補習は対症療法

2007-07-27 09:36:39 | 塾あれこれ
昨日シラバス等で一律に学んでもらうという考え方
には賛成できないと書きました。
それは「補習をすれば良い」と言う考えが間違って
いると思うからです。

補習で、生徒は追っかけてはくれるでしょう。
ヘロヘロになりながらでも。
場合によっては離されることもありそうです。
「伸びる」人もあるでしょうが、それほど多くは
期待できないでしょう。
対症療法にしかすぎないからです。

補習で対応というのは教える側の都合から出てきた
話です。

一人が大勢を「効率よく」教えるために一斉授業を
します。経済性にも合致します。
でも、一斉では流れに乗れない生徒が出てきます。

教える側にも問題はあるでしょうが、仕組みその物
が遅れる生徒を生むのです。
初めから一斉授業をしなければ遅れた生徒に補習を
する必要はないのです。

(戦前、軍隊では走るなどの競争をさせ、ビリには
 ビンタ。などということをしていたそうです。
 必ず、ビリはできますから、ビンタをするために
 そういうことをしていた、とも言えます。

 教育の構造がムリヤリ格差をつけるのです。)

上記に、ちょっと似たところがありますが
自分達の都合からでたことを生徒に押し付けた揚句
補習です。
「オマエラは頭が悪いから特別に教えてやる」
「どうしてきちんと勉強しないんだ」
「授業、聞いてんのか?」

さすがにそこまでロコツな先生はいないでしょう
けれども、生徒の側から見れば
「そう思われているか」と考えるかもしれません。

そこまで気を回してくれる先生がどれだけいるか?

たしかに補習をしてくださる側は誠心誠意。
それはよくわかります。

でもね。怪我をさせておいて親切に手当てするより
そもそも怪我をさせないことが肝心じゃないですか。

気付いておられても「やむをえん」と仰る方、
それで給料を頂くわけですか?
生徒の立場に立ってみたらどうでしょう。
私には勤める勇気は持てませんね。蛮勇?

人にもよるでしょうが、傷つく生徒はいます。
ずっと続けば負け組気分になるでしょう。
それが教育??

個人ではどうにもならないレベルの話かも
しれません。
そう思われている先生に拙作を献呈します。

『生徒よりわが身大事か?聖職者』

補習などより授業してりゃそれだけで良い
のでしょうね。


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