尾道幼稚園

2008-12-12 10:52:54 | 塾あれこれ


画面左下側は別のお家です。
東西に長い木造建築がわが尾道幼稚園。
手前に見える部分は一階ではなく二階です。
従って奥は木造三階建てになります。

建物の基本は半世紀前と変わっていないでしょう。
周りの景色は変わり運動場の木の向こうに海が
少しだけ見えています。写真じゃ分りませんか?

写真手前の二階部分から一階へ長いスベリ台があり
雨の日でも遊べます。
50年以上前にそんな建物って余りなかったのでは
ないでしょうか。

サイトで見ると大林宣彦監督がこの幼稚園から
土堂小学校だったとか。
私はその後輩にあたります。


12月発売の写真集があります。

昔の尾道駅が写っていますが、その向こうに土堂小
が見えるのです。

なんと戦前にコンクリートビルディングで校舎を
作っていたのですね。
ここも変わっていません。

でも、耐震など大丈夫かなあ?

西に向いた建物が戦前のもので、もう一棟は戦後。
南面するビルは私も建築工事を記憶しています。
あそこは小2の時まで木造2階建てでした。

ビルに立て替えるとき一階部分を教室にせず
グランドのままにして雨天体操場としました。
これも田舎にしては新しいことではなかったか?

小4のときだったか給食が食パンと牛乳に変わり
とても美味しかったことを思い出します。
全国的にはコッペパンと脱し粉乳でしたからね。


という風に「進んだ」公立小学校だったわけです。
まだ尾道も活気があったのでしょう。

その伝統が蔭山氏招聘にも生きたのかなあ。
すっかり有名になってしまいました。

百マス、その他方法論としては良いトライなので
しょうが「政治利用」っぽくてどうも、ね。
結局誰が得したの?って感じです。
子供も成績が上がったのだからよいか?

あと半世紀の追跡調査が望まれるでしょう。
教育とはそういう単位で見るべきものです。


土堂小の下の跨線橋を降りて前が「うずしお小路」
林芙美子が暮らしていたところです。

海岸通の角を曲がった辺りに我が家がありました。
以前の清水食堂の前です。
オバチャンが鉄板でキンツバを焼いてた。

運動靴は贅沢でみんな下駄で遊んでいましたね。
町には歌が流れ明るかった。


先ごろ八栄亭がなくなり、今回自由軒も姿を消して
いました。

何かが無くなった後のおぼろげな空気が尾道。

いまに無くなってしまいそうなはかなさが尾道。

それでも明るい陽射しの町。