いつもありがとうございます。toshiです。
今日の写真、面白いでしょ?
プロの大道芸人、「スピニングマスターズ」です。
さる10月中旬に長野県へ行った時、あるイベント会場での公演を終えた後に
写したものです。
彼らは兄弟ですが、この他に、音響やマネージャー担当で、ご両親も参加されているファミリーグループです。
芸は流石プロ!めちゃめちゃすごく、もう最高でした。
実は、このグループのご両親もちゃんと芸を行われるのですが、今はこの二人の息子さんをメインにして活動されているようです。
家族総出の活動と知った時、さらに感動した覚えがあります。
きっとこのご両親は、二人の息子さんたちに、ご自分の夢が引き継がれて行くのを楽しみに、そして、それが出来つつあることに大きな喜びを感じておられるんでしょうね。
以下は、文化勲章受章、フランス文学者の、河盛好蔵さんの文章です。つい最近、家に来ていただいたある方から、この文章を教えていただきました。
とっても素晴らしいので、ご紹介させていただきます。
人は一代で終わらない
世の中の幸運な人、恵まれた人を見ると、その人の受けている幸福は、当人の力によるというよりも、その人達の祖先が積み重ねた徳の行いの結果ではないかと考えるようになった。
というのは、ささやかなながら幸福に平和に暮らしていられるのは、自分の努力に依るところはあるにしても、それ以上に祖先の余徳によるものだという信念が年を取るに従って、ますます強固になってきたからである。
人間は、死んでしまえばあとに何も残らない、霊魂の不滅などということは信じられないと云う人がある。
しかし私は人間は死んでもその人の血を受けたものが生きている限り、一族の魂、一家の霊とでも云ったものは連綿として続くものであると信じている。したがって私は、自分の一生は死と同時に終わるものである。あとのことは自分の知ったことではないと考えることにどうしても賛成することはできない。
自分の幸福は、祖先の余徳によるものであるとしたら、自分もまた徳を積んで子孫に幸福を計るべきではないかというのが私の信念なのである。私は世間の、自分の幸福だけをがつがつと追い求めている人を見ると、浅ましいというよりは、気の毒な気がしてならない。あなたは子や孫の幸福まで先取りするのですかと聴いてみたくなる。これを要するに私は自分の一生を自分だけのものと思わず、永遠に続く流れの一こまとして考えたいのである。そして自分の子孫のために責任を持つのが人間として正しい生き方ではないかと思うのである。
河盛好蔵(1902~2000)東京新聞記事より
最初に書かせていただいた大道芸人さんたち、きっとご両親の芸人魂が息子さんたちに引き継がれているんでしょうね・・・。
実は私も、この文章には、本当に納得させられました。
昨年8月の定年退職後の経緯のことを考えた時、本当にいろいろな面で幸運に恵まれてきました。
笑いヨガとの出会いがそのスタートでしたが、今振り返っても、実にラッキーなことが多くありました。
最近でも、妻masaとの会話でよく出る言葉に、
「toshiさん、トミスケだよ! toshiさんは、トミスケが導いてるからね!」
「うん、本当にそう思うことがよくある・・・」
本当にそうなんです。
特にそう思うようになったのは、母が天国に旅立ってから・・・。
「こんなの、自分の力じゃない・・・」
そんな心境にある現在、先日教えていただいた河盛好蔵さんのこの文章は、心にズ~ンと響きましたね。
自分の幸福は祖先の余徳によるものであるとしたら、自分もまた徳を積んで子孫に幸福を計る・・・。
以前、小林正観さんから聞いたシンプルな言葉、「人様に喜ばれる存在になる」 今こそこの言葉に納得させられることはありません。
喜ばれる存在・・・。
そんな自分でありたいですね。
DVD サンキューベリマッチ・トミスケ 「母のお仕事」編ムービーをご希望の方は、18日のブログに記載してありますので、よろしければどうぞ・・・。
お読みいただき、ありがとうございま~す。(toshi)
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