さらりと読めば?

2014-04-09 13:08:47 | 塾あれこれ
たまたま本日の『天声人語』に以下の書き出しの文章が
ありました。

「東芝社長にして経団連会長だった石坂泰三は
 健康法に無頓着だった。」

1975に亡くなられていますからもう大分前の方です。
が、最今の経団連会長とはスケールが違いました。

「定期健診などで時間をつぶす気はない。
 あるとき言ったそうだ。
 『ぼくの体のことは、八十年もつき合っているぼくが、
 いちばんよくわかっている。十五分や二十分くらい診た
 医者に、わかってたまるか』」

こう始まるのですが、そういう方もおられたという自然な
書き出しですね。
もちろん現在とは医学の水準が違いますから
それをそのまま現代にあてはめるわけにはいきません。

石坂さんの本気度がどれくらいだったか存じませんが
レトリックというかシャレの部分もある言葉でしょう。


私の同級生にも医者になった人は多くいるようです。
開業医も大学病院の教授も。

正直な感想を言うならば「あいつには診てほしくないな」
中高時代を知ってるので、どうにも命を預けられないのです。
深い友達ならば違うのかな。

ともあれ大変に失礼ながら、感覚としてそうなるのですね。

もちろん、人間の成長、勉学の働き、プロのすごさ、などは
頭ではわかっています。
成長していないのは自分だけ、とも認識します。

とはいえ、どこかに「人間なんて、何も分かんない」という
気もちがありますね。
医者より自分がよく知ってる、という気も分かります。


さて上の天声人語ですが、短い文の宿命でもあるのでしょう
文意が定かでありません。

「健康法に無頓着」はひとつの良識です。
だれかがコンニャク食って健康だからといって
他人にあてはまるかどうかは証明されません。
それどころか、本人が勝手にコンニャクと信じているだけで
健康の原因は別にあるのかもしれませんね。

また、大豆は多くの人から良いと言われているから
これは信頼性がある、なんてご意見もあるでしょう。
栄養学の研究もあるかもしれません。

けれどもそれとて自分に当てはまるかどうかは疑問。

ですから「無頓着」で悪くはない。
(天声人語も良い悪いは言ってない)

けれど「定期健診」を受けないことが、健康法に無頓着と
どう関係するのか、
この文章の繋がりは非論理的です。

同時に、医者が分かるか、という部分とも論理では
繋がりません。

・・・なのですが、さらりと読みとばすと
「普通のこと」がウィットに富んで書かれている、と
思えるのですね。


新聞だけにかぎりません。
TVのコメントなんてもっともっとひどい。
ニュースですら支離滅裂なことがいっぱいです。

これで民主主義は大丈夫なのかなあ


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