先日の「日中戦争」のフォローをしておきます。
私は学者でも専門家でもないので客観的なことを
調べることは出来ません。
したがって、どの程度の事実であったか等は不明
ですが、さもありなん、ということでもあったよう
に思っています。
悪行に言及すること自体は国辱的だとは思いません。
都合が悪いことに触れないほうが良くありません。
勿論ことさら露悪的になることもいけません。
いわゆる自虐的な表明も感心しません。
反対に「日本だけが悪いわけじゃない」という人も
おられるでしょう。私もそのとおりと思います。
けれども、だからといって良くないことはよくない
と言わない事も大きな間違いです。
戦争なんてそんなものと言う人もいるし、そうだろう
とも思います。
けれどもそんなものである「から」触れずにおく、と
いう考えには賛成できません。
○
更に、そのような事実は「一切」なかった、という人
もおられるかもしれませんが、そこまでゆくと事実を
誤認しています。
わが父も戦場で実見していたそうです。
人を斬殺した人間の顔のものすごさは、時に、父の
もらしていたことです。
父は大の共産主義嫌いでした。
シベリア抑留のひどさも重い口から少しだけ聞いた
ことがあります。
歯が一本もなくなって昭和23年帰国したそうです。
◎
こんな話は教育に関係がないとか、偏った教育をする
人が話すことだ、というのも不適切でしょう。
教育に関係する限り、人間という存在を真剣に考える
必要があるからです。
・・などと書きながら、何で聞かれもしないこと、
あえて言う必要のないこと、面倒で誤解をうけるかも
しれないことを書いているのか、と思う自分でもあり
ます。
◎
本題に戻る前に時間がなくなってしまいました。
私自身は万一戦場に赴けばどうなる?
非人間的になるか、まったく自信がありません。
自分が行かないだけで済ますわけにはいかないと
思いつつ、そうならないことを祈るだけです。
(トシだから徴兵はないですけれども)
この辺りは、遠く「体罰」など教育に関係してく
る問題です。
何も戦争まで引っ張り出さなくても、という意見
もあるかとは思いますが、大切な話です。
右も左もこの件に関してはヒステリックで
考えなければいけないことなのに、触りたくない
空気がありますよね。
3.25
私は学者でも専門家でもないので客観的なことを
調べることは出来ません。
したがって、どの程度の事実であったか等は不明
ですが、さもありなん、ということでもあったよう
に思っています。
悪行に言及すること自体は国辱的だとは思いません。
都合が悪いことに触れないほうが良くありません。
勿論ことさら露悪的になることもいけません。
いわゆる自虐的な表明も感心しません。
反対に「日本だけが悪いわけじゃない」という人も
おられるでしょう。私もそのとおりと思います。
けれども、だからといって良くないことはよくない
と言わない事も大きな間違いです。
戦争なんてそんなものと言う人もいるし、そうだろう
とも思います。
けれどもそんなものである「から」触れずにおく、と
いう考えには賛成できません。
○
更に、そのような事実は「一切」なかった、という人
もおられるかもしれませんが、そこまでゆくと事実を
誤認しています。
わが父も戦場で実見していたそうです。
人を斬殺した人間の顔のものすごさは、時に、父の
もらしていたことです。
父は大の共産主義嫌いでした。
シベリア抑留のひどさも重い口から少しだけ聞いた
ことがあります。
歯が一本もなくなって昭和23年帰国したそうです。
◎
こんな話は教育に関係がないとか、偏った教育をする
人が話すことだ、というのも不適切でしょう。
教育に関係する限り、人間という存在を真剣に考える
必要があるからです。
・・などと書きながら、何で聞かれもしないこと、
あえて言う必要のないこと、面倒で誤解をうけるかも
しれないことを書いているのか、と思う自分でもあり
ます。
◎
本題に戻る前に時間がなくなってしまいました。
私自身は万一戦場に赴けばどうなる?
非人間的になるか、まったく自信がありません。
自分が行かないだけで済ますわけにはいかないと
思いつつ、そうならないことを祈るだけです。
(トシだから徴兵はないですけれども)
この辺りは、遠く「体罰」など教育に関係してく
る問題です。
何も戦争まで引っ張り出さなくても、という意見
もあるかとは思いますが、大切な話です。
右も左もこの件に関してはヒステリックで
考えなければいけないことなのに、触りたくない
空気がありますよね。
3.25