専門の分野で皆が認める達人がおられます。
刀を作らせたら今は誰が一番上手い、とか
肺がん手術ではだれそれとか。
寿司屋でオヤジと話をして「だれそれはシャリがいい」
とか「コハダは○○寿司」なんて聞かされると
信じますよね。
その方の意見にしかすぎないのですけれど
一応ね、信じます。
乾物屋さんが「この昆布は」とかいわれれば信じるしか
ありませんし、そのプロが褒める人がおられれば
それは素晴らしい方に違いないでしょう。
○
では、舞台演劇で俳優のだれそれが
「○○さんは演技が上手い」という場合はどうでしょう。
プロが言うことですから間違いではないでしょうが
乾物屋さんの話ほど信用性が高くありません。
緒方拳が上手いという人もいれば、そうではない、と
思う私などもいるわけです。
何でも褒めておけば無難ですがそうもいきません。
昆布は実際に使ってみれば価値が分ります。
俳優は基準がありません。
例えば、ジャンルが違えば評価も異なるはずです。
歌舞伎で上手い人を新劇で上手いというでしょうか?
笹野高史みたいに何でもできる人は別として
普通は別の世界に行けば評価はされません。
(笹野さんが勘三郎歌舞伎で輝いていたこと!)
同じジャンルでも評価が違うことだってありえます。
映画俳優でも同様です。
笠智衆を上手と言うか下手なのか。
・・器用ではないけれどね。
もちろん上手であることだけに価値があるか、も
大きな問題ではあります。
○
評価を専門にする評論家だって意見が違います。
結局、自分の中の何かが反応するかしないか。
こわそうなオバサンだけど、山田五十鈴の演じた
あの役の気持ちも伝わってくるよなー
この役もすごかったなー
それが沢山溜まってくると上手い役者と思うわけです。
反応しない人(悪くはありません。人いろいろ)は
「何だかいろいろやってるけど・・」と思うだけです。
絶対的な評価というものはなかなかありえません。
超スーパースターなら別ですけれど。
○
ことは役者には限りません。
プロ、仲間内の評価が絶対かと、疑問に思うのです。
仲間内で褒めあい素人の意見など見向きもしないのが
芸術系統に多いのですが、一番怪しいのが学校の美術。
(つづく、デス)
刀を作らせたら今は誰が一番上手い、とか
肺がん手術ではだれそれとか。
寿司屋でオヤジと話をして「だれそれはシャリがいい」
とか「コハダは○○寿司」なんて聞かされると
信じますよね。
その方の意見にしかすぎないのですけれど
一応ね、信じます。
乾物屋さんが「この昆布は」とかいわれれば信じるしか
ありませんし、そのプロが褒める人がおられれば
それは素晴らしい方に違いないでしょう。
○
では、舞台演劇で俳優のだれそれが
「○○さんは演技が上手い」という場合はどうでしょう。
プロが言うことですから間違いではないでしょうが
乾物屋さんの話ほど信用性が高くありません。
緒方拳が上手いという人もいれば、そうではない、と
思う私などもいるわけです。
何でも褒めておけば無難ですがそうもいきません。
昆布は実際に使ってみれば価値が分ります。
俳優は基準がありません。
例えば、ジャンルが違えば評価も異なるはずです。
歌舞伎で上手い人を新劇で上手いというでしょうか?
笹野高史みたいに何でもできる人は別として
普通は別の世界に行けば評価はされません。
(笹野さんが勘三郎歌舞伎で輝いていたこと!)
同じジャンルでも評価が違うことだってありえます。
映画俳優でも同様です。
笠智衆を上手と言うか下手なのか。
・・器用ではないけれどね。
もちろん上手であることだけに価値があるか、も
大きな問題ではあります。
○
評価を専門にする評論家だって意見が違います。
結局、自分の中の何かが反応するかしないか。
こわそうなオバサンだけど、山田五十鈴の演じた
あの役の気持ちも伝わってくるよなー
この役もすごかったなー
それが沢山溜まってくると上手い役者と思うわけです。
反応しない人(悪くはありません。人いろいろ)は
「何だかいろいろやってるけど・・」と思うだけです。
絶対的な評価というものはなかなかありえません。
超スーパースターなら別ですけれど。
○
ことは役者には限りません。
プロ、仲間内の評価が絶対かと、疑問に思うのです。
仲間内で褒めあい素人の意見など見向きもしないのが
芸術系統に多いのですが、一番怪しいのが学校の美術。
(つづく、デス)