尾道は案外と小鳥が少ないですね。
歩く場所が狭く立て込んだ町並みだけに
気づきにくいのかもしれません。
上の写真はかなり以前に尾道で撮ったもので
不鮮明ですがヒヨドリでしょう。
「キーキー。撮るな!っつーてんだろ。
おめーら、嫌いなんだよ。あっち行け。ばかやろ」
○
尾道は一応、港町でもあり、漁師も多くいました。
道が狭くて車の心配がない、など
ネコにとっては住みやすい町ですね。
ネコが小鳥をみな「排除する」のかしらん。
犬は半世紀前も少なかったですね。
ノラ犬と金持ちの番犬と。
今のようなペットは少なかった。
飼うには金が掛かるしね。
○
長江の交差点近くに小鳥屋さんが今もあります。
私が子供の時にはもうありました。
・・・昔は小鳥のお店って多かったですよね。
栗原の祖父母んチの町内にもありました。
製材所、竹細工、散髪屋、鉄工所、喫茶店、小鳥屋
よろず屋、一杯飲み屋、マッサージ、テーラー
・・などなどがシモタ屋と混在し隣り合わせ。
昭和の町は住みやすかったかもしれません。
小さな町内のすぐ隣外には駄菓子屋、八百屋、肉屋
風呂屋、自転車屋・・
○
魚屋さんがないでしょ。
「ばんより」と言われる魚の行商が回っていたから。
ただ私は「ばんより」は耳馴染みがありません。
行商のオバサンの名前で呼んでいた。
「○○、来たよ」
(その名前が出てこない・・)
「晩に寄る」からという語源説があります。
本当かな?
朝、揚がった魚を売りに回ります。
氷も高かった時代。
鮮度の良いうちに売らねばなりませんから
晩にはとっくに店じまいの筈。
夕刻に魚を売りに来られても晩のオカズは
すでに出来あがってるじゃないですか。
今と時代が違い、6時には家族そろって夕飯です。
明日のオカズに?晩寄り?
馬鹿を言うもんじゃありません。
そんなイキの悪い魚の食い方はしません。
歩く場所が狭く立て込んだ町並みだけに
気づきにくいのかもしれません。
上の写真はかなり以前に尾道で撮ったもので
不鮮明ですがヒヨドリでしょう。
「キーキー。撮るな!っつーてんだろ。
おめーら、嫌いなんだよ。あっち行け。ばかやろ」
○
尾道は一応、港町でもあり、漁師も多くいました。
道が狭くて車の心配がない、など
ネコにとっては住みやすい町ですね。
ネコが小鳥をみな「排除する」のかしらん。
犬は半世紀前も少なかったですね。
ノラ犬と金持ちの番犬と。
今のようなペットは少なかった。
飼うには金が掛かるしね。
○
長江の交差点近くに小鳥屋さんが今もあります。
私が子供の時にはもうありました。
・・・昔は小鳥のお店って多かったですよね。
栗原の祖父母んチの町内にもありました。
製材所、竹細工、散髪屋、鉄工所、喫茶店、小鳥屋
よろず屋、一杯飲み屋、マッサージ、テーラー
・・などなどがシモタ屋と混在し隣り合わせ。
昭和の町は住みやすかったかもしれません。
小さな町内のすぐ隣外には駄菓子屋、八百屋、肉屋
風呂屋、自転車屋・・
○
魚屋さんがないでしょ。
「ばんより」と言われる魚の行商が回っていたから。
ただ私は「ばんより」は耳馴染みがありません。
行商のオバサンの名前で呼んでいた。
「○○、来たよ」
(その名前が出てこない・・)
「晩に寄る」からという語源説があります。
本当かな?
朝、揚がった魚を売りに回ります。
氷も高かった時代。
鮮度の良いうちに売らねばなりませんから
晩にはとっくに店じまいの筈。
夕刻に魚を売りに来られても晩のオカズは
すでに出来あがってるじゃないですか。
今と時代が違い、6時には家族そろって夕飯です。
明日のオカズに?晩寄り?
馬鹿を言うもんじゃありません。
そんなイキの悪い魚の食い方はしません。
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