シェークスピアなら、魔女が怪しげな致死性の液体
煮えたぎる壷を操る場面がありそうですが、
最近まで日本の工場はまるで、それでしたね。
70年代初めに研修で工場見習いをしましたが
それはそれは怖ろしいところでした。
たとえば流石にプレス機には安全装置がついていた
ようですが、同工場内にはついていないのもあった
のではないか?
旋盤、熔接、焼き入れ、などなどちょっとの不注意で
大怪我どころか命まで危ない場所でしたね。
もしも零細企業であればさらに厳しかったでしょう。
ぼんやりした性格の私は「ホワイトカラーで良かった」
とつくづく思いました。
命が大切だという正直な感想ですが、ヒトサマの危険は
思い及ばぬ情けない発想でもありました。
◎
そのころマツダ(東洋工業)は広島近辺で最も進んだ
工場でした。
今なら3Kと言われる仕事の多くにロボットが組み込
まれたラインが出来てたのです。
コンピューター制御も進んでいましたね。
スポット熔接などもロボットアームが火花を散らして
こなしてゆく、そんな(よく見た光景)です。
私が研修をうけた中小工場の危険度からみれば
ロボットとはなんて役立つ存在だったことでしょう。
◎
そもそもロボットってそういう存在ですから
形態は人間とはまるで違うものでした。
今でも千葉工大の古田貴之さんなどは災害救助とか
人間に役立つものを形にとらわれないで研究する、
というお立場だそうです。
人間に似せる必然性はないので機能優先。
人型のロボットはアシモみたいにお遊びの延長と
思っていたら、さにあらず。
もちろんただのお遊びでないとは分かっていますが
「夢がある」というイメージが強いでしょ?
阪大の浅田稔教授によると人型のロボットを研究し
それが人間を知ることに繋がるのだそうです。
進歩しているものですね。
ロボットという存在から人間を考えるのは
フィクションの世界だけではなかった。
ちなみに浦沢直樹の『PLUTO』は彼の作品でもNo1
になりそうですね。
マンガ世界でもロボットから人間を考えるという
手塚治虫を発展させていて秀逸です。
続きが待ち遠しいですね。
○
今から大人になる人達には更になしうる世界が
広がっています。
現在でもこれだけ夢があります。
これからも無限に可能性が広がります。
何でも出来そうですね。
ただコゴト幸兵衛は一言加えますよ。
楽しいということと楽をするということは別
楽をして大人に、という発想は持たないほうが
よいと思いますが、ね。