EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

京都の維新史跡・紀行散策 「壬生寺」3

2010年06月08日 | 往年の名車 メグロ
京都の維新史跡・紀行散策 「壬生寺」3

画像は、壬生寺にある、近藤勇の銅像。

文久三年(1863年)、清河八郎の献策を容れ、江戸幕府は14代将軍・徳川家茂の上洛警護をする浪士組織「浪士組」への参加者を募った。斎藤一を除く試衛館の8人はこれに参加することを決め、2月8日、浪士組一向と共に京都に向けて出発した。

中山道を進み、2月23日に京都に到着すると、壬生郷士の八木源之丞の邸に宿泊し、世話になった。これが近藤の浪士組から「新撰組」となる切っ掛けである。

近藤の武術は、天然理心流剣術宗家。

長州藩を京都政局から排するために中川宮朝彦親王、会津藩、薩摩藩主導の1863年8月18日に政変が起こると、壬生浪士組は御花畑門の警護担当となるが、目立った活躍もなく長州勢の残党狩りに出動する。その後、働きぶりが認められ、武家伝奏より「新選組(新撰組)」の隊名を下賜された。

此れからが近藤勇、土方歳三を中心とした新撰組の発足し、活動が行われ、中でも池田屋騒動で一挙に新撰組の名を上げた。この池田屋騒動事件で維新が一年遅れたと言われたくらい重要な勤王の志士がなくなった。現在の池田屋は後で画像を掲載する。

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京都の維新史跡・紀行散策 「壬生寺」2

2010年06月08日 | 往年の名車 メグロ
京都の維新史跡・紀行散策 「壬生寺」2

画像は、壬生寺にある、芹澤鴨と平山五郎の墓。
芹沢鴨は、壬生浪士組の初代筆頭局長で、出は平氏の流れを汲む名門の生まれ、武術は、神道無念流の免許皆伝の剛剣。

平山五郎は、芹澤と同じく水戸藩士の出で、壬生浪士組の初代筆頭副局長墓石も二人の名前が刻印建立されていた。
NHK大河では、佐藤浩市がいい演技をした。
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京都の維新史跡・紀行散策 「壬生寺」1

2010年06月08日 | 往年の名車 メグロ
京都の維新史跡・紀行散策 「壬生寺」1

現存12天守紀行ちょっと一休みします。
6月5日大阪で某会議があり久しぶりに京都に行ってきた。
今回は、維新前後、京の町で大きな出来事が起こっているがその一部である新撰組を中心にした所等々を散策して来た。

そして新たに鐘馗さん三体発見してきましたので画像で見て下さい。

梅田から久しぶりに阪急電車で大宮駅下車、壬生寺、八木邸、前川邸、坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地、池田屋騒動跡地、大村益次郎遭難の地、坂本龍馬・中岡慎太郎、木戸、妻磯松の墓所、土佐藩招魂社、清水寺、関白豊臣秀頼の墓東本願寺、にも行って来た。


画像は、壬生寺で、初めて行った此処に新撰組の屯所があった。その後西本願寺にと変遷して行く。
現在、NHK大河「坂本龍馬」放映中、観光客が多いのかなと思いながら伺ったが静寂だった。
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