
春先に川で見つけたメダカは、糸に目が付いただけの小さな魚だった。すいと進んでは止まり、角度を変えてはまた、つつと泳ぐ。不思議な動きはメダカそのものだった。初めは水替えの時にメダカを流してしまいそうで怖かったが、成長してくると思わぬ動きに肝が冷える。水流をつくると走性を示し、メダカの学校そのものになる。「誰が生徒か先生か」わからない状態だが、あえて言うなら「流れが先生」なのだろう。基本は自由だが、時流には乗る。世渡りの極意をメダカは知っているのだろうか。だから「お目が高い」のかもしれない。
鹿児島市 堀之内泉 2017/9/28 毎日新聞鹿児島版掲載
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