ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

小妹とのランチ

2011-01-07 00:12:14 | シホのホ(雑記帳)
ほるほる2010年12月11日記事「がんばれ中国留学生」にも書いたように、約束していた財団の奨学金のための面接の練習をZさんとした。午前の講義後がよかったので「お昼どうしようか」と外に誘うつもりで声をかけたら「私お弁当作ってきます」という。「辛いの大丈夫ですか?」と確認されて年明けの練習日の約束をした。

昨日、約束していた面接の練習をした。
そうそうその前に、楽しいランチ。お世辞でなく美味しい中華弁当にお店みたい!と嬉しくなったけれど、合う時間に合わせて学食のレンジでお弁当を温めてもってきてくれるところも彼女らしい。ウーロン茶まで買ってきてくれていた。ここまではどう考えても彼女の方がお姉さん。

さて面接の練習。彼女からするとやたらと頭を下げたりあいさつしたりの部屋に入ってきかたからが疑問のようで、練習は部屋への入り方から。日本語も上手だし、意欲もあるしどうかんがえても通るでしょう?という感じだけれど、あれこれと質問してみた。まあどの答えも合格だ。
奨学金なんて宝くじなんだから、落ちたら次探しましょうといったら、いやそれでは行けないんだと彼女がいう。そこからいろいろ話を聞いて、以前話したよりももっと彼女を取り囲む状況は甘くないことを知った。
彼女は村の期待を背負って来ているのだ。少数民族の彼女の暮らす村の人たちは中国の都会の人の月収が年収という状況。当然家族の応援だけでは日本には来れなかった。父は村を頭を下げてまわり娘の渡航の資金を集めた。彼女の村の人たちはどこに日本があるかも分からないというのに月収以上のお金を出してくれたという。今回の奨学金が通ったら村の人の年収の倍の額を毎月手にすることができる。みなはそんなことを信じないだろうけれど、自分がそういう奨学金を得るところまで来れたことをもし通ったら村の人たちに伝えたい、お礼が言いたいんだといった。
中国沿岸部をまわるばかりの私には全く遠い話で、Zさんはぜひ中国という国には少数民族がいてそういう暮らしが今あることをもっと話すべきだと言った。面接官に村の人たちに報告するんだと言ったらいいとはなした。彼女はでも間違えないでほしいという。自分たちは幸せなんだということを知ってほしいという。
もちろんだ。みんなで支えあって日本に送ってくれるような、そんな村で育ってきたZさんだからこそ、誠実で暖かくて、見ていて何か私にできることはないかなと思うのだ。

そして今日、改めて彼女と相談して村に私でもできることがちょっとだけ分かった。お金じゃない。とっても簡単なこと、聞かなきゃ分からなかったこと。
新しい世界を知ること、そしてわずかでも動いてみること、私からできることをそして彼女がもう一歩できることをこれから考えていきたいと思う。中国の妹ができた気分です。
コメント
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