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はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

妄 想

2018-06-25 21:39:09 | 岩国エッセイサロンより


2018年6月24日 (日)
岩国市  会 員   稲本 康代

 梅雨の晴れ間に裏山を散策していると、草が生い茂った中にササユリが1輪咲いている。じっと見つめていると「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」。思わずこの言葉が出た。細くしなやかな茎につく百合の花が風を受けて揺れるさまは美しい女性が楚々と歩く姿を連想するとネットに書いてある。
 (あ~私には無理、到底、まねできないなぁ)とつぶやきながら、でも一瞬(私は花なら何だろうかな)という思いが頭をよぎった。いやいや、考えるのはよそう。打ち消して庭に出ると、鉢植えのサボテンが笑ったように見えた。
   (2018.06.24 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

母の日を過ぎて

2018-06-21 02:19:22 | 岩国エッセイサロンより


2018年6月19日 (火)
   岩国市   会 員   片山清勝

 私が結婚したのは、父が急逝した年の翌春だった。ほどなくして妻から「母の日の贈り物は何にしましょうか」と相談を受けた。
  「母の日」 「父の日」があることは知っていた。だが、両親への感謝の気持ちを贈り物に変えたことはなかった。「心配を掛けず、真面目に勤めることが何よりの親孝行」。それが信条だった。仕事に対する父の真摯な姿を見ていたために違いなかつた。
 初めての母の日の贈り物が何だったか、記憶していない。その後、妻の考えで毎年贈り物は続いた。
 母は20年余り私たちと同居して、最期は望み通り、妻に手を握られて入院先で亡くなった。
 贈り物のことを思い出したのは、母の三十三回忌を母の日の直前に済ませたからだ。長男の務めの一つを済ませたという以上に、今回は思うところがあった。
 私ら夫婦は、祖父母と父の五十回忌を無事済ませてきた。次は母の五十回忌。その時、私ら夫婦は90代半ばになる。長い時間の向こうにある。行えるかどうか何とも言えない。
 今回の務めが「最後の母の日の贈りもの」になるかもしれないと、少し弱気かもしれないが、そう考えずにはいられなかった。参列した身内も知らない母のことを妻は話していた。
 母の日、京都に住む息子と嫁の連名で花が届いた。息子から妻への初めての母の日の贈り物だった。
 わが家の母の日は、2代続いて長男の結婚から始まった。

    (2018.06.19 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

感性が大事

2018-06-21 02:17:18 | 岩国エッセイサロンより
2018年6月20日 (水)
  山陽小野田市  会 員   河村 仁美

 はがき随筆大会の帰りに、随友とバスに乗った。途中で3人組のユニークな客に出会う。会話に始まり、することなすこと全てがおかしく笑いながら眺めていた。すると、隣の随友がエッセーが書けそうだねとつぶやいた。そうだ。習ったではないか。この感性が大事なんだ。
 「毎日、のんべんだらりと生きていて、身の回りの出来事や物をただ見ているだけではエッセーは書けません。それらを丁寧に観察し。そこから何かを感じ取る心が必要です」
 感性を磨くことに気づかせてくれた随友に感謝。どんなエッセーを書いたのか楽しみだ。
(2018.06.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

自 作

2018-06-19 20:40:47 | 岩国エッセイサロンより
2018年6月19日 (火)
  岩国市  会 員   上田 孝

 いろんなものを自作する先輩に1日弟子入りし紙芝居の舞台を作ることになった。師匠の作品がお手本。道具も拝借していざ開始。とはいえ、切る、削るなどの肝心なところは師匠が。私は板を押さえたりの手伝い気分でいたら、糸鋸は自分でやれという。刃をにらみつけ、肩に力が入りながらも何とか切りきった。結局、丸2日かけて完成。
 早速かみさんがボランティアの会で紙芝居を披露したら、仲間から舞台を絶賛されたらしい。師匠のお陰だが、今後、人に見せる時には「これ、作ったんです」と主語抜きで言おうと思っている。
  (2018.06.19 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

