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秋山好古揮毫石碑紀行 32 伊予市大平の碑

2016年01月08日 | 伊予松山歴史散策


1.碑  文 :  大(おお)鷦(ささ)鷯(ぎ) 神社 
2.所 在 地:  伊予市大平曽根1,278番地
3.揮 毫 者:  陸軍大将 秋山好古
4.建 立 者:  不明
5.建立年月日:  大正 14年 10月 吉日
6.碑石大きさ:  高さ:1m 83cm  幅:1m 28cm 
参考資料:場所は、国道56号線沿い「県道大平・砥部線」入口手前右手山麓にあり、明治初年までは稲荷神社の境外末社であった。建立者名については記載されてない。

秋山好古揮毫の石碑建立は、郷里の愛媛県内に多く建立されているが、県外にもあり、遠くは新潟県新潟市、魚沼市、千葉県習志野市、東京都世田谷区、神奈川県平塚市、静岡県静岡市、そして長野県安曇野市に新たに昨年9月に発見された。長野県安曇野市の石碑は5月末に取材予定である。
元々好古は、字を書く事は好まなかった。
何故かその理由は不明で、揮毫の切っ掛けは前回書いた通りである。
現在、長野県安曇野市の石碑を入れて52基が発見されているが、主に揮毫を始めたのは、大正14年以降で、それまでに揮毫され石碑が建立されているのは、東京都世田谷区・新潟市・魚沼市・静岡市・平塚市・安曇野市・宇和島市・松山市高浜町・松山市祝谷にある9基のみで、この石碑は特別な方からの依頼で好古が揮毫し建立された石碑で、神奈川県平塚市の石碑と長野県安曇野市の石碑は戦死した家族が好古に直接揮毫をお願いした特別な石碑である。
新潟市の石碑「忠魂碑」当時、新潟県中蒲原郡横越村の神田又一村長、大町為作村会議員が、伊澤新潟県知事を介して好古に揮毫を依頼したものである。
この時秋山好古は、第13師団長として新潟県高田市に駐屯していた。そして伊澤新潟県知事の前任地は、愛媛県知事であったので好古とは旧知であった。
誰がどのような経緯で揮毫依頼したか詳細な事項が判明しているのはこの新潟市の「忠魂碑」のみで、残りの揮毫依頼の経緯は判明していない。
これから残り20基の石碑を私の取材回顧として見て頂きますが、その都度思い出したことを書きます。


大鷦鷯神社の社号碑で難しい字の神社です。
何故この様な社名が付いたのかは不明で、宮司さんに聞けば分かると思いますが伺っていないです。・・この神社には宮司さんは居なく、稲荷神社の境外末社と言われていますので、稲荷神社に問い合わせれば判明すると思いますので後日伺ってみます。
なお、愛媛県神社誌を見ると、主祭神は、大雀命と記載されているので
大鷦鷯尊、仁徳天皇をお祀りしているので大鷦鷯神社としたのでしょうか?。


石碑は神社鳥居の前に建立されており、直ぐ傍に国道56号線があります。
建立は、大正14年10月です、好古は大正13年4月北豫中学校校長就任で、この時点では、まだ揮毫は余程の方からの依頼でないとしてない。
大鷦鷯神社揮毫は、大正14年4月に清浦圭吾氏との出会いがありそれ以降の揮毫です。

コメント
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