カミュ

2013-03-02 10:30:10 | 塾あれこれ
私の若いころ、カミュ・サルトル論争というものがありました。

実存主義におけるコップの嵐でしょうか。
より政治的でラディカルなサルトルの圧勝。

けれども、勝ったサルトルが現在どう読まれているか?

勝手な推量ですが「サルトルが引き続き圧倒的に読まれ
カミュはその優柔不断・論理の不一致ゆえに沈んだ・・」
とは言えないのではないでしょうか。

むしろカミュが今また読まれている?・・贔屓すぎるかな。


政治がかった論争では、たいがいラディカルが勝ちます。
理論というものの限界でもありますね。
(最近は宗教でもイスラム原理主義などに勢いがあります)

人間ってもっと複雑なモノなのに。

時には矛盾もする人間という存在を丸ごと引き受けようとした
カミュがサルトルに論争で負けるのは(当然)です。

論争相手から「で、あなたはどうするの?」と訊かれつづけ
筋道の通らない返答しかできない処へ追い込まれます。


混沌とした自分を中心に据えるか、理論を先行させるか。

好き嫌いでいうと私はサルトルよりカミュが好きです。

しかし、アルジェリア戦争に関して言えばカミュは
分裂しまくっているように見えますね。

当時アルジェリアに沢山いたフランスからの移民は
それなりにアルジェリアを愛し社会へ溶け込んでいます。
もちろん外からやってきた仏人が現地で何の問題もない筈が
ありません。

無条件で出て行けと思われていたかもしれません。

日本から満州に行った人の立場に似ている処があるかな。

いくら満州を愛し、自分は満州人だと言おうと
現地に役立ち、中国人と共に平和に暮らしていようと
しょせん占領した側の人間でしかなかった面があります。

同じく「私達はアルジェリア人として生きる」と言っても
右翼からも左翼からも叩かれます。

カミュの言う
「暴力はいけないが、愛する母は暴力を使ってでも守る」

気持ちは分かりますが(盛り上がっている人間たち)からは
優柔不断と言われます。
本来そういう発信はしてはいけないのです。
黙って心にしまっておくに限ります。

しかしそこを苦闘するのが文学者たる所以でしょう。


カミュは猫好きだったようです。
犬派じゃないよね。


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