大沼からの日の出を眺めた後、散歩を兼ねて島巡りをしてもまだまだ時間はたっぷりある。と、いうことから南茅部地区で最盛期を迎えているというコンブの間引き作業を見てみようと車を向けた。
鹿部町を過ぎて間もなくすると海上に磯舟が点々と浮かんでいるのが見える。コンブ漁だ。そして、南茅部地区に近づくほど磯舟の数も多くなり、海には色とりどりの浮き球がみえる。浮き球の間を縫うように磯舟は走り、船の上では漁師たちの手で次から次とコンブが引き上げられている。
船一杯に引き上げられたコンブは港に運ばれ、港では家族総出でコンブを干し棚に吊す作業を行っていた。南茅部は古くから天然コンブの生産地で、昭和40年代にはコンブ養殖に成功し、養殖コンブ発祥の地としても知られ、コンブとともに発展を続けている。
岸壁で写真を撮るのにコンブ干しの作業をしている方に断って入ろうとすると、「天気だからいい写真撮れるべえ...。あら、あの上に昇って撮ればいいんだ、よく見えるで....。」と、指さした先は、黒鷲岬展望台。早速登って、眺めてみたのがこの写真。浮き球がモザイク模様に張られとても綺麗に見える。
それにしても、駒ヶ岳をバックに5,60隻にもなろうとするコンブ漁をする漁船は壮観だ。漁は、朝7時30分に始まり、浮き球の下の綱に付いているコンブを手繰り寄せて間引いているそうだ。大変な作業のようだが、こうして美味しい昆布が作られていく....。
ところで、黒鷲岬で「北海道建網大謀網漁業発祥之地」の碑を発見した。大謀網は現在の定置網で、案内板によると「天保10年(1839)尾札部村の三代飯田屋与五左衛門と臼尻村の小川屋幸吉が大謀網漁を計画し、南部の人、田鎖丹蔵を招いて、この黒鷲岬沖と弁天島沖に鮪大謀網漁業を試みたと伝えられています。これが北海道の大謀網漁業の始まりとされています。」とあった。この碑は、昭和26年の漁業制度改革を記念し、昭和29年に建てられている。
鹿部町を過ぎて間もなくすると海上に磯舟が点々と浮かんでいるのが見える。コンブ漁だ。そして、南茅部地区に近づくほど磯舟の数も多くなり、海には色とりどりの浮き球がみえる。浮き球の間を縫うように磯舟は走り、船の上では漁師たちの手で次から次とコンブが引き上げられている。
船一杯に引き上げられたコンブは港に運ばれ、港では家族総出でコンブを干し棚に吊す作業を行っていた。南茅部は古くから天然コンブの生産地で、昭和40年代にはコンブ養殖に成功し、養殖コンブ発祥の地としても知られ、コンブとともに発展を続けている。
岸壁で写真を撮るのにコンブ干しの作業をしている方に断って入ろうとすると、「天気だからいい写真撮れるべえ...。あら、あの上に昇って撮ればいいんだ、よく見えるで....。」と、指さした先は、黒鷲岬展望台。早速登って、眺めてみたのがこの写真。浮き球がモザイク模様に張られとても綺麗に見える。
それにしても、駒ヶ岳をバックに5,60隻にもなろうとするコンブ漁をする漁船は壮観だ。漁は、朝7時30分に始まり、浮き球の下の綱に付いているコンブを手繰り寄せて間引いているそうだ。大変な作業のようだが、こうして美味しい昆布が作られていく....。
ところで、黒鷲岬で「北海道建網大謀網漁業発祥之地」の碑を発見した。大謀網は現在の定置網で、案内板によると「天保10年(1839)尾札部村の三代飯田屋与五左衛門と臼尻村の小川屋幸吉が大謀網漁を計画し、南部の人、田鎖丹蔵を招いて、この黒鷲岬沖と弁天島沖に鮪大謀網漁業を試みたと伝えられています。これが北海道の大謀網漁業の始まりとされています。」とあった。この碑は、昭和26年の漁業制度改革を記念し、昭和29年に建てられている。