EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新伊予松山紀行 伊豫13佛霊場めぐり 第10番 八坂寺

2013年02月04日 | 伊予松山歴史散策
伊予十三佛めぐり二日目の1月28日、西林寺を巡拝し次の霊場、八坂寺に移動した。
西林寺から南方約5km高知県よりに位置する。途中西林寺奥ノ院(杖ノ淵)を廻り、足立重信(伊予松山城築城時の普請奉行)が改修した重信川(改修前は、伊予川で全国の1級河川名に、改修者の名前が付けられたのは重信川唯一つと言われている。)を渡り八坂寺に行った。

八坂寺は、松山市浄瑠璃町773番地にある真言宗真言宗醍醐派の寺院。熊野山 妙見院 八坂寺号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八ヶ所霊場の第四十七番札所。伊予十三佛霊場の第10番札所である。
縁起は、古く大和時代から約1300年余りも続く古刹で、弘法大師空海が生まれる百数年前、修験道の開祖、役の行者小角(おずぬ・神変大菩薩)によって開かれた。

寺号は「いやさか」に由来するとも、また大宝元年(701)文武天皇の勅願寺として越智伊予守玉興が七堂伽藍を建立するにあたり、大堂山を(現在の大友山)に八箇所の坂道を切り開いてしたからとも伝わる。朝廷とも関係が深く勅使の出入りの盛んな寺であった。弘仁6年(815)空海によって四国88ヶ所霊場の第47番札所に定められた。
隆盛を極めていたが戦国時代天正の兵火や、度重なる火災で寺の規模は縮小、格式の高い寺なので檀家がなく復興するには大変であった。先代住職が裏山を霊園として開発し今や松山でも一、二を誇る大規模な霊園となっており。寺の本堂や、大師堂、庫裏等々立派な寺院となっている。

境内には、宝筺印塔や閻魔堂(えんまどう)がある。
画像は、1月28日巡礼した2番目の霊場第10番八坂寺である。


参道入口にある「八坂寺・寺号碑」と愛車自転車。


回廊門と左が、納経所、庫裏。


回廊門に左に、四国霊場四十七番 八坂寺・右に、伊予13仏霊場第十八番 八坂寺の掲示板がある。


門を潜ると立派な庫裏が見えてくる・・納経所もここにある。


庫裏の前に、宝筺印塔:呉越国の銭弘俶が、宝筺印心呪経を84000の銅塔を造ってこれを納め各地に配ったことがはじまってものだった言う。この塔は鎌倉期の作と言われ、松山市指定文化財である。


八坂寺の本堂。立派に再建された。


本堂左に大師堂がある。


大師堂前に「平成26年 四国88ヶ所霊場開創1200年」のお知らせ板が掲示。


本堂左手から地階に下りる入口がある「万躰阿弥陀仏」がある。


本堂地階にある「万躰阿弥陀仏」凄い数の阿弥陀仏が安置されていた。


閻魔堂(えんまどう)本堂右手にあり、地獄の道がある。


境内裏手に広大な霊園がある「八坂霊園」、遥か彼方に伊予松山城と城下町が眺望出来る。・・何時も綺麗に清掃され気持ちのよい墓参りが出来る。
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