![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/d9/8634d2d7bdbb0b62ae587822bf0d69d3.jpg)
写真は廉塾の様子。
建物は塾生の寄宿舎、江戸時代のまま。
奥に教場などがあります。
手前の菜園も当時このようにして塾で耕作をしていたのを
再現されているそうです。
菅茶山が始めた私塾「黄葉夕陽村舎」(好い名前ですね)
のちに福山藩の塾となり「廉塾」
気持ちがよい空気にあふれ、昔へ戻れそうな気がします。
こんな場所は日本にはもう少ないかもしれませんね。
それだけでも訪問する価値が十分にあります。
(広島県における国指定特別史跡はここと厳島の二つ)
○
菅茶山は私には難しくて苦手です。
日ごろ生徒に勉強しろとか言いつつ、自分がそれでは
いけないのですがねえ。
特に漢詩は厳しい。
上手下手などさっぱり分かりませんし教養もない・・
ということで恥をさらけだしています。
しかし菅茶山の故郷に私塾を開こうという気組みですね
これは立派なことです。
現代日本で塾を始めるのとはワケが違いますから。
ボランティアに近いことを覚悟していたのでは?
故郷に塾を開かねばならぬ、という使命感ですね。
現代の我々に欠けることです。
塾というものは、かくあるべきでは?
(私んとこは寺子屋ですが)
○
10日、初めて神辺の町を訪れました。
遠いですね、JRで3時間近くかかります。
(電車の連絡が良い場合には若干短い)
バスで広島市中心部まで2時間ですが、
そこから我が家まで時間がかかりますから
結局時間は変わりません。・・バスでも遠い。
往きはまだ良いのですが、帰りがどっと疲れました。
○
神辺はちょうど秋祭りで子供が20人ほど法被を着て
練り歩いていました。
遠くからでも祭りの鐘の音がどこからか届き
秋晴れを彩ります。
京都の小さな祭りの感じがしました。
城下町、宿場町として栄えたのち、忘れられたごとき
存在であった(失礼)ようですが
近年はまた元気になっているそうです。
第一印象として、好い町でした。
静かで、人の生き方には矜持がありそうで。
決して観光目当ての町づくりはしていないようです。
でもブラリと歩くには好い所かもしれません。
旧本陣や廉塾など訪れたところはみな無料
案内はボランティアの方がしてくださいました。
町の空気が昔の武士や大商人の気構えを引き継いで
おられるのかもしれませんね。
尾道に生まれたものとして、隣ともいうべき神辺に
行ったことがなかったちゅーのは拙かったようです。
○
松下村塾も良いのですが、観光地になっちゃった。
閑谷学校も有名ですしね、人は多い。
廉塾はそこが違います。
『ひっそりと裏を流れる水 清(すが)し』
何もないっちゃ何もないので観光バスは行きません。
そこが良いところでしょうね。
たしかに地域振興として観光という産業は大切ですが
日本中どこへ行っても似たような観光地というのも
つまんない、私は。
○
格子窓のしっかりとした和風建築の、中はフツーの
喫茶店なんてなのは、もう飽きましたね。
街並みを維持する工夫とは思うのですが。
建物は塾生の寄宿舎、江戸時代のまま。
奥に教場などがあります。
手前の菜園も当時このようにして塾で耕作をしていたのを
再現されているそうです。
菅茶山が始めた私塾「黄葉夕陽村舎」(好い名前ですね)
のちに福山藩の塾となり「廉塾」
気持ちがよい空気にあふれ、昔へ戻れそうな気がします。
こんな場所は日本にはもう少ないかもしれませんね。
それだけでも訪問する価値が十分にあります。
(広島県における国指定特別史跡はここと厳島の二つ)
○
菅茶山は私には難しくて苦手です。
日ごろ生徒に勉強しろとか言いつつ、自分がそれでは
いけないのですがねえ。
特に漢詩は厳しい。
上手下手などさっぱり分かりませんし教養もない・・
ということで恥をさらけだしています。
しかし菅茶山の故郷に私塾を開こうという気組みですね
これは立派なことです。
現代日本で塾を始めるのとはワケが違いますから。
ボランティアに近いことを覚悟していたのでは?
故郷に塾を開かねばならぬ、という使命感ですね。
現代の我々に欠けることです。
塾というものは、かくあるべきでは?
(私んとこは寺子屋ですが)
○
10日、初めて神辺の町を訪れました。
遠いですね、JRで3時間近くかかります。
(電車の連絡が良い場合には若干短い)
バスで広島市中心部まで2時間ですが、
そこから我が家まで時間がかかりますから
結局時間は変わりません。・・バスでも遠い。
往きはまだ良いのですが、帰りがどっと疲れました。
○
神辺はちょうど秋祭りで子供が20人ほど法被を着て
練り歩いていました。
遠くからでも祭りの鐘の音がどこからか届き
秋晴れを彩ります。
京都の小さな祭りの感じがしました。
城下町、宿場町として栄えたのち、忘れられたごとき
存在であった(失礼)ようですが
近年はまた元気になっているそうです。
第一印象として、好い町でした。
静かで、人の生き方には矜持がありそうで。
決して観光目当ての町づくりはしていないようです。
でもブラリと歩くには好い所かもしれません。
旧本陣や廉塾など訪れたところはみな無料
案内はボランティアの方がしてくださいました。
町の空気が昔の武士や大商人の気構えを引き継いで
おられるのかもしれませんね。
尾道に生まれたものとして、隣ともいうべき神辺に
行ったことがなかったちゅーのは拙かったようです。
○
松下村塾も良いのですが、観光地になっちゃった。
閑谷学校も有名ですしね、人は多い。
廉塾はそこが違います。
『ひっそりと裏を流れる水 清(すが)し』
何もないっちゃ何もないので観光バスは行きません。
そこが良いところでしょうね。
たしかに地域振興として観光という産業は大切ですが
日本中どこへ行っても似たような観光地というのも
つまんない、私は。
○
格子窓のしっかりとした和風建築の、中はフツーの
喫茶店なんてなのは、もう飽きましたね。
街並みを維持する工夫とは思うのですが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます