EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

新伊予松山紀行 伊豫13佛霊場めぐり 第7番 香積寺

2013年02月22日 | 伊予松山歴史散策
第9番道音寺の参拝を終え、次の7番霊場、通称隻手(かたて)薬師(やくし)・香積寺に向かった。車で5分程東方向にある。
隻手薬師の春季大縁日は、4月12日、小学校時代縁日を楽しみにして我が家の近くの駅から伊予鉄道横河原線の坊ちゃん列車に乗って田窪の親戚に行き、縁日と親戚の叔母が作ってくれるご馳走で持て成してくれた。
この時代の食生活は今のように裕福では無かったので嬉しかった。
こんな昔の思い出を抱きながら寺に来たがこの寺も様子が変わっていた。

隻手薬師として親しまれているこの寺は、檀家はもとより多くの隻手薬師様を愛する者達が春季大縁日は大勢の人々のお参りで賑わっているそうだ。

瑠璃山 香積寺(通称、隻手薬師)は、東温市(旧重信町)田窪1504番地にあり、ご本尊は薬師如来、開山・開創は空海弘法大師である。

寺伝によると大同4年(809)、空海によって開かれた。田窪の里の「井門」という人物がある日開墾作業中に柳の根元からお薬師様の金銅仏を掘り出し旅の僧(空海)に差し出した所、空海は自身の守り本尊である薬師如来の胎内にこの像を納め合わせた。

その後片手が不自由になった空海が一方の手で一心にお祈りしたところ、両手が合わさる様になった(片手で拝んでもご利益を預ける)というところから、隻手薬師と呼ばれるようになった。本尊の隻手薬師は秘仏で、今まで開帳された事は無い。現在の香積寺は、元禄年間に移転されたもので、旧跡は寺屋敷として地名が残っている。

昭和56年京都の東寺から勧請された張子大師(空海の母が空海に宛てた手紙と弟子達の写経によって造仏)が奥の院に祀られ、毎年2月の節分に開帳され参拝する事が出来る。
また、本尊「隻手薬師」を祀る前殿は、東温市で最も古い木造建造物である。


以前は確か参道両側には広場があったが、墓地になっていた。


境内右手に大きな隻手薬師の石碑が建っていた。
この石碑裏面には、寄贈 京都市東山区清水二丁目 七味本舗 福嶌家 平成19年6月吉日と記載してある。


山門に各霊場札とすごろく開運暦が掲示してあった。


山門を潜ると本堂がある。一階は鉄筋コンクリー造りでその上に本堂がある。
境内の敷地の関係でこんな格好になったのか??幼少時行った時の記憶にはもっと境内は広く感じたが。


本堂左手にある堂で、この堂が東温市で最も古い木造建造物なのか?


境内左手に大師堂がある。


本堂前に今年の干支の大きな「巳」絵馬が掲示してあった。


山門裏側に掲示板があり、画像の言葉と節分の案内がしてあった。


画像は、昭和28年12月1日の写真を、平成17年4月15日に撮ったもので、坊ちゃん列車、横河原線で立花駅
を久米駅に向かって発車するところ、田窪の親戚に行った時はまさにこの列車に乗って行った。左の線路は森松線で
現在は廃止されている。踏み切りはの道は、国道33号線である。現在は県道になっている。


画像は、昭和28年10月2日、松山市福音寺町にある「土亀山」から撮った坊ちゃん横河原線で、久米駅に向かっ
ている列車の写真を平成17年4月15日に撮った。客車は長いものと短い客車の混合、映っていないが後ろからも
機関車が押している。現在は電化され郊外電車が走っている。
コメント
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