いい匂い

2018-06-18 21:33:50 | 岩国エッセイサロンより


2018年6月18日 (月)
  岩国市  会 員   貝 良枝

 「はい、手紙。預かった」と娘は帰宅するなり、メモをくれた。「匂いから、おいしかったです」。私の作ったリンゴのケーキを「これ、絶対おいしいやつじゃないですか。匂いで分かる」と職場の後輩が喜んで食べたそうだ。
 匂いは食べる前から食味を倍増させると思う。1人暮らしの母へ食事を届けるより、そこで作った方が母の楽しみが増すようだ。「何ができよる?」と寝室からニコニコとやって来る。
 匂いからおいしいと喜んでくれたあの子や母、そして娘に今度は何を作ろう。いろいろな匂いが頭の中にたちのぼる。
  (2018.06.18 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

のるかな?

2018-06-15 22:30:25 | 岩国エッセイサロンより
2018年6月12日 (火)

    岩国市  会 員   樽本 久美

 母が入居した老人ホームで、川柳を教えることになった。第1回の川柳教室。「作ったことがないから、できんよ」という78歳の男の人に「私が助けてあげるから大丈夫よ」と言うと「それじゃあ、やってみよう」と。1冊のノートを配り「思うことを何でも書いて」と言うと、始めは「難しいな」とか言っていたが、少しずつ手が動いてきた。
 そのノートを見て、私が「ここは、こういうことですか?」と聞くと「そうよ」との返事。少しヒントをあげると1時間余りで1人3句も作ることができた。
 早速、新聞の川柳に応募した。誰が載るかな。
    (2018.06.12 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

下宿の頃

2018-06-10 19:26:28 | 岩国エッセイサロンより
2018年6月10日 (日)
   岩国市   会 員   横山恵子

 元警察官のSさんは昔、わが家に下宿されていた。家屋も建て替え、何年もたつのだが、いつまでも覚えていて奥さんと一緒に訪ねてくださった。父が亡くなって以来、6年ぶりの再会である。
 昔は警察の官舎や高校の寄宿舎がまだ整っていなかった。空室があれば貸してほしいとの要請が民家にあった。わが家でも2部屋を都合6人(警察官3人、高校生3人)にお貸しした。
 面倒見が良いとよく言われた母である。幼い私たちきょうだい3人の育児がある中、自分の役目として、お世話させてもらったように思う。
 私は独身だったSさんに鬼ごっこなどして遊んでもらった記憶がある。1年もたたず転勤が決まった時、4歳くらいだった弟は「行くな」と大泣きした。
 その後も何回かわが家に泊まりに来られた。私たち一家もSさんの実家にお邪魔してタコ釣りをしたり、勤務地が山口の時は秋芳洞を案内してもらった。
 十数年前、Sさんが岩国で防犯について講演された。「岩国は第二の古里。私には岩国のお母さんと呼ぶ人がいます・・・」。そう切り出されたと、母は笑顔で話したものだ。
 Sさんは心臓病があり、奥さんは3年半前に乳がんの手術をされた。今年78歳になられると聞き、あれからもう60年近く過ぎたと考えずにはおれなかった。
 昨年暮れに亡くなった母の墓の墓前に手を合わせた後、在りし日の母について語り合った。

     (2018.06.10 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

写真の師匠

2018-06-08 17:54:05 | 岩国エッセイサロンより
2018年6月 8日 (金)
   岩国市   会 員   片山清勝

 昔、愛用していた写真用白黒フィルムの販売に幕が下りる。白黒は、1枚ごとに構図、絞り、シャッター速度を考え「赤色は赤と見えるように」とシャッターを押させた。撮るとプリントはカメラ店へ依頼した。デジカメと違い、それを受け取るまでの不安とドキドキ感、今では味わえない楽しみだった。
 納得の1枚も白黒写真はセピア色になる。それは過ぎた時間を懐かしむ思いが色彩になってにじみ出るように思える。
 写真は一枚一枚を丁寧に撮ること、そう教えてくれたフィルムの教訓、デジカメに変わってもそれは生きている。

    (2018.06.08 毎日新聞「はがき随筆」掲載)


