍っている。私は夢中でカメラを回した。
 渚には点々と灯りの列ができ、黒い人影が波と戯れ、沖には船の漁り火がゆらゆら輝いていた。
   鹿屋市札元 上村 泉(64)

満足な時間

2006-02-27 11:55:44 | かごんま便り
 「よう-きたの-」。この地の田の神様は太鼓腹で大歓迎してくれるような格好をしていた。
 鹿児島神宮(霧島市隼人町)のすぐ下。田の一角に、右手にしゃもじをかざし、左手に飯碗を持っている。そばの説明版には、高さ83㌢、大きなシキ(蒸しものをするとき蒸し器の下に敷く)を頭にかぶり、田の神舞を舞おうとしているかのようで、1781(天明元年)につくられた、などとある。
 五穀豊穣を祈り、願い、農民と田を200年以上も守り続けている石像の神様だ。干ばつ、飢饉の時もあったろう。米の一粒一粒が貴重な時代もあったろう。変わらないのは四季の移ろい。長い年月で摩耗した神様の顔をじっと見ていると、気持ちが温かくなってくる感じがした。
 全国に田の神の信仰はある。その中で石像として祭る風習があるのは鹿児島県(奄美地方は除く)と、宮崎県の一部の旧薩摩藩領内だけだと言う。
 鹿児島神宮に詣でると、各地の神社にあるような守り札や、破魔矢の他に、珍しいものがあった。板を魚の形に切って車輪を付け、赤い色に塗ってある置物だ。巫女さんに尋ねると「鯛車」と教えてくれた。
 もしやと思い、祭神を調べると彦穂穂出見尊とある。山幸彦のことだ。これで鯛車だったのかと納得した。昔話の「海幸彦と山幸彦」。古事記に出てくる神代の物語。
 ずっと以前に苦労しながら古文を読んだ時のことを思い出した。有名な釣り針の話を中心に展開されているが、海の神が住むワタツミの宮や、アシカの皮「美知皮」が敷物として出てきたり、豊玉毘売とのラブストリー、その姫が大きなサメの化身だったりと、なかなか興味深い内容だった。
 それにしても古い神宮である。由緒も901年に大社に列したとあるから、その以前から建立されていたのは間違いないだろう。県内最大の木造建造物だという。なるほど、さもありなん。
 陽気に誘われて、ちょっとしたドライブのつもりが、その地の風俗や古事記の時代に触れる時間になった。これだけでも十分に満足した。参詣した記念の品はもちろん鯛車。
 境内の桜の蕾はまだ固く小さいがつやが出ている。新緑の色も鮮やかだ。野鳥の声も弾んでいるかのようだった。春近し。
   鹿児島支局長 竹本啓自  (毎日新聞鹿児島版 2月27日掲載)