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秋山好古揮毫石碑紀行 31 伊予市灘町の碑

2016年01月07日 | 伊予松山歴史散策

1.題  額 :   藤谷豊城翁像 
2.所 在 地:  伊予市灘町309番地  五色濱神社
3.揮 毫 者:  秋山好古
4.建 立 者:  記載無し
5.建立年月日:  昭和48年3月28日再建立
6.碑石大きさ:  高さ:2m 60㎝  幅:66,5㎝  
参考資料:藤谷豊城は、(安政6―昭和8年)安政6年6月29日、大洲藩士稲葉六良右衛門の第3子として誕生、明治8年10月郡中藤谷家の養子として入籍した。
明治11年には20歳で町会議員その後郡連合会議員、町政・郡政に参画すること40年の長きに及び、この間郡中銀行・南予鉄道会社・伊予汽船会社設立に参画など地方の振興に寄与した。 
明治44年2月郡中町長に就任するや苦しい財政事情を克服して郡中港の大改修を実施しこれが郡中の発展の根源になった。  
また、港南の地に五色濱神社の建立を計り、町内各社も合祀して完成した。
 藤谷豊城の功績を顕彰して大正13年10月五色濱神社前に銅像を建立したが太平洋戦争に金属供出で消失、昭和48年3月28日再建立された。 
揮毫は、陸軍大将 秋山好古である。「揮毫は、井上要の要請ではないでしょうか」
五色濱神社の拝殿の社号額は、明治の元勲・初代内閣総理大臣、伊藤博文が揮毫した額が揚がっている。


藤谷豊城翁像は、五色濱神社の鳥居の直ぐ左側にある。
藤谷豊城翁については、私何も知らないため撮影の帰りに伊予市立図書館に伺い訪ねるも職員も知識持たずで、司書として勤勉不足だなと思った。
資料検索をして調べ俄か勉強をして帰った。
郡中の発展の根源になった人だから胸像の横に説明板を是非設置して下さいと当時の伊予市長さんにお願いしましたがその後どうなったか?です。  


五色濱神社の説明板で、この神社に凄い人物が来られているのに驚きました。


五色濱神社の社号額で、揮毫者が初代内閣総理大臣、伊藤博文元勲がされていた。


五色濱神社にある「ねがい石」の説明石碑がありました。  
神社近くに五色姫海浜公園にビーチバレーコートがあり、毎年夏季にマドンナカップin伊予市ビーチバレージャパン女子ジュニア選手権全国大会が開催されております。


コメント
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