♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■どんな試練をも越えて / 岩井基雄

2014年05月30日 | Weblog
2014/5/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。先週に引き続いてキリシタン大名高山右近の信仰を学んでみましょう。

 21歳のとき父の後を継いで高槻城主となった右近は、高槻に20ヶ所ほどの教会を造り、キリスト教を広めていきました。彼は貧しい人々に教会の管理などの仕事を与え、戦争孤児を世話をし、貧困者の病気を無料で治療したり、領地の中に生活保護制度や年金制度を作っていったと言うのですね。その結果、領民の7割がキリシタンになり、彼は神の愛に生かされその愛を人々に豊かに届けていきました。領地にはセミナリオと言う神学校や宣教師たちの家も造り、積極的に宣教活動を続け、時には右近自身も聖書からお話をしていたのだそうです。

 やがて信長の死後に天下人となったという豊臣秀吉の側近に抱えられた右近は秀吉から深い信頼を受けます。右近の信仰に影響されこの頃、黒田官兵衛、蒲生氏郷(がもう うじさと)、小西行長(ゆきなが)など秀吉の側近や大名たちも次々と信仰に入ってきました。

 ところが様々な事情から1585年突然秀吉によってキリシタン禁止令、伴天連(バテレン:神父「パードレ」・宣教師)の追放令が出されます。信仰を捨てるキリシタン大名も出る中、右近は信仰を守ることと引き換えに所領と財産のすべてを捨てることを決意します。彼にとっては大名の地位や財産よりも神の前に信仰の歩みを貫く方が尊かったのですね。

 その後右近は1614年徳川家康によるキリシタンの国外追放令を受けて家族と共にマニラに送られます。マニラでは大歓迎を受けましたが、船旅の疲れや慣れない気候のためか病にかかり、翌年右近は64才の壮絶な、しかし豊かな生涯を終えます。葬儀は総督の指示によりマニラ全市をあげて盛大に行われたと言われています。信長、秀吉、家康、どんな為政者たちも右近の神様への忠実な信仰と愛には打ち勝つことができなかったのです。

 聖書のことば
 「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
    新約聖書 ローマ人への手紙8章38節39節

  (PBA制作「世の光」2014.5.30放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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