昨日♪梅の小枝で、を童謡と書きましたが
唱歌でした。
昭和16年、林柳波作詞『うぐいす』
鶯は本来は「うぐひす」です。
昭和16年だから題名も旧仮名で「うぐひす」かなあ
と思うのですが、よく分りません。
万葉の昔から
『うぐひすの待ちかてにせし梅の花・・』と
詠まれています。
昔から梅にうぐひす、ですから知らない筈はない!
何か事情があって(うぐいす)としたのでしょうね。
◎
さて、童謡と唱歌ですが、しばしば引用させて頂く
高島俊男先生の著書、文春文庫『お言葉ですが⑧』に
童謡と唱歌の違いを書かれています。
(p248~「からたちの花が咲いたよ」と「赤い靴はいて
た女の子」の二回)
童謡は大正時代にそれまでの長い文部省唱歌の歴史に
そのアンチテーゼとして生まれたものです。
鈴木三重吉、北原白秋などが運動しました。
「唱歌は子供を教育する手段であり、童謡は子供を
賛美した藝術である」と白秋は述べているそうです。
ところが現在、正反対の性格を持っていた童謡と唱歌が
昔の子供の歌だからでしょう、混同されています。
(私も昨日間違えた)
高島先生は全てをひとくくりにすることは良くないと。
自民党と民主党を一緒にするようなものだから。
もちろん立場により考えかたにより「一緒にしてもよい」
ということはありえます。
反対の立場のものですからそれを一緒にするには根拠が
必要です。
それなくして一緒にするのは無知。
恥ずかしいだけでなく文化を破壊することです。
ちょっとオオゲサですか?
今では童謡唱歌とくくるようですが、私みたいな
無知蒙昧のヤカラが出てくる下地かもしれません。
○
ただし定義の問題もありそうです。
童謡運動は昭和に入り下火になります。
それが昭和十年ころから再び登場してきます。
ただこれは高島先生に言わせると当初の童謡とは
似て非なるものでした。
単なる幼児の歌、と書いておられます。
「おさるのかごや」「かわいい魚屋さん」
『うぐいす』を作詞した林柳波は初め童謡運動に
加わっていましたがのちには唱歌の選定側に変わり
作品を残しています。
『うぐいす』も勿論唱歌。
彼には『ウミ』うみはひろいなおきいな
『オウマ』おうまのおやこはなかよしこよし
など有名な作がいくつかあります。
輪郭の太いスッキリした歌が多いようですね。
悪口言えば、どうとでもとれる=内容がない・・・
補作も『港』『たなばたさま』など有名です。
センスがよい方でもあったのでしょう。
◎
比較文化論の芳賀徹先生がワリと気軽に書かれた
中公新書『詩歌の森へ』
本の帯に惹句として
「古今東西の文学藝術に精通した著者がみずからの
体験を回想しつつ四季折々の詩歌味読・・」とあり
新聞に連載した短い文143章からなっています。
和歌、俳句、漢詩、詩歌はもとより庶民の歌や
散文まで(歌なるもの)を紹介されます。
もちろん洋物もね。
その中で文部省唱歌に触れた章が、ななんと7つも
あるのです。
重視されているのですね。
『夏は来ぬ』『故郷の空』『雪』『早春賦』
『花』『朧月夜』『紅葉』の7章。
ところが童謡にはいっさい触れていません。
高島先生とは6歳しか違わないのに随分と違う感じを
受けます。
これも自分の子供時代が関わるからでしょう。
すぐに泣いてしまうほどのインパクトがある世界
ですから、好き嫌いも大きいのです。
唱歌でした。
昭和16年、林柳波作詞『うぐいす』
鶯は本来は「うぐひす」です。
昭和16年だから題名も旧仮名で「うぐひす」かなあ
と思うのですが、よく分りません。
万葉の昔から
『うぐひすの待ちかてにせし梅の花・・』と
詠まれています。
昔から梅にうぐひす、ですから知らない筈はない!
何か事情があって(うぐいす)としたのでしょうね。
◎
さて、童謡と唱歌ですが、しばしば引用させて頂く
高島俊男先生の著書、文春文庫『お言葉ですが⑧』に
童謡と唱歌の違いを書かれています。
(p248~「からたちの花が咲いたよ」と「赤い靴はいて
た女の子」の二回)
童謡は大正時代にそれまでの長い文部省唱歌の歴史に
そのアンチテーゼとして生まれたものです。
鈴木三重吉、北原白秋などが運動しました。
「唱歌は子供を教育する手段であり、童謡は子供を
賛美した藝術である」と白秋は述べているそうです。
ところが現在、正反対の性格を持っていた童謡と唱歌が
昔の子供の歌だからでしょう、混同されています。
(私も昨日間違えた)
高島先生は全てをひとくくりにすることは良くないと。
自民党と民主党を一緒にするようなものだから。
もちろん立場により考えかたにより「一緒にしてもよい」
ということはありえます。
反対の立場のものですからそれを一緒にするには根拠が
必要です。
それなくして一緒にするのは無知。
恥ずかしいだけでなく文化を破壊することです。
ちょっとオオゲサですか?
今では童謡唱歌とくくるようですが、私みたいな
無知蒙昧のヤカラが出てくる下地かもしれません。
○
ただし定義の問題もありそうです。
童謡運動は昭和に入り下火になります。
それが昭和十年ころから再び登場してきます。
ただこれは高島先生に言わせると当初の童謡とは
似て非なるものでした。
単なる幼児の歌、と書いておられます。
「おさるのかごや」「かわいい魚屋さん」
『うぐいす』を作詞した林柳波は初め童謡運動に
加わっていましたがのちには唱歌の選定側に変わり
作品を残しています。
『うぐいす』も勿論唱歌。
彼には『ウミ』うみはひろいなおきいな
『オウマ』おうまのおやこはなかよしこよし
など有名な作がいくつかあります。
輪郭の太いスッキリした歌が多いようですね。
悪口言えば、どうとでもとれる=内容がない・・・
補作も『港』『たなばたさま』など有名です。
センスがよい方でもあったのでしょう。
◎
比較文化論の芳賀徹先生がワリと気軽に書かれた
中公新書『詩歌の森へ』
本の帯に惹句として
「古今東西の文学藝術に精通した著者がみずからの
体験を回想しつつ四季折々の詩歌味読・・」とあり
新聞に連載した短い文143章からなっています。
和歌、俳句、漢詩、詩歌はもとより庶民の歌や
散文まで(歌なるもの)を紹介されます。
もちろん洋物もね。
その中で文部省唱歌に触れた章が、ななんと7つも
あるのです。
重視されているのですね。
『夏は来ぬ』『故郷の空』『雪』『早春賦』
『花』『朧月夜』『紅葉』の7章。
ところが童謡にはいっさい触れていません。
高島先生とは6歳しか違わないのに随分と違う感じを
受けます。
これも自分の子供時代が関わるからでしょう。
すぐに泣いてしまうほどのインパクトがある世界
ですから、好き嫌いも大きいのです。