横川シネマに行ってきました。
アラン・ゴミスという監督の『わたしは、幸福』
すごい映画でしたね。
何年に一本出会えるかどうかのレベルでした。
映画好きを自認される方がおられましたら
お薦めの一本です。
日本人には受けない映画かもしれませんが。
○
まず、描かれた社会が「暗い」
日本と対極に位置する文化かもしれません。
そう、よく知らない世界。
同じ太鼓の音楽があるとして、日本とアフリカでは
まったく違うものである筈で
それと同様に映画で社会を表現するという手法は同じでも
まったく味わいの違うものが提供されているのです。
平凡な言い方ながら、現実は厳しく生きることは大変
それを真っ正面から描いているのです。
といっても「社会派」みたいな主義主張が目立つものでは
ありません。
一人の女性と家族の生きざまをある種ファンタスティックに
繰り広げてくれるのです。
けれど、繰り返しますが暗い!
画像も夜のシーンなど見づらいほどでした。
ん、そっちでも(暗かった。)
けれど描かれた人たちの「強い」こと。
我々では、あゝはいきませんね。
◎
手持ちカメラで続く画面は描かれる暗さとエネルギーを
象徴するようでしたよ。
ヒッチコックがカメラのトリックを売りにしたのと反対に
映画の為には監督のもつ技術を惜しみなく投入しています。
それも今の進んだ映像技術なら簡単であろうことを
古い映像技術でやってのけるのです。
町全体が止まっている中をひとり走る男
人間の多さを表現する重ね撮り
カメラの移動もすごい
○
カミサンが「そうは言っても何故それが分かる?」
今の技術を使っているかもしれないと指摘します。
カメラの移動でも手持のままの移動なので
器械によるものとは違うのです。
もちろん質感も違う。
○
日本で当たらない・・んー 残念。
アラン・ゴミスという監督の『わたしは、幸福』
すごい映画でしたね。
何年に一本出会えるかどうかのレベルでした。
映画好きを自認される方がおられましたら
お薦めの一本です。
日本人には受けない映画かもしれませんが。
○
まず、描かれた社会が「暗い」
日本と対極に位置する文化かもしれません。
そう、よく知らない世界。
同じ太鼓の音楽があるとして、日本とアフリカでは
まったく違うものである筈で
それと同様に映画で社会を表現するという手法は同じでも
まったく味わいの違うものが提供されているのです。
平凡な言い方ながら、現実は厳しく生きることは大変
それを真っ正面から描いているのです。
といっても「社会派」みたいな主義主張が目立つものでは
ありません。
一人の女性と家族の生きざまをある種ファンタスティックに
繰り広げてくれるのです。
けれど、繰り返しますが暗い!
画像も夜のシーンなど見づらいほどでした。
ん、そっちでも(暗かった。)
けれど描かれた人たちの「強い」こと。
我々では、あゝはいきませんね。
◎
手持ちカメラで続く画面は描かれる暗さとエネルギーを
象徴するようでしたよ。
ヒッチコックがカメラのトリックを売りにしたのと反対に
映画の為には監督のもつ技術を惜しみなく投入しています。
それも今の進んだ映像技術なら簡単であろうことを
古い映像技術でやってのけるのです。
町全体が止まっている中をひとり走る男
人間の多さを表現する重ね撮り
カメラの移動もすごい
○
カミサンが「そうは言っても何故それが分かる?」
今の技術を使っているかもしれないと指摘します。
カメラの移動でも手持のままの移動なので
器械によるものとは違うのです。
もちろん質感も違う。
○
日本で当たらない・・んー 残念。
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