高橋源一郎は尾道に住んでいた

2013-10-19 16:04:55 | 塾あれこれ
高橋源一郎さんは著名な文学者です。
マスメディアのご登場も多い。

私は作品を読んだことはありません。

たしか尾道の出身ということをうっすらと
聞いたような、ま、関心がありませんから。


先日、彼が尾道を歩くというTV番組がありました。

すると「通っていた小学校」として懐かしい土堂が
出てき、そのまま見続けてしまいました。

最近では百マスで名を売った怪しげな教育者Kを
校長にしたことで学校が有名になりましたね。
名前を売るのがお上手とお見受けします。

映画監督の大林宣彦も土堂小を出たようです。

土堂小の正門から階段を降り、鉄路をまたぐ橋の階段を
更に降りるとすぐ、林芙美子の住んでいた跡に出ます。

その横の(うずしお小路)とやらを海の方面に向かい
海岸通りに出た辺りに私が住んでいた家がありました。
著名な「しみず食堂」の斜め向かい。

ただし海岸通りの「整備」のため、昔の面影は
まったく残っていません。
「しみず」も西側に移りました。

多くの方に愛された「しみず」ですが写真家で岩波新書も
著された石川文洋さんもその一人です。
ただし旧の食堂でしょう。
なんともいえない空気がありましたね。

建物を強制破壊され清水のみっちゃんも悔しかったでしょう。

(昔、みっちゃんのお母さんが鉄板でキンツバを焼いておられ
 そのすぐ向こうに雁木があって、海が見えましたね)

わずか数十年前まであった風情をぶちこわし
「こぎれいな」場所にしてしまったのです。
税金を使ってね。

もちろん多くの日本人が「こ綺麗な」風景を好むのでしょうが
つまらない人が多いね。
経済には勝てないのですけれど。

今の場所に移転してからは「しみず」に行ってません。

その、元の我が家(当然借家です)から歩いて数分の処に
高橋源一郎さんの家があったようです。
(新藤兼人が若いころ店員で働いていた)


話を元へ戻しましょう。

高橋さんが土堂小学校の正門に行き、真正面の4F校舎を
「覚えている」と仰いました。

土堂小学校は、戦前に建てられていた「東校舎」
戦前には珍しい鉄筋コンクリ-ト3階建ですが
戦後もそれに続く校舎の増改築ラッシュだったようです。

東校舎の南に増築(昭和32年)

この三階の教室は見晴らしが良いのでよくロケに使われます。
朝ドラ「てっぱん」にも。

小5の私の教室でもありました。
部屋は最高でしたが、先生が超怖いミトウ先生
・・学年途中で私が転校となり、ほっとしましたね。

高橋さんが言われた正面の校舎は私が小2迄は
木造二階建ての古いものでした。
ギシギシ言う階段が広くて、如何にも「学校」。

そこを取り壊し、後に出来あがったのが鉄筋四階建
一階は雨天体操場でした。
画期的だったから高橋さんも記憶に残るのでしょう。

でも、調べたら彼は私より一学年だけ下だから
木造校舎を覚えていてしかるべきだけれどなあ。


カミサンが「じゃ、小さいころの高橋さんと
学校や町で会っていたかもしれないね」

「うん、桂馬の蒲鉾の路地を走って職人さんに
 叱られていたかもしれない」


写真は、再び防府。
山頭火の生家跡です。

下手な写真で我々が写りこんでいます。


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