男性料理教室

2018-06-08 17:49:44 | 岩国エッセイサロンより
2018年6月 8日 (金)
   岩国市   会 員   吉岡賢一

 地元の男性料理教室に通うようになって2年が過ぎた。3年目に入ったといっても、ベテランぞろいの中ではまだまだ駆け出し。右往左往することがまだ多い。       
 食生活改善推進協議会の女性会員から優しくも厳しい指導を受けてきた。おかげで、半月切りやいちょう切り、みじん切りなどの包丁さばきが多少なりとも身に付いた・・・と思う。
 しかし、この教室で得た最大の収穫は他にある。世の中の全てに対し、改めて感謝の意識が芽生えたことである。 
 小皿に載るわずかな料理でさえ、食材の一つ一つに生産、流通、販売と多くの人が関わっている。主婦はそれらを買う・洗う・切る・煮る・味付けする。料理はどれだけの手間をかけ神経を使う大変な仕事だったのかと感じ入る。
 私も何も気付かないほど鈍感ではなかったが、夫婦の役割分担として至極当然なこととしてきた。「こりゃうまいね」と褒めて食べていればいいという思い上がりがあった。深い感謝とまでは至らなかった。
 男性料理教室は、料理の腕を上げることが目的ではある。だが、神髄はそれ以上に妻に感謝して、率先して台所に立つことだと悟った。「私食べる人」を決め込んではいられない。
 料理することは認知症予防や健康維持の良薬でもある。夫婦の健康寿命延長を目指して、邪魔をしない程度に台所に立とう。
  「男子厨房に入らず」と厳しかった明治生まれの母はとっくにいない。

       (2018.06.08 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

白黒フィルム

2018-06-05 19:47:29 | 岩国エッセイサロンより
2018年6月 1日 (金)
   岩国市   会 員   片山清勝

 富士フイルムの白黒(モノクロ)フィルムと白黒印画紙の全てについて販売を終了するという。フィルムは今年10月、印画紙は2020年3月までに出荷を終える。
 カラー写真が当たり前となり、さらにデジタルカメラが普及した現在、こうした日が来ることは分かっていた。しかし、若い頃に愛用した者の一人として、残念な気持ちを隠せないでいる。
 自分のカメラを月賦で買ったのは、社会人となった春である。もう60年近く前になる。フィルムは白黒で36枚撮り、プリント(DPE)は写真店依頼でスタートした。
 小遣いはわずかだったので支払いが負担だった。そのため1枚撮るにも構図、絞り、シャッター速度などよく考えてシャッターを切った。デジカメと違い、DPEを受け取るまで撮れ具合が分からない。不安でもあり楽しみでもあった。
  「白黒写具は、被写体が赤なら、見る者に赤と感じさせる撮り方がある」。愛好家の先輩はよく言った。私の写真を細かく評してくれもしたが、習熟しないままカラーの時代に移った。
 フィルムとDPE代は膨らんだ。アルバムを繰ると、子の成長記録としてはカラーでよかったと思う。
 デジカメが普及して、従前とは一線を画す時代になった。一枚一枚を考えて撮る慎重さを忘れていった。
 白黒のネガフィルムは大事に保存している。いつかスキャンし、丁寧に撮った若い頃を回顧してみたい。

      (2018.06.01 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

貝汁の味

2018-05-11 09:46:42 | 岩国エッセイサロンより


2018年5月11日 (金)
岩国市  会 員   吉岡 賢一

 山椒の葉が出始める頃は、食べ物すべてに旬を感じさせるおいしい季節となる。
 春休みになると貝掘りに行き、アサリを引っ提げて帰るのが親孝行の一つであった。母ちゃんが喜んでゴリゴリ洗い、炊きあがった掘りたての貝汁をいただく夕餉は普段気難しい父ちゃんも上機嫌になり「お前が頑張ったのか」と褒めてくれた子供のころを思い出す。
 そして今、食べ物の旬を忘れるほど季節を問わず豊富な食材が手に入る時代となった。でも山椒の葉が1枚浮かぶ貝汁には寄り添い支え合って暮らした家族のぬくもりを思い出させる味わいがある。  
   (2018.05.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

AIの息子

2018-05-05 11:51:53 | 岩国エッセイサロンより
2018年5月 5日 (土)

