童謡と唱歌

2009-03-18 14:58:44 | SONGS
昨日♪梅の小枝で、を童謡と書きましたが
唱歌でした。
昭和16年、林柳波作詞『うぐいす』

鶯は本来は「うぐひす」です。
昭和16年だから題名も旧仮名で「うぐひす」かなあ
と思うのですが、よく分りません。

万葉の昔から
『うぐひすの待ちかてにせし梅の花・・』と
詠まれています。
昔から梅にうぐひす、ですから知らない筈はない!

何か事情があって(うぐいす)としたのでしょうね。


さて、童謡と唱歌ですが、しばしば引用させて頂く
高島俊男先生の著書、文春文庫『お言葉ですが⑧』に
童謡と唱歌の違いを書かれています。
(p248~「からたちの花が咲いたよ」と「赤い靴はいて
た女の子」の二回)

童謡は大正時代にそれまでの長い文部省唱歌の歴史に
そのアンチテーゼとして生まれたものです。

鈴木三重吉、北原白秋などが運動しました。

「唱歌は子供を教育する手段であり、童謡は子供を
賛美した藝術である」と白秋は述べているそうです。

ところが現在、正反対の性格を持っていた童謡と唱歌が
昔の子供の歌だからでしょう、混同されています。
(私も昨日間違えた)

高島先生は全てをひとくくりにすることは良くないと。
自民党と民主党を一緒にするようなものだから。

もちろん立場により考えかたにより「一緒にしてもよい」
ということはありえます。
反対の立場のものですからそれを一緒にするには根拠が
必要です。
それなくして一緒にするのは無知。
恥ずかしいだけでなく文化を破壊することです。

ちょっとオオゲサですか?
今では童謡唱歌とくくるようですが、私みたいな
無知蒙昧のヤカラが出てくる下地かもしれません。


ただし定義の問題もありそうです。
童謡運動は昭和に入り下火になります。
それが昭和十年ころから再び登場してきます。

ただこれは高島先生に言わせると当初の童謡とは
似て非なるものでした。
単なる幼児の歌、と書いておられます。
「おさるのかごや」「かわいい魚屋さん」

『うぐいす』を作詞した林柳波は初め童謡運動に
加わっていましたがのちには唱歌の選定側に変わり
作品を残しています。
『うぐいす』も勿論唱歌。

彼には『ウミ』うみはひろいなおきいな
『オウマ』おうまのおやこはなかよしこよし

など有名な作がいくつかあります。
輪郭の太いスッキリした歌が多いようですね。
悪口言えば、どうとでもとれる=内容がない・・・

補作も『港』『たなばたさま』など有名です。
センスがよい方でもあったのでしょう。


比較文化論の芳賀徹先生がワリと気軽に書かれた
中公新書『詩歌の森へ』

本の帯に惹句として
「古今東西の文学藝術に精通した著者がみずからの
体験を回想しつつ四季折々の詩歌味読・・」とあり
新聞に連載した短い文143章からなっています。

和歌、俳句、漢詩、詩歌はもとより庶民の歌や
散文まで(歌なるもの)を紹介されます。
もちろん洋物もね。

その中で文部省唱歌に触れた章が、ななんと7つも
あるのです。
重視されているのですね。
『夏は来ぬ』『故郷の空』『雪』『早春賦』
『花』『朧月夜』『紅葉』の7章。

ところが童謡にはいっさい触れていません。
高島先生とは6歳しか違わないのに随分と違う感じを
受けます。

これも自分の子供時代が関わるからでしょう。
すぐに泣いてしまうほどのインパクトがある世界
ですから、好き嫌いも大きいのです。


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