『ひろしま』見てきました。
迫力がありますね。
ひとつはリアルさ。
その当時「今、残しておかねば」と思われた人々の
切実な気持ちがひしひしと伝わります。
本当はもっともっと悲惨だったはずでしょうですが
映画でこれだけ真に迫るということは私の記憶には
ありません。
特殊効果とかメイクというレベルの問題ではありません。
どれほど気持ちが入っているか、何万もの市民が参加した
その一人一人が伝えたいことをお持ちだったのです。
劇映画として撮った部分以外に実写フィルムも挿入され
違和感がない繋ぎ具合になっています。
いかに大変な撮影であったか想像を絶しますね。
○
多くのエピソードが語られます。
今日、映画を見ていた人も思わず声をあげられました。
「そうだった」「こんなこともあった」
「~は可哀そうだった」「こんな立派な人もいた」
広島で見るから余計に感じるのでしょう。
原発が問題となり、世界では非核への高まりもある中で
今こそ多くの人が見るべき映画ですね。
重い、つらい映画ですが。
○
もうひとつの迫力は戦後十年もたたないうちに
「風化」が始まっており(→映画を作る必要があった)
しかし反対に深い爪痕が人にも景色にも残っていた
という時間的な感触。
目をどちらに向けるか、風景に何を見るかで
世界は違うのです。
今なさねば、というのは映画が出来て半世紀以上たった
現在でも存在していることでもあります。
まず何がどうできるかなのですが。
小さな映画館を埋めておられた観客は大抵が高齢者
(昔、学校の教員をされていた方も多かった?)
今、この映画を懐古趣味で見ているか?
そうではなく、現在の課題を考えようと来ておられる
のではないかと思います。
ワンちゃん映画みたいに「涙を流しても後ハッピー」と
いうのとは映画の役目が違います。
とても現代的な意味を持つ映画上映ですね。
○
映画の出来という意味では偏りがあると思います。
原爆の悲惨さを再現する部分と戦後の部分がうまく
つながっていないように思いました。
再現部分にそれだけ力がそそがれたということ
でしょう。
CG技術を使えば似たものはできるかもしれません。
でもきっと違うハズです。
繰り返しますが映画に注がれた気持ちが、ね。
当時の教職員組合が作ったということで
政治色はどうか。
一方的な主張はなるべく避けているようです。
反戦、反核と声を大きくするだけでは伝わらないことも
多いのですから。
日頃立場を異にしている人にも見て頂きたいと思います。
反米的などの理由で世界中から締め出された映画が
今になっても発信力を保っていたのです。
それにしてもこの映画程度で「反米」とは・・
笑っちゃいますよね。(時代の空気が分かります)
ABCCなんかひどかったんだから。
今なら脱原発と言ってもその人の意見として聞いて頂く
こともできますが、数年前なら「アカ」と言われるのが
オチでした。
今も昔も色眼鏡はたくさんあるようです。
○
私が、女優では一番だと思う山田五十鈴さんが出演されて
いました。
この映画は代表作の一つになるのではないでしょうか。
迫力がありますね。
ひとつはリアルさ。
その当時「今、残しておかねば」と思われた人々の
切実な気持ちがひしひしと伝わります。
本当はもっともっと悲惨だったはずでしょうですが
映画でこれだけ真に迫るということは私の記憶には
ありません。
特殊効果とかメイクというレベルの問題ではありません。
どれほど気持ちが入っているか、何万もの市民が参加した
その一人一人が伝えたいことをお持ちだったのです。
劇映画として撮った部分以外に実写フィルムも挿入され
違和感がない繋ぎ具合になっています。
いかに大変な撮影であったか想像を絶しますね。
○
多くのエピソードが語られます。
今日、映画を見ていた人も思わず声をあげられました。
「そうだった」「こんなこともあった」
「~は可哀そうだった」「こんな立派な人もいた」
広島で見るから余計に感じるのでしょう。
原発が問題となり、世界では非核への高まりもある中で
今こそ多くの人が見るべき映画ですね。
重い、つらい映画ですが。
○
もうひとつの迫力は戦後十年もたたないうちに
「風化」が始まっており(→映画を作る必要があった)
しかし反対に深い爪痕が人にも景色にも残っていた
という時間的な感触。
目をどちらに向けるか、風景に何を見るかで
世界は違うのです。
今なさねば、というのは映画が出来て半世紀以上たった
現在でも存在していることでもあります。
まず何がどうできるかなのですが。
小さな映画館を埋めておられた観客は大抵が高齢者
(昔、学校の教員をされていた方も多かった?)
今、この映画を懐古趣味で見ているか?
そうではなく、現在の課題を考えようと来ておられる
のではないかと思います。
ワンちゃん映画みたいに「涙を流しても後ハッピー」と
いうのとは映画の役目が違います。
とても現代的な意味を持つ映画上映ですね。
○
映画の出来という意味では偏りがあると思います。
原爆の悲惨さを再現する部分と戦後の部分がうまく
つながっていないように思いました。
再現部分にそれだけ力がそそがれたということ
でしょう。
CG技術を使えば似たものはできるかもしれません。
でもきっと違うハズです。
繰り返しますが映画に注がれた気持ちが、ね。
当時の教職員組合が作ったということで
政治色はどうか。
一方的な主張はなるべく避けているようです。
反戦、反核と声を大きくするだけでは伝わらないことも
多いのですから。
日頃立場を異にしている人にも見て頂きたいと思います。
反米的などの理由で世界中から締め出された映画が
今になっても発信力を保っていたのです。
それにしてもこの映画程度で「反米」とは・・
笑っちゃいますよね。(時代の空気が分かります)
ABCCなんかひどかったんだから。
今なら脱原発と言ってもその人の意見として聞いて頂く
こともできますが、数年前なら「アカ」と言われるのが
オチでした。
今も昔も色眼鏡はたくさんあるようです。
○
私が、女優では一番だと思う山田五十鈴さんが出演されて
いました。
この映画は代表作の一つになるのではないでしょうか。
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