新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

戦没者追悼

2008年08月16日 05時52分47秒 | 写真俳句・エッセー

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白々と湖の朝終戦日

 昨日は終戦記念日だった。

 天皇陛下ならびに皇后陛下をお迎えし、正午から日本武道館において、「全国戦没者追悼式」が開かれた。先の大戦で生命を落とした約310万人の冥福を祈った。

 私はテレビで追悼式に参加したのだが、なんとも言えない胸の痛みを感じ、国歌「君が代」を終わりまで歌い通せなかった。

 戦没者の遺族や各界代表ら約5750人の多くは、君が代を斉唱していた。口の動きで、それと察することができた。

 しかし、カメラのレンズが捉えた顔の中で、福田首相の口は動いていなかった。モグともしなかった。

 そう言えば、北京オリンピックの開会式においても、福田首相の態度は妙であった。

 自国の選手が入場行進の際、各国首脳は起立して手を振っていたのだが、福田首相だけは席を立たなかった。隣の席の首相夫人は、起立してにこやかに手を振っていた。

 やはり我が国の首相は、どこか感覚が違っている。「国」の概念がないのか。

 こんな恐ろしいことはない。

 話は変わる。

 我が国は大きな過ちを犯し、先の大戦に突入してしまった。逃れようのない事実だ。

 しかも、戦争終結に大きな不手際があった。戦局が極めて不利の状況となっても、効果的な和平交渉もできず、沖縄戦争および広島と長崎の原爆被害があってのち、やっとポツダム宣言を受諾した。

 なぜこのようなテイタラクだったのだろうか。

「空気」に左右される国民性ないしは「国柄」が、原因の一つだったのではなかろうか。

 福田首相のような醒めきった調子でも困るが、熱くなりすぎてとブレーキが利くかなくなるようでも困る。

「空気」を盛り上げる熱血的な情熱と、「空気」の感情的な暴走を抑制できる理性をも併せ持ってはじめて、巧みな国の運営が可能となる。

 今の日本は、悪い「空気」が流れているのに抑止できず、国民を良い方向に結集させる「空気」の醸成もできていない。

 終戦から63年が経過した。清算すべきは清算しなければならない。

   白々と湖の朝終戦日   鵯 一平

 今日は息子と孫が自宅へ帰る。

 これから送っていくつもり。

 今までは、息子と孫を、タクシーで送り出していた。

 そんな時、孫はタクシーの中から、こちらを見返りながら遠ざかる。淋しげな孫の眼差しと見てしまうので、送る側はたまらない。

 だから今回は、いっそのこと送っていこうと考えたのだ。

 今夜は、疲れがどっと出るに違いない。

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コメント (10)
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