せたな町大成区にある山岳霊場“太田神社”...、断崖絶壁に聳える太田山(標高485m)に本殿を有する北海道最古の歴史を誇り、道南五大霊場の一つに数えられている。その神社の例大祭があると聞き、見学に...。
(左下の○印が参道入り口、右上の○印が本殿)
太田神社は、航海の安全、病気や災難からの守り神として信仰され、室町時代中期(1450頃)の創建で、神社は太田山の8合目付近にある洞窟の中にある。祭りは白装束の男達が洞窟のある本殿を参拝する「御山掛け(おやまがけ)」から始まる...。
(本殿下の壁を登る人影が見える...)
と、いっても国道沿いにある参道は急斜面の階段139段を登り、その先はロープを頼りに狭く険しい山道を歩き、最後の洞窟には7~8mの壁を鉄の鎖を掴みよじ登るそうだ...。もちろん、急斜面の階段も登れず下から見上げるだけ...。お参りをしてきたという10人の若者達に話を聞くと、「往復2時間ほどできつかったが、洞窟からの眺めは最高で清々しい気持ちにさせられた...。」と満足そう...。
午後5時、本殿に町の発展や航海の安全を祈願してきた男達が戻るのを待って、海岸沿いにある拝殿で神事が執り行われ、松前神楽が奉納される...。宮司さんから「松前神楽愛好のカメラマンが来ているので張り切って舞いますよ...。」と冗談を言いながら「翁舞」、「三番叟舞」、「獅子舞」などを舞う...。
一方、拝殿前の特設ステージでは、郷土芸能として児童9名による「北海久遠太鼓」と大成中学校生徒の「久遠神楽」が披露される。「久遠神楽」は、明治時代青森県三本木町からニシン漁のため移住してきた二人の青年が、故郷を忍び地元の青年に故郷の神楽を教えたことに始まり、伝統芸能として保存会の指導で大成中学校が総合学習の時間を活用して伝承活動を行っているそうだ...。
夕日が日本海に沈もうとする頃には、いつの間にかステージの前には大勢の町民が集まり祭りの賑わいを見せている。夕日を見ながら地域の方に「賑やかですね...。」と声を掛けると。「なんもよ、昔はこんなもんでねがったんだでえ、夜遅くまでみんなで騒いだもんだ...。」と、懐かしんでいた。さらに、平成5年の南西沖地震の際には、太田地区にも津波が襲いほとんどの家屋が被害を被り、7,8人の方もその犠牲にもなった。その後、小学校は統合され、人口はどんどん少なくなって、現在30世帯ほどの集落で58才の方が若手といわれている...、ことなどを教えてくれる...。
ここで、腹ごしらえ...。漁協の方が焼いてくれる「ホタテ」と「アワビ」にお握りとすり身汁で夕食...。「ホタテ」と「アワビ」は飛ぶように売れていたが、磯の香りがほんのりと漂い旨い!!...。
ステージでは女性歌手2人による歌謡ショーが行われ、その後、花火が日本海の上を焦がす...。顔見知りの役場の方から「あわび山荘に泊まっていけばいいでしょう...。」と誘われたが、後ろ髪を引かれ思いをしながらも日本海に浮かぶ漁り火を眺めながら函館への道を走った...。
どこの祭りも楽しい...。しかし、どこに行っても「昔は賑やかだったんだけど...。」という声を聞く。確かに祭りの主役である子供たちが少なく、立ち並ぶ露店の数も年々少なくなり、景気のいい掛け声も聞こえないという...。祭り応援隊を結成して、それぞれの町内を駆け回るのもいいかもしれない...。来年は、山頂近くの洞窟にある本殿を参拝したいが...、無理だろうなあ...。
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(左下の○印が参道入り口、右上の○印が本殿)
太田神社は、航海の安全、病気や災難からの守り神として信仰され、室町時代中期(1450頃)の創建で、神社は太田山の8合目付近にある洞窟の中にある。祭りは白装束の男達が洞窟のある本殿を参拝する「御山掛け(おやまがけ)」から始まる...。
(本殿下の壁を登る人影が見える...)
と、いっても国道沿いにある参道は急斜面の階段139段を登り、その先はロープを頼りに狭く険しい山道を歩き、最後の洞窟には7~8mの壁を鉄の鎖を掴みよじ登るそうだ...。もちろん、急斜面の階段も登れず下から見上げるだけ...。お参りをしてきたという10人の若者達に話を聞くと、「往復2時間ほどできつかったが、洞窟からの眺めは最高で清々しい気持ちにさせられた...。」と満足そう...。
午後5時、本殿に町の発展や航海の安全を祈願してきた男達が戻るのを待って、海岸沿いにある拝殿で神事が執り行われ、松前神楽が奉納される...。宮司さんから「松前神楽愛好のカメラマンが来ているので張り切って舞いますよ...。」と冗談を言いながら「翁舞」、「三番叟舞」、「獅子舞」などを舞う...。
一方、拝殿前の特設ステージでは、郷土芸能として児童9名による「北海久遠太鼓」と大成中学校生徒の「久遠神楽」が披露される。「久遠神楽」は、明治時代青森県三本木町からニシン漁のため移住してきた二人の青年が、故郷を忍び地元の青年に故郷の神楽を教えたことに始まり、伝統芸能として保存会の指導で大成中学校が総合学習の時間を活用して伝承活動を行っているそうだ...。
夕日が日本海に沈もうとする頃には、いつの間にかステージの前には大勢の町民が集まり祭りの賑わいを見せている。夕日を見ながら地域の方に「賑やかですね...。」と声を掛けると。「なんもよ、昔はこんなもんでねがったんだでえ、夜遅くまでみんなで騒いだもんだ...。」と、懐かしんでいた。さらに、平成5年の南西沖地震の際には、太田地区にも津波が襲いほとんどの家屋が被害を被り、7,8人の方もその犠牲にもなった。その後、小学校は統合され、人口はどんどん少なくなって、現在30世帯ほどの集落で58才の方が若手といわれている...、ことなどを教えてくれる...。
ここで、腹ごしらえ...。漁協の方が焼いてくれる「ホタテ」と「アワビ」にお握りとすり身汁で夕食...。「ホタテ」と「アワビ」は飛ぶように売れていたが、磯の香りがほんのりと漂い旨い!!...。
ステージでは女性歌手2人による歌謡ショーが行われ、その後、花火が日本海の上を焦がす...。顔見知りの役場の方から「あわび山荘に泊まっていけばいいでしょう...。」と誘われたが、後ろ髪を引かれ思いをしながらも日本海に浮かぶ漁り火を眺めながら函館への道を走った...。
どこの祭りも楽しい...。しかし、どこに行っても「昔は賑やかだったんだけど...。」という声を聞く。確かに祭りの主役である子供たちが少なく、立ち並ぶ露店の数も年々少なくなり、景気のいい掛け声も聞こえないという...。祭り応援隊を結成して、それぞれの町内を駆け回るのもいいかもしれない...。来年は、山頂近くの洞窟にある本殿を参拝したいが...、無理だろうなあ...。
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