新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

とつおいつ

2020年05月17日 07時54分29秒 | 写真と俳句

   とつおいつ病む身思ひぬ柿の花    ひよどり 一平

  (とつおいつやむみみおもいぬかきのはな)

   ・・・・・・

 今朝は快晴。風もなく暑くなりそうなだ。

 新型コロナウイルスに対処するための「緊急事態宣言」が、一定の成果があったとして39県で解除された。

 東京都、北海道、大阪府、神奈川県などの8都道府県については、継続されることとなった。

 「感染拡大の防止」と「経済・社会活動への配慮」を考えれば、やむを得ないことだったと思う。

 この解除ムードによって、二波、三波の到来がないことを切に願うばかりだ。

   ・・・・・・・

 明日は都心エリアへ。

 行きたくないのだが、止むを得ない。 

 

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しどろもどろ

2020年05月16日 08時05分43秒 | 写真と俳句

 

 

    玉葱の見事なしどろもどろかな    ひよどり 一平

   (たまねぎのみごとなしどろもどろかな)

      ・・・・・・・

 昨日、友人から電話があった。新入社員時代からの付き合いだった。 

 彼は群馬県、私は茨城県の出身で、どちらも東京近県ということもあり、新入社員時代から気が合っていた。かれこれ40年余の付き合いだ。

 そんな彼が、しきりに曾孫の話をしていた。子や孫の経験しかない私にとっては、多少噛み合わないところがあった。

 酒も飲まず、煙草も吸わずの彼だったが、知り合って間もなく、結婚する相手として当時流行りのバアの女性を引き合わされた時、私は大いにビックリした。幼友達だったとかで、両家の親たちが公認の交際と聞いて、とても羨ましく思ったことを覚えている。

 その愛妻は、今、曾孫の世話で忙しくしているとか。

 お互いに歳をとったもんだなぁと昔話に花を咲かせ、再会を約して電話を切った。

 埼玉県出身、山形県出身、東京都出身、山口県出身の新入社員等とも気が合っていたが、山口県を除き、いずれも他界してしまった。

     ・・・・・・・

 今朝は薄い日差しの曇り空。気象予報によれば、雨が降るかもしれない。

 身体を休めようかとも思う。

 なんとなく、しどろもどろだ。

 

 

  

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私の実力

2020年05月15日 07時43分16秒 | 写真と俳句

   母と子の二人のくらし棕櫚の花    ひよどり 一平

  (ははとこのふたりのくらししゅろのはな)

   ・・・・・・・ 

 ここのところ、歩くのを怠けていた。そのためか膝に違和感があった。

 昨日、暑いのを承知の上で、公園まで歩いた。暑いくらいで負けるのは癪だ。

 しかし、やはり暑かった。暑いというだけで、ほかに身体的な苦痛は感じなかったが、帰路はタクシーになってしまった。

 1万歩のつもりが、7千歩弱に終わった。これが今の私の実力なのだ。

 

 

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動くまい

2020年05月14日 08時06分49秒 | 写真と俳句

   しんとして寄り添ひをりぬ燕子花    ひよどり 一平

  (しんとしてよりそいおりぬかきつばた)

   ・・・・・・・

 世の中の動きは目まぐるしい。

 なんでこんなに騒々しいのか。なんでこんなに動きが早いのか。

 いちいち追い付こうと考えたら、目が回りそうだ。

 だから考えた。そうだ周りが目まぐるしくとも、私は動くまい。

 いや、「動くまい」ではない。正直に言えば「動けない」のだが。 

   ・・・・・・・

 今朝は五月の空がまばゆい。

 ここのところ数日、心も体も重い。

 歩かない所為か、膝が痛い。

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遠い眼差し

2020年05月13日 00時27分03秒 | 写真と俳句

    観音のまなざし遠き薄暑かな    ひよどり 一平

   (かんのんのまなざしとおきはくしょかな)

    ・・・・・・・

 ひところの私は、仕事の都合で、この街に住んでいた。

 街の人たちはこのあたりを観音山と呼んで、親しんでいたように思う。

 私はと言えば、年に一、二度行われる職場の歓送迎会の折、大勢の人と一緒にこの山を訪れた。山を訪れたというより、一角にある宴会場に来たのだ。だから、観音様にもこの山にも、さして愛着はなかった。

 しかし、この街を離れ、新幹線で通過するようになってから、この観音様に愛着を持つようになった。

 新幹線から拝顔する観音様なのだから、細部にわたって見えるはずはなかったが、私を見て下さっているという感覚を抱くことがあった。

 この観音様の魅力には、その遠い眼差しにあった。もちろん、新幹線からはその眼差しが見えるはずはない。

 謂わば、ご覧くださっているという自分勝手な思い違いなのだ。

 人と人の場合も同じようなもの。思い違いで成り立っているのかもしれない。

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