はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

すまなかったね

2011-08-13 07:08:53 | はがき随筆


 4月、燕が車庫に巣作りし、ひな育ちも順調そうだった。
 ところがある日、巣は無残に壊され亡きがらも散っていた。さてはカラスめと思い侵入路に網を張ると、新カップルがそれをくぐり抜けて巣を作った。
 やがて、どうやら猫だとわかり、ジャンプ台の車を外に出した、親燕は安心したのか時には私の肩近くに止まってくれた。かわいい小さな目をして。私も口笛で勝手に応援をした。
 なのにまたも猫にやられてしまった。油断して車を一時、元に戻してしまったせいだ。
 ほんとにすまなかった。3度めのひなは元気に飛び立った。
  出水市 松尾繁 2011/7/31 毎日新聞鹿児島版掲載

親子の関係

2011-08-13 07:01:32 | はがき随筆
 思うに、親子関係にも悲喜こもごもの情景が余りに多い。愛と憎しみは表裏の関係だ。例えば、食事を減らして子に与える親、初任給を届け親を旅行させる子、季節ごとに旬の物を子に贈り故郷をしのばせる親、老老介護親を心底支える子など。一方、愛する幼児にやいばを加える母、ギャンブルにおぼれ子の学資の滞る父、介護疲れを理由に親の命を絶つ子、醜い遺産分けなど枚挙に暇がない。
 テレビで、草原の鳥獣の慈しみに満ちた子育てを見るたび、人間の親子関係のもろさに憤慨する。欲を捨てもっと純粋な人間になれないかと心底悩む。
  薩摩川内市 下市良幸 2011/7/30 毎日新聞鹿児島版掲載

赤い半月

2011-08-13 06:33:43 | 女の気持ち/男の気持ち


 私が9歳の時のこと。夏休みになると熊本県水俣市袋の祖父母宅へ何回も行って泊まった。蒸気機関車で鹿児島県の米之津駅から隣の袋駅まで行った。冷水が飲める駅前の井戸端を通り、桜並木を歩くとすぐに祖父母の家に着いた。クマゼミが激しく鳴いていたものだ。
 掘っ立て小屋のような家の土間に立つと、すぐ前にいろりを切った板間があった。一段高い右手には仏壇があり、壁には戦死した息子2人の軍服姿の写真があった。半裸の祖父の右肩には日露戦争で受けた銃弾の傷跡が見えた。明治天皇からいただいたという勲章も見たことがある。
 祖父母は戦死した息子の年金とわずかな借地の農業で生計を立てていた。夏期にスイカを作り、水俣の市場まで担いで出荷した。商品にならないスイカをもらって帰るのが、小学生の私の任務だった。
 風呂敷に4個も包むと重いものだった。米之津駅から家までの3㌔を、割らないように歩かねばならない。が、苦にはならなかった。私は家族の喜びを運んでいたからだ。
 祖父母の家に泊まると、翌朝、夜明け前に祖父はスイカ畑へ私を連れて行った。朝露にぬれたスイカを左利きの祖父は巧みな鎌さばきで割った。冷えたスイカは腹の底の底まで染みわたったものだ。
 今年もまたクマゼミの声を聞く。そしてスーパーで赤い半月のようなスイカを見る。たまらなく切なくなる。
  出水市 中島征士 2011/7/30 毎日新聞の気持欄掲載

梅雨と野菜

2011-08-13 06:27:09 | はがき随筆
 梅雨時の野菜づくりは、哀れだ。今年は特にひどかった。畑は水浸しになり、多くの野菜が腐ってしまった。ゲリラ豪雨が何回も襲って来ては防ぎようがなかった。春、夏を楽しみに種まきから始めた野菜づくりだった。
 梅雨に入るまでは順調で、おいしく楽しんでいた。ネット内のトマトまでも小鳥にやられ、他の野菜も日照不足で生育が悪かった。自給自足を目指した野菜づくりは悲しかった。
 今度は命がつながっている野菜に土寄せ、追肥などをし、好転を望みたい。息を吹き返す野菜を静かに待つとしよう。
  出水市 畠中大喜 2011/7/29 毎日新聞鹿児島版掲載