岩国市  会 員   安西 詩代

 自動車販売店のカウンターに身長15㌢くらいの可愛いロボットが椅子に座っていた。人工知能(AI)が内蔵されているので0歳から知識を吸収して5歳の知能まで育つという。それも育ての親の言葉遣いや教える内容で、いろんな人格(?)になる。怖い! でも、この自覚と責任感を持って子育てしたなら、もっと違ったと今さら思う。
 20歳まで育つロボットが出たら息子の反抗期のように「くそばばあ」と言わない優しい青年に育てよう。でも「お母さん、いつもありがとう」などと言われると慣れていないので背中がムズムズするに違いない。
(2018.05.05 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

いとしき花

2018-05-04 13:46:54 | 岩国エッセイサロンより


2018年5月 4日 (金)
  
 岩国市  会 員   横山 恵子

 エッセー仲間のYさんから「昨年もらったエビネランが小さな花を咲かせたよ」と言われた。嫁入り先で大事に育ててもらっていると、うれしさもひとしお。エビの背のように見えるところからエビネランと呼ばれるようになったという。
 実は下関在住の時、亡夫が教えた子の親からいただいた思い入れのある花。季節が廻り花が咲くと、当時のことがいろいろと思い出される。
 日陰で、ひっそりと咲く。花言葉は「謙虚」「誠実」などとか。私ににている(?)と思うと、ますますいとしさが増してくる。
  (2018.05.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)


何とかなるよ

2018-05-03 21:43:40 | 岩国エッセイサロンより
2018年5月 3日 (木)

  岩国市  会 員   樽本 久美

 前向きな人と出会うと、こちらまで元気になる。たまたま趣味の会で知り合った86歳の女性。なんとなく馬が合い、いろいろな節目で、その人にアドバイスをいただく。今回は、私の方がアドバイスをした。
 手術を控えているHさん。今住んでいる有料老人ホームを出て、家に帰りたいと話していた。家では一人暮らしとなる。半年前に、家で転んで救急車で運ばれ、何とか命を取り留めた。子供は、遠くに住んでいるので、近くの親戚が頼りである。自由が大好きなHさん。さすがに、ホームの生活に不自由を感じているようだ。よくやってくれるホームであるが、やはり「家に帰りたい」と思う気持ちが強くなってきている。  
 私の母と同世代。娘の立場では、家に帰って1人暮らしをするよりはホームでの生活を勧めたいところだが、Hさんの日ごろの活動を考えて「好きなようにしたら」とアドバイスした。結局はホームに残ることにしたようだ。80歳からピアノを習ったり、真っ赤なドレスを着て社交ダンスをしたり、やりたいと思った時が「今」と思っているHさん。話していると、私も頑張らなくてはと思う。
 Hさんがいる老人ホームで、書道を教えていくことになった私。今まで後回しにしてきた、書道の先生に来年から挑戦していこうと決めた。今の仕事を辞めて、大変ではあるが少しずつ準備をしていこうと思っている。背中を押してくれたのはHさんである。「何とかなるよ」。お互い。

  (2018.05.03 毎日新聞「女の気持ち」掲載)

医院待合室 私と同姓次次

2018-04-28 22:50:14 | 岩国エッセイサロンより
2018年4月26日 (木)
 岩国市  会 員   林 治子

 かかりつけの医院へ、月一回の診察に出かけた。午前中はいつも混んでいるが、その日は人が少ない。やった! と喜んでいると、診察室から「林さん、御大事に」とう声が聞こえてきた。出てきたのは私と同じ「林」姓の友人で、転んでけがをしたそうだ。

だんなさんが押す車いすに乗っていたが、大したけがではなかったと聞いて安心し、「夫婦仲良くていいじゃん」と冷やかしておいた。

しばらくして「林さん」と呼ばれた。立ち上がりかけると、隣の女性が「は~い」と返事をした。私より先に待っていた「林」さんだったのだ。そして次の人も、その次の人も「林さん」。呼ばれるたびに腰をうかしては、拍子抜けした。

帰り際、受付の中から「今日は、”林さん”が多かったね」と言う話し声が聞こえた。その一人である私にとっても、初めて体験する不思議な出来事だった。


(2018.04.26 読売新聞「私の日記から」掲載)