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秋山好古揮毫石碑紀行 38 伊予郡松前町出作の碑

2016年01月23日 | 伊予松山歴史散策


1.碑   名: 恵依彌二名神社
2.所 在 地:伊予郡松前町出作304番地  恵依彌(えひめ)二名(ふたな)神社
3.建立年月日:昭和三年御大典記念
4.願   主 :中野 他五名
5.碑石大きさ:高さ・2m50㎝ 幅・1m3㎝
6.参考資料 :恵依彌二名神社は、伊豫二名本宮と称していたが、後に恵依彌八幡宮と称え、明治29年12月1日、寛文2年棟札に基き、恵依彌二名神社と改称した。
  寛政2年建立の鳥居に、氏子中として宮下、八倉、上三谷、釣吉、出作の各村名が刻まれ、崇敬の篤きが偲ばれる。「伊余志」によれば慶長5年兵火に罹ると伝えられており、安産の神おして崇敬者が多い神社である。


注連石の直ぐ後ろに鳥居がある。珍しい社造りである。
注連石には新しい注連縄が飾られていた。


揮毫者、秋山好古の字を大きく。


恵依彌二名神社正面で南向きである。


恵依彌二名神社の西入り口で、造りは正面と同じ仕様、注連石の直ぐ後ろに鳥居がある。
西側入り口の注連石にも、注連縄が飾れていた。


恵依彌二名神社西入口に秋山好古の後輩である、烏谷章陸軍中将揮毫の恵依彌二名の社号碑が建立されている。
烏谷章は、明治21年秋山眞之が松山中学の同級生・勝田主計・山路一善らとともに松山の青少年育英を目的に結成した団体「松山同郷会」もう一つの団体が、旧伊予松山藩主・久松家が明治20年に創設した旧伊予松山藩士の子弟が東京で勉学するために学生寮「常盤会寄宿舎」で、正岡子規、内藤鳴雪、柳原極堂など著名人がこの寮から輩出した。秋山好古も陸軍中将の多忙な身で第3代目の監督を務めた。
松山同郷会と常盤会寄宿舎の二つの組織を統合して、昭和28年、財団法人常盤同郷会が結成され、東京都文京区本郷の常盤会寄宿舎を「常盤学舎」と名称を変えて、昭和30年、東京都東久留米市に移転し現在に至っている。
財団法人常盤同郷会は、常盤学舎と秋山兄弟生誕地の管理を行う、青少年の育英団体である。
烏谷章は、松山同郷会時代の代表を一時期していた。は秋山好古は、烏谷章をよく可愛がった後輩である。なお、松山同郷会の所在地は現在の愛媛県銀行協会があった所にあったが、その後、現在の秋山兄弟生誕地に移した。


松前町教育委員会が設置している「恵依彌二名神社」の説明板。
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