新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
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心が不潔

2011年05月26日 17時57分45秒 | 身辺雑記

 福島第一原発事故の初期対応に関し、「注水停止」を首相が命じたとか命じてないとか、およそ一国の総理としては恥ずかしいような話題が、連日取り沙汰されている。

 こんな話題に付き合わされる国民は、たまったものではない。

 そのあたりの不手際が放射能汚染にかかわるとすれば、悲劇としか言いようがない。

 言ったとか言わないの次元ではなく、事故原因を曖昧にするわけにはいかない。

 IAEAの調査団が来日した。

 事故発生当初における日本の政府や東電の対応に不手際がなかったのか、国会論戦でも曖昧のままであった。国会の実況放送を見て、日本人の言葉の「いい加減さ」にはほとほと呆れたところだった。「恥ずかしながら」、IAEAの切り口で明解にしてもらいたいものだ。

 ところで、日本の国会議員の「ノーネクタイ」姿には、強い違和感を感じている。

 IAEAの調査団と枝野官房長官の顔合わせの際、調査団は全員がネクタイをつけていた。

 枝野官房長官はノーネクタイ。どこかずれていないか。

 私はもともと「クールビズ」が嫌いだ。「クールビズ」とのかけ声によって、ネクタイを外す感覚にはついていけない。

 国会審議の際、総理大臣をはじめ閣僚たちの弛緩しきった「ノーネクタイ」姿に、ほとほとうんざりしていた。

 IAEAの調査団との顔合わせの際、日本側出席者は「ノーネクタイ」の阿呆面。相手に失礼だったかどうかは別にしても、絶望的なほどの違和感を感じた。

 サミット出席のための菅総理は、外国ではネクタイをつけていた。

 外国訪問の時と日本国の国会では、何が違うのだろうか。日本国の国会は、リラックスしていい「場」なのか。

 涼しげな服装が嫌いだと言ってはいない。

「クールビズ」を合い言葉として、弛緩する精神が許せない。涼しい姿でいたいなら、自分がすればいいではないか。かけ声をかけないとネクタイをはずせない心は卑しいし、かけ声をいいことに、汚ならしい「太い喉」を見せ合っている国会議員の心は暑苦しくて不潔だ。  

 ちなみに、今の私は、ほとんどの時間をネクタイなしで過ごしている。ただし、気持ちは弛緩していないつもり。

   別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。

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コメント (6)
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