映画『ひろしま』

2011-10-11 09:25:39 | 見る
『ひろしま』見てきました。
迫力がありますね。

ひとつはリアルさ。
その当時「今、残しておかねば」と思われた人々の
切実な気持ちがひしひしと伝わります。

本当はもっともっと悲惨だったはずでしょうですが
映画でこれだけ真に迫るということは私の記憶には
ありません。

特殊効果とかメイクというレベルの問題ではありません。
どれほど気持ちが入っているか、何万もの市民が参加した
その一人一人が伝えたいことをお持ちだったのです。

劇映画として撮った部分以外に実写フィルムも挿入され
違和感がない繋ぎ具合になっています。
いかに大変な撮影であったか想像を絶しますね。


多くのエピソードが語られます。
今日、映画を見ていた人も思わず声をあげられました。

「そうだった」「こんなこともあった」
「~は可哀そうだった」「こんな立派な人もいた」

広島で見るから余計に感じるのでしょう。

原発が問題となり、世界では非核への高まりもある中で
今こそ多くの人が見るべき映画ですね。
重い、つらい映画ですが。


もうひとつの迫力は戦後十年もたたないうちに
「風化」が始まっており(→映画を作る必要があった)
しかし反対に深い爪痕が人にも景色にも残っていた
という時間的な感触。

目をどちらに向けるか、風景に何を見るかで
世界は違うのです。

今なさねば、というのは映画が出来て半世紀以上たった
現在でも存在していることでもあります。
まず何がどうできるかなのですが。

小さな映画館を埋めておられた観客は大抵が高齢者
(昔、学校の教員をされていた方も多かった?)
今、この映画を懐古趣味で見ているか?
そうではなく、現在の課題を考えようと来ておられる
のではないかと思います。

ワンちゃん映画みたいに「涙を流しても後ハッピー」と
いうのとは映画の役目が違います。

とても現代的な意味を持つ映画上映ですね。


映画の出来という意味では偏りがあると思います。

原爆の悲惨さを再現する部分と戦後の部分がうまく
つながっていないように思いました。

再現部分にそれだけ力がそそがれたということ
でしょう。
CG技術を使えば似たものはできるかもしれません。
でもきっと違うハズです。

繰り返しますが映画に注がれた気持ちが、ね。

当時の教職員組合が作ったということで
政治色はどうか。
一方的な主張はなるべく避けているようです。

反戦、反核と声を大きくするだけでは伝わらないことも
多いのですから。

日頃立場を異にしている人にも見て頂きたいと思います。

反米的などの理由で世界中から締め出された映画が
今になっても発信力を保っていたのです。

それにしてもこの映画程度で「反米」とは・・
笑っちゃいますよね。(時代の空気が分かります)
ABCCなんかひどかったんだから。

今なら脱原発と言ってもその人の意見として聞いて頂く
こともできますが、数年前なら「アカ」と言われるのが
オチでした。
今も昔も色眼鏡はたくさんあるようです。


私が、女優では一番だと思う山田五十鈴さんが出演されて
いました。
この映画は代表作の一つになるのではないでしょうか。


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